「彼はすごい人ね。彼のdesignsは、どんな年齢、shape、size、heightの人も着れる。それはtimelessなの。私も彼のモノを持っている。それから覚えてる。最初のsuitね。私のjob interview suitよ。まだそれを私持っている。ただもう、it’s just fun to rememberね」。こう説明したのは、ゾエ・ヴェクセルステインさん。カナダの衣料品店の店長だ。彼女は、テレビ局「Russian TV」のインタビューで、中国系カナダ人のファッションデザイナー、サイモン・チャンについてこうコメントした。
ここにちらほら出てくるロシア語の意味が分からなくても、ゾエさんが一つの言語だけで話すのが難しいのは分かるだろう。彼女はロシア語と英語の間を行ったり来たりしているが、これは、アメリカ、カナダ、イギリスの多くのロシア語話者が日々苦労して克服しようとしている現象だ。その悪戦苦闘の結果はしばしば滑稽に聞こえるが、話者は別に受け狙いなど考えているわけではない。
人類がグローバルな“世界文化”に融解するにつれて、多くの国で、移民のコミュニティは、自然な成り行きで、母国語を地元のそれと混ぜ合わせるようになった。その結果、しばしば驚くほど複雑なハイブリッド方言が生まれ、初めて耳にする者には奇妙で滑稽に聞こえる。
「私の友だちは、15歳のときに英国に留学したが、1年後にはまったく別人になって戻ってきた」。こう言うのは、ニューヨーク在住でロシア生まれのメディアコンサルタント、ヴィクトリアさんだ。「彼女はもう正しく話すことができなくて、『Мне нужна brush для моих волосов(私はヘアブラシがほしい)』なんてふうにしゃべった。英語が真ん中に出てくることは置いても、ロシア語として文法的に正しくない」
ところがその数年後、ヴィクトリアさんも英国に留学した際に、皮肉にも同じ“言語学的誘惑”に陥った。
「Runglish(露製英語)を使って、ロシア語話者の他の学生とコミュニケーションするようになった。なぜって、マーケティング、財務、メディアなどのいくつかの概念は、英語の単語でのほうが説明しやすいから」。こうヴィクトリアさんは振り返る。「私はよく両方の言語を使う。いきなり切り替える必要があるときは内心抵抗があるけど。友人と話すときは、リラックスしたいから、どっちでも心に浮かんだ方の言葉をしゃべる」
露製英語の起源
Runglish(露製英語)が米国に出現したのは、1970年代のこと。第二次世界大戦以来、ロシア語話者の最大の移民の波が押し寄せたときだ。ブルックリンの南部、とくにブライトンビーチは、北米の露製英語の“震源地”になった。
「私は一種の露製英語、RunglishというかRusslishを一生の間ずっと耳にしてきた」。こう言うのはアレックスさん。ブルックリンに住んでいる、ソ連生まれの元ソフトウェア開発者だ。1970年代に家族が米国に移住した。「私は、言語と言葉遊びを楽しむバイリンガルとしては、英語とロシア語を同じセンテンスに織り交ぜるのが好き」
たとえば、「車を運転している」(I’m driving a car)のかわりに、ブルックリンのロシア人は、露製英語の動詞を使うかもしれない。Драйвать(ドライヴァチ)とかдрайваю(ドライヴァユ)とか。ロシア語で正しくは、я зарулемなのだが。
「私が初めて露製英語を聞いたのは、ブルックリンに移住したとき。『リトル・オデッサ』の住人は、ロシア語(強いオデッサなまりがある)と英語の単語を使って独自の言語を作っていた。ブライトンでは露製英語はカッコいいと考えられている」。カザフスタンで生まれで、ほぼ7年間ニューヨークに住んでいるコロンビア大学学生、カーチャさんは語った。
「でも、後で私は、無教育な人だけが両方の言語を混ぜこぜにすると言われた。マンハッタンでは移民は、話すのも書くのも上手であることが期待されている。だから、マンハッタンでロシア語話者が二言語を混ぜているのを聞くことはほとんどない」
