伝説的な冷製スープ、オクロシカのレシピが初めて書物の中に登場したのは、ニコライ・オシポフの著書「古きロシアの主婦、食料倉庫の鍵番、料理女」の中である。この中では、オクロシカはさまざまな種類の肉とタマネギを炒めたもの、それにキュウリかピクルス、スメタナで作ると書かれている。またベースになるスープには、ピクルスの漬け汁、クワス、あるいは酸味のあるシチーを使うとよいとされている。オクロシカの最初の頃のレシピには酢が使われているものもある。これは、夏場にスープのための新鮮な肉を買える者は多くなかったため(家畜を食べることができたのは秋だけであった)、普通は塩漬けの肉を使うことが多く、その肉は柔らかくなく、満遍なく塩漬けされていないことがあったからである。これらの問題を解決してくれたのが酢で、一般の人々が新鮮な肉を買えるようになった1830年代頃までは、この酢入りのレシピが広く使われていた。
19世紀半ばになると、オクロシカは高級料理となり、首都の上流社会のパーティなどでも出されるようになった。今も残っているあるレシピでは、羊肉、仔牛肉、塩漬け肉、ハム、燻製のタンなどが材料となっている。魚やさまざまなキノコを使った同じように複雑なレシピもあった。ブイヨンにはシチーまたは「良質の」クワスが使われた。
では、オクロシカにケフィールが使われるようになったのはいつなのだろうか?ロシアでケフィールの大量生産が始まったのは20世紀初頭。ソ連のイデオロギーの中で、ケフィールは徐々にダイエットにも、そして健康的な食生活にも欠かせないものとして根付いたのである。当時、クワスは広くは販売されておらず、自分で作るには手間がかかった。そこでケフィールがクワスの代わりに使われるようになったというわけである。
料理史研究家たちはまた、ソ連時代に南カフカスの料理が影響を与えた可能性も指摘している。ジョージアのマツォーニ入り冷製スープ、アルメニアのスパス、あるいはアゼルバイジャンのスープ、ドヴガはいずれも、ケフィールで作るオクロシカの仲間である。というわけで、今もクワスやミネラルウォーター、ケフィールだけでなく、タンやアイランなどの発酵乳製品でオクロシカを作っていたとしても不思議ではないのである。
さらに、ソ連のモノ不足の時代には、肉の代わりにより安いソーセージが使われるようになったが、今でもソーセージはオクロシカによく使われる食材となっている。
1. ジャガイモは皮のまま、柔らかくなるまで茹でる。
2. 卵は固ゆでにし、殻をむいて、小さく刻む。
3. キュウリ(皮をむいた方がよい)とソーセージを角切りにする。ソーセージに代わりに煮た牛肉を入れてもよい。香草とラディッシュは細かく刻む。
4. ジャガイモの粗熱をとり、皮をむいて、角切りにする。
5. 鍋にジャガイモ、キュウリ、ラディッシュ、卵、ソーセージを入れ、ケフィールを加えたら、熱湯を冷ましたもの(または温かい弱炭酸水)を足してスープ状にする。塩で味を整える。
6. サワークリーム、香草を添えて出す。上に半分に切ったゆで卵と輪切りのラディッシュを飾ってもよい。プリヤートナヴァ・アペチータ!(どうぞ召し上がれ!)
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