ベイクドミルクはロシアと旧ソ連諸国以外ではほぼ知られていない食品である。しかしながら、これはロシア料理においてきわめて重要な(しかもおいしい)一品である。
ペチカを囲む生活
一般的なロシアの田舎の家でもっとも中心的存在なもの、それはペチカであった。ペチカは、部屋を暖め、水を沸かし、その上で睡眠をとり、そしてもちろん料理を作るのに使われた。ロシア語で「ペーチ」という言葉は、焼くという動詞でもあり、またストーブ、オーブンという名詞でもある。
特徴的なロシア料理といえば、だんだんと温度が下がっていくペチカでゆっくりと作られる料理である。たとえば、カーシャ(粥)を作る場合、穀物に水か牛乳を入れ、暖かいペチカに一晩置いておいた。ペチカでローストポークを作り、ピローグを焼き、パスチラを乾燥させた。ベイクドミルクもまたまったく同じ方法で作られた。まず牛乳を粘土の壺に入れて沸騰させ、だんだんと冷めつつあるペチカに、朝まで入れたままにしておいたのである。今このレシピを再現するなら、まず牛乳を100℃にし、それから徐々に温度を下げ、30℃から40℃くらいまでにするのである。つまり、家の中のペチカは朝には少し暖かいくらいになっていたのだ。8〜9時間後、牛乳は淡い茶色になり、カラメル風味が感じられるようになる。これは牛乳のタンパク質が反応を起こしたもので、砂糖などを加えたわけではない。
こうした工程はロシア語で「トプレーニエ」と呼ばれ、こうして作られた牛乳は「トプリョーヌィ」と呼ばれる。 この調理法を他の言語に翻訳するのはかなり難しい。一般的にこの牛乳はベイクドミルクと呼ばれるが、「トプリョーヌィ」というロシア語はどちらかというと、煮る、または加熱することを意味する。というのも、ここに焼くという工程はまったくないからである。
ここで重要な疑問が湧いてくる。なぜ牛乳を加熱する必要があったのかということだ。想像してみてほしい。あなたは牛を飼っていて、その牛が牛乳を出す。普通の牛乳は、冷たい場所で保管したとしても、数日もすると腐ってしまう。捨てるなどという選択肢はない。そこでペチカに頼ることになるのである。ベイクドミルクは風味を損なうことなく、1週間は保存できた。現代になり、専門家らがベイクドミルクの成分を研究したところ、生乳よりも栄養があることが分かった。カルシウムも鉄分も2倍以上、そしてカゼインとラクトースに対するアレルギー反応が起こる可能性が低い。
しかもベイクドミルクからはその他の乳製品を作ることができるのである。
ベイクドミルクで他に何を作ることができるのか?
概して、ロシア料理における乳製品、とりわけ発酵乳食品は真の文化である。ケフィール、スネジョク、みんなが大好きなスメタナ(サワークリーム)、そしてさらにそれぞれの民族に独自の乳製品の伝統がある。
そして乳製品の中には、ベイクドミルクからしか作ることができないものがいくつかある。その中でももっとも一般的なのがリャージェンカ。ロシアのどの食料品店でも簡単に見つけることができるものである。この発酵飲料もベイクドミルクから作られているが、ケフィールよりもまろやかな味がする。リャージェンカに味が似ているのが、ヴァレネツ。シベリアの家庭のレシピで作られた飲料である。このリャージェンカとヴァレネツの違いは、発酵スターターが異なることで、ヴァレネツにはサワークリームが使われるため、脂肪分が高い。
現在は、ベイクドミルクからより一般的な製品も作られている。たとえばベイクドミルクのトヴォーログ(カッテージチーズ)。ベイクドミルクのトヴォーログで作るスィルニキ(おやき)は普通のそれとはまったく違うカラメルの風味がするため、砂糖など甘みを加えるものを添える必要はない。ロシアの店では、脂肪分5%と9%のベイクドミルクのトヴォーログが売られているが、普通のトヴォーログと同様、家で作ることもできる。
またベイクドバターは現在、健康食品としても積極的に広められている。ちなみにベイクドバターは、その他の「じっくり加熱して作る」製品と違い、ロシアだけでなく、インドにもある(ギーと呼ばれる)。ちなみにその製造技術はかなり似通っている。