ロシアの教科書は、歴史的にいろんな影響にさらされてきた。宗教的影響、いくつものさまざまな教育方法、ソ連時代のプロパガンダ…。そこで、ロシアの近世以降の歴史のなかから、最も目立った実例を集めてみた。そのなかには、19世紀の文豪レフ・トルストイが自分で書いたものもある。
スラヴ語最初の初等読本は16世紀に現れた。ロシアのグーテンベルクこと、イワン・フョードロフが書いたものだ。この先駆的な印刷業者が目指したのは主に、『聖書』、『福音書』、『詩篇』などの宗教書を出版することだったが、1574年にはアルファベットの読み書きを習う学習本も刊行し、後に改訂版も出している。
17世紀には、新しい初等読本を考案しようとする試みがいくつかあった。これらの本では、文字の習得を通じて、読み方も学ぼうとしていた。
19世紀以降は、より進歩した、当時の音素論的なメソッドが用いられていた。つまり、単語が、それを構成する文字からではなく、音から学習された。また、イワン・フョードロフの伝統に従い、ワシリー・ブルツォフは、初等読本にイラストを加えた最初の一人となった。
1864年にコンスタンティン・ウシンスキーは、初等の読み書きの学習に革命を起こした。すなわち、音素論的なメソッドに辞書を加えて、最初の大部数の初等読本を刊行した。彼は、教育学の先駆者でもあり、この本の使い方に関する教師向けガイドも追加した。この本は、何度か改定がなされて、ロシア革命が起きた1917年まで使用された。現在もオンラインで入手できる。
レフ・トルストイは、倦むことを知らぬ貪欲な学習者であり、日々何か新しいことを学ぼうとしていた。彼は、有名作家であるのみならず著名な教育者でもあって、すべての児童の教育が必須だと確信していた。そこでトルストイは、自分で初等読本『アズブカ』を著した。この本は、読み書きと算数を教えるものだ。また彼は、同書の使用法も書いている。
トルストイの初等読本の初版は、批評家から批判されたので、彼はそれを書き直した。すると、新版は、すべての学校における使用を国から推薦された。また彼は、自分の領地ヤースナヤ・ポリャーナに、農民の子供たちのために学校を開設し、トルストイとその年長の子供たちが、彼が書いた本を使って教えた。
1917年のロシア革命により、新しい政治体制が成立し、アルファベットも、一部の文字が削除されるなど、改変をこうむった。 「革命詩人」、ウラジーミル・マヤコフスキーは、1919年に、新規則による最初の初等読本の一つを書いている。
それは、各文字にカリカチュアと韻文のついた、風刺画的なアルファベットだった(例えば、B〈Б〉はボリシェヴィキ)。この本の主な読者は労働者と赤軍兵士だ。
1917年のロシア革命まで、義務教育は存在しなかった。もちろん、多くの知識人や中流階級の人々は、子供を学校にやったり、家庭教師をつけたりして勉強させた。農民の子供たちのための学校もあった。しかし、子供と大人、両方の文盲を根絶する大規模なキャンペーンは、ソ連で初めて始まった。
1919年にドーラ・エルキナが著した初等読本『文盲撲滅!』は、ソ連のイデオロギーを用いて文字を説明している。
「私たちは奴隷ではありません」とか「全国民に自由を」といった具合で、プロレタリアの日常生活や仕事の場面のイラストがついている。
最も広く普及した初等読本の一つが、セルゲイ・レドズボフによるもので、これは都市部の学校向けだった(地方の学校では、しばしば別の本を使っていた)。この本は比較的難しく、詩やロシア民話の簡単な解釈が含まれていた。1945年に、第二次世界大戦の終結後に発行されたので、平和な生活の場面が含まれ、ソ連初期のような宣伝的要素はなかった。レドズボフはまた、視覚障害児向けの、アルファベットの点字ライティングシステムも考案している。
前に述べたように、地方の学校は、都市部と違う本を使うことがあった。地方で最も流布したものの一つは、アレクサンドラ・ヴォスクレセンスカヤによる初等読本だ。この本は、子供たちに農村の生活を描いていた。例えば、野菜や動物の種類などを説明している。
ソ連時代後期に最も人気のあった本の一つが、フセスラフ・ゴレツキーによる初等読本で、1971年に初版が出ている。
彼の初等読本やその他の参考書、練習帳などは、今でも大部数で刊行されている。この本には、面白いパズルやなぞなぞのほか、プーシキン、チュコフスキー、マヤコフスキーなど、偉大な詩人の詩が含まれている。子供たちの好きな漫画のキャラクターも描かれている。
現在最も売れている初等読本は、ナジェージダ・ジューコワによるもので、1999年に初版が出た。著者は、30年の経験を持つロゴペディスト(発音を矯正する専門家)だ。この本は子供たちに楽しく読み方を教えてくれる。また、文法上の誤りを優しく正す。