「彼らは、人生で何も良いものを見たことない。彼らは、いつも『スープをわらじで飲んできた』」
「君の両親が『スープをわらじで飲んでいるのに』、娯楽のためにそんなにお金を使うわけにはいかないだろう?」
この慣用句は、ロシア語のネイティブでない人にとっては、意味不明なのはもちろん、発音もとても難しいだろう。すなわち、
Щи лаптем хлебать(Shchi laptem khlebat〈スープをわらじで飲む〉)。
ロシアのスープ「シチー」は、とても安くて、簡単に作れる。キャベツとその他の野菜の残り物で作る。農村では、このスープは、肉汁なしで、キャベツ(またはザワークラウト)を、そのまま水に入れた。このスープはしばしば、一晩暖炉に載せて調理し、朝には朝食用にできていた。
人々はふつう、このキャベツのスープを、復活祭前の約40日間におよぶ精進期に、あるいは、他に何も食べ物がないときに食べた。
今でもロシア人は、シチーを作るが、牛肉、鶏肉、きのこなどを入れることもある。健康的でダイエットに良いスープとされている。
「ラーポチ」は、伝統的なロシア版わらじだ。植物繊維(白樺や菩提樹の靱皮が多い)を編んで作った。まず樹皮を水に浸し、それから靭皮の部分を剥がして、適当な細片に切り、編み上げる。ロシアの農民は、暖かい季節には、この「ラーポチ」を履いていた。とても手軽に簡単に作れる。
「хлебать」(khlebat)は、「がぶがぶ飲む、丸呑みする」といった意味で、ふつうの「飲む」よりはかなり下品な言葉だ。
こういう次第で、シチーを食べる人は明らかに貧しい人であり、「ラーポチ」を履く人も同様だ。それが、スプーンすらなく、「ラーポチ」をスプーン代わりに使うとなれば(もちろん、比喩的にだが)、その人は、まさに赤貧洗うがごとし、ということになる。
「革命後、『スープをわらじで飲む』連中が権力を握った」
この文脈で、『スープをわらじで飲む』ありさまが想像できるだろうか?この場合、比喩的な表現というより、実際の状況に近い。つまり、信じ難いほど粗野で、その人の教養、文化の水準が非常に低いことを示している。
だから、この慣用句は、極貧の人だけでなく、非常に粗野で粗暴で、無教養な人も指す。
一方、「スープをわらじで飲まない」と否定した場合は、その人が見た目ほど単純素朴でないことを示す。たとえば、こんな用例だ。
「我々は、アメリカの秘密を突き止めている。だから我々は、『スープをわらじで飲む』ことはない」。これはつまり、重要な秘密を知っているので、我々は無知、無防備な状態にはない、ちゃんと対応できる、という意味になる。
これに似た表現で、やはり「ラーポチ」と関係するものがある。
「彼らは、『靭皮で編まれているわけじゃない』」(Не лыком шиты - Ne lykov shity).
彼らは、靭皮で編んだ靴(たとえばラーポチ)みたいに、単純ではない。それどころか、賢くて洗練されている。こういう意味になる。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。