ある人が何をやってもうまくいかず、文字通り失敗につきまとわれている場合、その人について、周りの人は、嘆息しながらこう言うかもしれない。「彼はたぶん月曜日に生まれたんだろう」。なぜなら、何事にもついていない人は月曜日に生まれる、と信じる者が多いからだ。
でも、さらに驚きつつ、「気の毒に。水死人みたいについているね «везет как утопленнику»」と付け加えるかもしれない。これはいったいどんな意味なのか?
当初、この慣用句は次のようだった。
「土曜日に溺れた人はついている。蒸し風呂に行かなくてもいいから」。
実は、かつては週の6日目が入浴の日とされていた。土曜日には、村の蒸し風呂に火が入れられた。蒸し風呂の持ち主は、自分が入るだけでなく、風呂を持たぬ者も受け入れた。
だから、この日は丸一日、誰もが慌ただしかった。日が暮れるころには、風呂の持ち主たちはクタクタになり、「入浴しないでいいのは、土曜日に溺れた者だけだ」と冗談を言うほどだった。
このフレーズは残ったが、時とともに、その後半部分は「失われた」。そして今では、「水死人のようについている人」とは、なにをやってもうまくいかない者を意味する。