もしロシア人の友人の家へ、お祝いの席に招かれても、油っぽい料理が多いと驚くことはない。むしろ、あなたを待ち受けているのは、何種類ものサラダ(じゃがいもと豆は絶対)、豚肉にチーズを載せてグリルしたもの、それから、キャベツ入り揚げピロシキなど。そして、すべての料理に、たっぷりと、すごくたっぷりとマヨネーズが使われている。ケチャップも醤油もチーズソースも、その他のどんなソースも、マヨネーズほどロシア人にリスペクトされているものはない。その秘密はどこにあるの?
モスクワ州、セルギエフ・ポサード市にあるスーパー「Carousel」のショーケース。
マクシム・ブリノフ撮影/Sputnikスメタナ(サワークリーム)が、伝統的なロシアの田舎料理の代表的ソースだとすれば、マヨネーズは――ソ連の食卓の真のレジェンドだ。マヨネーズはサラダの調味料だけではなく、主たる料理各種、パイやペストリー、そしてデザートにも使われるいちばん大事な食材でもある。
ロシアのインターネットでは、およそなんでも美味しくしてくれるマヨネーズの意外な使い方を紹介して楽しむことが人気だ。
発行部数最大の『コムソモーリスカヤ・プラウダ』紙は、お正月前に、マヨネーズのミニパックを付録につけたことがある――こんな試供品があるなんてご存知?
『コムソモーリスカヤ・プラウダ』紙は、お正月前に、マヨネーズのミニパックを付録につけたことがある
Archive photo今日では、食餌療法士の多くがマヨネーズは体に悪いと考えているが、昔はまったく正反対だった。ソ連初期の数年間は滋養のある食べ物が不足していた。1936年に、食品工業人民委員のアナスタス・ミコヤンは、食料品の大量生産の方法を倣うため、米国の企業をいくつか訪問し、今のロシアで愛されている食料品を生産するための設備を買い付けてきた。その中にはドクトル・ソーセージや缶詰、果汁ジュース、アイスクリーム、そしてもちろん、食卓の王様――マヨネーズもあった。
最初に試食をして認めたのがヨシフ・スターリンで、その後、このソースは生産開始となった。そもそも、マヨネーズというのは、古くからあるフランスのソースで、18世紀半ばにはすでに知られていた。マヨネーズはまずヨーロッパで普及し、その後、移民たちとともにアメリカに渡り、そこで大衆的な商品となった。マヨネーズの作り方はとっても簡単:卵黄、酢、オリーブオイル、塩だけ、カラシはお好みで。
ソ連で製造されていたマヨネーズは、油分67%の「プロヴァンサル」という銘柄のみ。もっとも、卵黄の代わりに卵の粉末が用いられ、保存が利くように砂糖が加えられていた。その代わり、着色料や安定剤、その他の化学物質は一切使われていなかった。
もちろん、マヨネーズはダイエット中の人には適していないだろうが、例えば、工場で働いているような人にとっては素晴らしいものだ:油分が多く、美味しくて、満腹感がある。マヨネーズがあれば実にいろいろな料理を作ることができる!
1939年に料理本『美味しくて健康に良い食べ物の本』(この本もミコヤン自身の監修で執筆された)の初版が出ると、マヨネーズはこの世のすべての物に合う理想的なソースとしての地位を獲得した。その後この本は、毎回かなりの部数で版を重ね、文字通りソ連の各家庭へと普及したのである。
ちなみに、ミコヤンがアメリカから持ち帰ったのはマヨネーズだけではなく、ケチャップもあった。これについては、『美味しくて健康に良い食べ物の本』の初版に記載されている。さらにそこでは、ケチャップはアメリカの主婦なら誰もが使っていることも力説されている。
冷戦の時期にアメリカとの関係が悪化し、ソ連の食品は「アメリカ由来」であることを誇るのをやめた。この関係に関するあらゆる言及が料理本から消え、ケチャップのことは、ブルガリアからの輸入が開始される1980年代まで忘れられることになる。マヨネーズはといえば、海の向こうから渡ってきたという出自については言わぬまま、ソヴィエト料理の中に変わらぬ形で残った。もしかしたら、それゆえに、マヨネーズは今に至るまで、ケチャップやその他の外国起源のソースよりもはるかに人気があるのかもしれない。
私たちがロシア料理のことを話すとき、それは暗にソヴィエト料理のことを言っていることがよくある。革命前のロシアには、体系的な料理というものじたいがなかった。各地域によってそれぞれの食べ物が食されていたが、普通、日常的な料理だったのは、カーシャ(粥)や、菜園で育った野菜を使ったスープだった(上流社会のもてなしではキジなどもあったが)。ソヴィエト料理は、こうしたローカルな料理を同じ分母を持つものへとまとめたのだった。そうして、全国で、同じ料理本のレシピによって、ほぼ同じ食材を使って調理された同じ料理が存在するようになった。だから、ロシア人たちに愛されている料理の多くは――彼らが子どもの頃に覚えたソヴィエト料理のこととなのだ。
マヨネーズは、ソヴィエト料理の三大サラダ:「オリヴィエ」、「ミモザ」、「毛皮を着たニシン」の基本食材になっただけではない。マヨネーズなくしては、フランス人が全然知らない「フランス風肉料理」(豚肉にチーズとマヨネーズを載せたもの)や、ドライクッキーは想像だにできない。ペリメニについては言うまでもない。
ソヴィエト時代、人びとは、ジャガイモや魚の缶詰のような手に入りやすいシンプルな食材でスープからメインディシュ、デザート(コンポートも)まで作らなければならなかった。マヨネーズはそれを見事にやりこなすのに役立った。生地に入れればふんわりとなるし、肉は柔らかくしてくれる、サラダの味ははっきりとする。とりわけ1970年代から1990年代にかけての非常な物不足の時に、瓶入りのマヨネーズが心から欲されたのも当然のこと。「触っちゃダメよ、これはお正月用なんだから」――といえば、マヨネーズのことだ。
ソ連崩壊後、ロシアの市場には外国製の新しい食品がなだれ込んできた。その中には、新しいソースも何十種類とあったが、ノスタルジーに優るものなどあるだろうか?昔の記憶を頼りに、お母さんのレシピの「あの」サラダの味を思い出したくて、多くのロシア人たちはマヨネーズを買っている。「オリヴィエ」サラダを作らなければ、お正月はやってこないと言われる。それが本当かどうか試してみようなんて、ロシア人の誰一人として思ったことはない。
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