「私は友だちにこう口走ったことがある。ザシェライ・スヴァユー・ラケイション・サムノイ」(зашерай свою лакейшн со мной)(Share your location with me)。その後でハタと、いかにそれが耳障りか悟った」。カーチャさんは続け、こう付け加えた。あるとき、カザフスタンにいる母親に電話でたまたまこう口にして困惑させてしまったことを。「ママ、あたし今ちょっとビジー(busy)、後でかけ直すね」
もっとも、自分の子供に正しいクラシックなロシア語を教えるために努力を惜しまぬ両親もいる(ロシア以外で暮らすときには、多くの時間と労力がかかるけれども)。もし、それが可能ならばだが。
「二つの言語を混ぜるということはあまりない。それよりむしろ、話題や状況によって、臨機応変にそのどちらかにスイッチする」。こう言うのはバーモント出身でニューヨークを拠点に活動する、クラシック音楽の指揮者・ピアニスト、イグナート・ソルジェニーツィンさんだ。彼は、偉大な作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンの息子でもある。
「もちろん、私は典型的な例ではないかもしれない。ロシア生まれだし、私の両親は、私たち子供におよそ最高のロシア語を授ける巨大なアドヴァンテージを持っていたから」
ちゃんぽんになるのはロシア語と英語だけじゃない
サンクトペテルブルク出身の土木技術者、レフ・メジヴルドさんは、1989年にニューヨークに移住し、以来30年間にわたって露製英語を研究してきた。その彼の指摘によると、ブライトンビーチの住民の多くは、ロシア人ではなく、他の旧ソ連圏、すなわちベラルーシ、ウクライナ、モルドバ、グルジア(ジョージア)、ウズベキスタンなどの出身だという。
「新しい言葉を活用したり混ぜ合わせる能力は、これらの人々の持ち前だ。なぜなら、彼らの多くが、いくつかの言語が話されていた、多民族のソ連社会で育ったから」
「彼らは、ここに来る以前も、文法的に正しいロシア語を話しはしなかった。そして米国に移住したとき、彼らは、独自のロシア語を持ち込んで、ロシア人と同様に、英語に対して、柔軟な言語学的アプローチを続けたわけだ」。メジブルドさんは付け加えた。
メジブルドさんはまた、1970年代および80年代に、ソ連の進んだ若者の間では、露製英語が共通のスラングであったことを指摘している。彼らの間では、gerl(girl)とかflet(flat)などの言葉を耳にすることがあった。
最後にメジブルドさんが言うには、今日では、米国のロシア語ネイティブの両親は、英語を話す子供たちに露製英語をしゃべりたくなることが多い。なぜなら、子供たちはロシア語を部分的にしか理解できないからだという。
これに関連してアレックスさんはこう指摘する。「英語のほうがしっくりし、ロシア語のほうは、ペダンティックに、あるいは単にぜんぜん場違いに聞こえることがある」。
「たとえば、ブライトンビーチの遊歩道について話すときは、bordvok(boardwalk)がぴったりくる。ロシア語で正しいのはpromenadだけど、これじゃ、チェーホフの芝居でも見ているような気がする(*ロシア語のプロムナードは、フランス語promenadeが起源――編集部注)。
一方、アレックスさんは、完璧なロシア語を話しているときに、英語が挟まれると耳障りだと付け加える。たとえば、poezd(電車)のかわりにtren(train)を使うとか。
露製英語は独自の言語になれるか
さて、以上すべてを踏まえて、露製英語(Runglish)とはいったい何だろうか?方言か、それともそれ自体で独自の言語を成しているのだろうか?
「露製英語(Runglish)が独自の言語になるためには、オリジナルの単語のほか、露製英語だけで使われるフレーズや文法構造が必要だけど、そんなことはとても考えられない」と、アレックスさんは結論付けた。
にもかかわらず、とくにブルックリンでの露製英語の流行は、衰えの兆しを見せない。しかも近年、中央アジアやウクライナからの移民がニューヨークに大挙流入するなか、このハイブリッド・ロシア語は、旧ソ連圏の様々な国民の間で、コミュニケーションの共通手段として生き残る公算が大だ。