これは、蜂蜜ベースのアルコール飲料「メドヴーハ」でもなければ、清涼飲料「クワス」でもない。もちろん、ウォッカでもない。蜂蜜で造られるこの古代の飲み物は、既に忘れられて久しいが、かつては外国人を驚かせ、ロシアのボガトゥイリ(勇士)に大いに力を与えたという。
10世紀のルーシ(ロシアの古名)の都市スーズダリに、タイムスリップしてみよう。これは、裕福な戦士の家庭で、今日はとても大事な日。男児が生まれたのだ。それがさらに意義深いのは、祖父がまだ存命で、孫の誕生を目の当たりにしていることで、当時、あまりあることではなかった。古代では、人生ははるかに困難であり、定期的な医療サービスもなかったから。
スーズダリの河原
Ishtar Lynx (CC BY-SA 4.0)おじいさんは幸せで、納屋に向かう。お祝いの飲み物を持ってくるためで、彼はそれを40年ほど前に仕込んだ。それはワインでもコニャックでもない。
古代のロシア人には、ワイン用のブドウ園がなかったし、強いアルコール飲料は造らなかった。当時は、アルコール飲料の主な原料は蜂蜜だ。しかし、蜂蜜と水の混合物を沸騰させて発酵させた飲み物「メドヴーハ」が普及する前に、別の飲み物があった。
メドヴーハ
Legion Mediaその特別な飲み物は何十年も寝かさなければならず、その名も「スタヴレンヌイ・ミョード」(寝かした蜂蜜)と呼ばれていた。独特な点は、水を加えずに造ることだ!
このアルコール飲料に関する最初の言及は、アフマド・イブン・ルスタによるものだ。彼は、10世紀ペルシャの探検家で地理学者であり、非イスラム世界も含む膨大な地誌『貴重なるものの書』を著している。その中で彼は、古代スラヴ人の暮らしを簡潔に描き、彼らは木製の樽で蜂蜜飲料を造ると述べている。ルスタが記していたのは何のことか?
その酒造りのプロセスは、「メドスタフ」(蜂蜜を寝かす)と呼ばれていた。では、先ほどのスーズダリの老人がそれをいかに若い頃から仕込んでいたかを見てみよう。
古代ロシアには蜂蜜が豊富にあった。そして、「蜂蜜を寝かす」には蜂蜜がたくさん必要だった。まずは、純粋で新鮮な蜂蜜を採って、二つの容器に入れる。それらをベリーのジュースと混ぜ、スパイス(今ではどんな種類か不明)を追加して、安定した腐りにくいベースを作る。
ホップ、酵母、水は加えない。最初の数か月間、混合物を口の開いた甕で発酵させ、一方の甕から他方に数回注ぐ。
次のステップでは、混合物を木製の樽に注ぎ、タールで密閉し、地中に埋め込んで、空気が通わないようにする。地中の樽の中で、発酵プロセスは15~40年続く!最短でも8年で、それしか「寝かされなかった蜂蜜」は、「若い」と言われていた。
ちなみに地中での飲料の発酵は、さまざまな文化で人気があったことを覚えておいてほしい。例えば、クヴェヴリだ。これは、グルジア(ジョージア)の伝統的ワインの発酵、貯蔵、熟成に使われる容器。
明らかに、とても裕福な人だけがこうした飲み物を造る余裕があった。イブン・ルスタの記述によると、1樽(約80~100リットル)から取れるのは、水差し10杯分(約10リットル)だけだった。
寝かして数十年経ったら、樽が掘り出され、内部の混合物は、新鮮な蜂蜜と混ぜた水で割って、配られる。その際、沸騰はさせない。
この蜂蜜飲料をもっと速く造りたい場合は、ホップのような自然発酵促進剤を添加する必要があった。この飲料は、「ホップ蜂蜜」と呼ばれ、「わずか」10年で完成した。
また、最初の混合物をまず沸騰させてから発酵させたところ、1か月で飲めるようになった。この手法は、ビール醸造と非常によく似ている。こうしてメドヴーハが誕生した。
15世紀から16世紀にかけて、「蜂蜜を寝かす」飲料は用いられなくなり、その製造の秘密は必然的に失われた。
しかしロシアの伝説は言う。手足が麻痺していた勇士イリヤ・ムーロメッツが麻痺を克服し、立ち上がって敵に向かうのを助けたのは、まさにこの「蜂蜜を寝かす」飲料だった、と。
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