ロシア語を話せる世界の政治家7人

アンゲラ・メルケル・ドイツ連邦共和国首相。

アンゲラ・メルケル・ドイツ連邦共和国首相。

Reuters
 ロシア語は、学習が至難な言語の一つと考えられているが、世界の有力政治家のなかにも、ロシア語を学び、マスターしている人が少なくない。

 ロシア語を話す政治家のほとんどは、旧ソビエト構成共和国およびソ連と同盟関係にあった国々の人たちだ。

 これらの国では、ロシアの知識は、国際コミュニケーションにおける共通語であり、自分のキャリアを築くのに必要だと考えられていた。なるほど、バルト三国(リトアニア、ラトヴィア、エストニア)やジョージア(グルジア)、ウクライナなどでは話は別で、指導者のすべてが喜んでロシア語を話すわけではないが、お互いに会ってコミュニケーションするのに使うことがよくある。

 ロシア語の知識は、ポーランド、チェコ、スロベニア、スロバキア、ハンガリー等の東欧の、年配の政治家や一般市民にも広く残っている。その結果、今日でも、ロシア語を話す政治家は世界中にたくさんいる。ロシア・ビヨンドは、7人の有名な政治家をとりあげ、なぜ彼らがロシア語を話すようになったのか、その経緯を調べてみた。

アンゲラ・メルケル

 アンゲラ・メルケル・ドイツ連邦共和国首相は、おそらく世界で最も影響力のある女性で、ロシア語を流ちょうに話す

 メルケルは旧西独のハンブルクで生まれたが、ルター派教会の牧師である父親は、彼女が生まれた数週間後に、国境を越えて東独(ドイツ民主共和国)へ移住した。

 こうして、ソ連軍が駐留していた東独で育ったメルケルは、ロシア語を学ぶ機会を得た。当時、東独の学校では、外国語として教えられていたからだ。

 彼女は、この方面でも極めて優秀で、東独のロシア語コンテストで――学校レベルから全国レベルまでのあらゆる大会で――優勝した。しかも3度も全国大会で優勝を飾っている。

 メルケルは、公衆の面前では決してロシア語を話さない。しかし、ロシアの人権活動家、アルセニー・ロジンスキーによると、2005年に彼女がモスクワを訪問した際には、彼女は、通訳を必要とせず、勤勉な学生のような調子で、ゆっくりと慎重にロシア語を話したという。
 メルケル首相は2008年8月、ドミトリー・メドベージェフ首相とロシア語で会話したことが知られている。彼女は黒海を指さしながら、「プーチン大統領は、毎朝1000㍍も黒海で泳ぐ、と私に言ったけど、ほんとだと思いますか?」と、メドベージェフ首相に尋ねた。首相はこれに答えて、「私は1500㍍泳ぎますよ」

マイケル・マクフォール

 マイケル・マクフォールは、アメリカの政治学者で駐ロシア大使を務めた。その彼がロシア語の達人だといっても、別に驚きではないだろう。

 マクフォールは、アメリカのオバマ元大統領の、対ロシア関係の「リセット」の立役者の一人だ。1983年に初めてソ連に渡り、レニングラード国立大学(現サンクトペテルブルク国立大学)とモスクワ国立大学で学び、その後10年以上、ロシアのいくつかの都市で生活した。

 マクフォールは、ロシア人と頻繁に交流し、ロシアのテレビ番組にも出演した。例えば、オバマ大統領が2回目の大統領選で勝利した後、2012年11月7日に、マクフォールは、有名なロシアのエンターテイナー、司会者であるイワン・ウルガントに、深夜バラエティ番組に招かれた。

 インタビューはロシア語で行われたが、マクフォールは、ロシア的ユーモアを完全に理解し、いっしょになって興じて、自らもジョークをいくつか飛ばした。

 ここにマクフォールのツイッターの短文を示す。彼はときどきロシアのビールへの愛を告白することがある。

マデレーン・オルブライト

 マデレーン・オルブライトは、アメリカ初の女性国務長官。

 オルブライトは父と同じく、政治学を学ぶ道を選んだ。コロンビア大学でロシア研究を専攻し、その法律と政府をテーマとして、修士号と博士号を取得した。

 オルブライトは何度もロシアを訪問しており、2010年2月11日に、モスクワ国際関係大学で演説した際には、ロシア人学生に対し、彼らの母国語で挨拶した

コンドリーザ・ライス

 もう一人の女性米国務長官であったコンドリーザ・ライスは、ジョージ・W・ブッシュ元大統領の政策立案の柱の一人で、やはり大学でロシア研究を専攻している。しかし彼女は、公的場面ではほとんどロシア語を話さない。

 彼女自身の言葉によると、プラクティカルな練習が不足しているという。また彼女いわく、「ロシア語には、“恐ろしい格変化”があり、すごく難しい」。これは、2005年4月20日に、彼女がロシアのラジオ局「エコー・モスクワ」のインタビューに答えたときの言葉だ。ここで彼女のロシア語を聞くことができる。

金正日(キム・ジョンイル)

 金正日は、1997年から2011年に死去するまで、北朝鮮の最高指導者だった。ソ連が北朝鮮の最大の“パトロン”だったので、彼の父、金日成(キム・イルソン)は、両国の関係に不可欠なロシア語を、息子に勉強させようと思い立った。

 金正日の家庭教師は、この将来の指導者が17歳の時に初めて彼に会った。以下が家庭教師の回想だ。

 「...受講者(金正日)は、口頭試験のために非常に緊張しているようだった。シャイで、赤い頬っぺたをした少年は、私が出したすべての質問に、おとなしく答えた。彼は本に書かれた文章をゆっくり読んで、朝鮮語に翻訳した。彼の訳はとくに優れたものではなかったが、間違えずにテキストを読み、翻訳できた。…さらに、私は金正日に、彼の名前や誕生日、日時、天気などについてありふれた質問をしたが、彼は苦労していた。最後の会話テストになると、彼は顔を赤らめ、汗の玉が額に浮かんだ。しかし彼は、偉大な指導者の息子であることをひけらかしたりせずに、試験に辛抱強く耐えた」

サウリ・ニーニスト

 フィンランド大統領のサウリ・ニーニストはこう告白している。「禁煙しようとした回数と同じくらい、ロシア語の勉強を始めようと試みた」

 フィンランド最大の新聞「ヘルシンギン・サノマット」(ヘルシンキ新聞)へのインタビューによると、サウリ・ニーニストは、毎週ロシア語の講義を受けており、語学の勉強を「礼儀の問題」だと考えているという。

 最近のニーニストとプーチン大統領の会談で、勉強が進んでいることが示された。ニーニストは今では、「ありがとう」とか「あなたに会えてとても嬉しいです」とか、ロシア語で言うことができる。

ジャック・シラク

 ジャック・シラクは、1995年から2007年までフランス大統領を務めた。

 2001年7月、シラク大統領は、露仏首脳会談を前に、ロシアのタス通信のインタビューに応じ、彼の人生にとってロシアがどんな意味をもってきたかを語った。

 それによると、彼の若いころ、サンクトペテルブルクから亡命してきたロシア人教師がいた。この先生のおかげで、シラクはロシア語が大好きになり、ロシアの大詩人アレクサンドル・プーシキンの『エフゲニー・オネーギン』を、独力でフランス語に翻訳したほどだった。

 シラクの回想によれば、「私はそれを出版してもらおうと思って、いろんな出版社に送ったが、誰も返事をくれなかった。どうも翻訳があまり良くなかったようで...」