1. テリノエ(すり身):最高の牛肉は実は魚が化けたもの
「最高の牛肉は実は魚が化けたもの」。これはロシアの古いジョークで、食料が欠乏していた時期に人口に膾炙していた。魚はいつでも、ロシアの一般庶民の食卓に豊富にあった。多数の河川が流れるこの国では、魚はしばしば最も手に入りやすい タンパク源であり、精進の時期にも許されていた。精進は、1年の半分近くにも及んだ。
テリノエ(すり身)は、細かく切り刻まれた魚から作られた料理で、特殊な調理法により、牛肉や豚肉に似せられている。料理の名前「テリノエ」は「身に似たもの」という意味だ。
17世紀には、「精進の時期には、豚やアヒルのテリノエ」が食卓に並ぶことがあった。ツァーリから食事に招かれた外国人の客は、それが本物の子羊や豚肉で作られたものかどうか見分けるのは不可能だと言っていた。
レシピ:
魚から骨をぜんぶ取り除き、生地のようになるまで切り刻んで、タマネギとサフランを加え、子羊やガチョウに似せた木の型に入れて、深いフライパンで植物油で揚げる。味は実にユニークで、知らない人は本当の子羊だと思う」。チェコ人の旅行者、ベルンガルド・タンネルはこう記している。「料理人の技は、これらに動物の肉のような外観を与えることで、魚を文字通りニワトリ、ガチョウ、アヒルなどに変えてしまった」
2. 油で揚げた白鳥
テリノエとは異なり、揚げた白鳥は、ツァーリと大貴族のための一品だった。白鳥は比較的稀で優美な、公園にいるような鳥であったから。しかし18世紀以前のロシアでは、かなり豊富だったので、白鳥の狩と料理が、裕福な貴族とツァーリには欠かせなかった。
白鳥は、肉のコースの最初に供された。飾り立てられて、首は直立していた(首の中に金属線を入れられ、支えられていた)。くちばしは、薄い金紙または銀紙で覆われていた。この「プレゼンテーション」が終わると、白鳥は切り刻まれ、様々なソースとともに出された。肉を美味にするために、白鳥は酢や、おそらくは酸乳などで数日間漬けられた。だが、正確なレシピは18世紀に失われてしまった。
3. ボトヴィニヤ(冷たい野菜スープ)
ボルシチがロシア料理だとまだ思ってる方には残念なニュースかもしれない。いずれにせよ、ロシアにも自前の冷たい野菜スープ「ボトヴィニヤ」があった。
これは、農家でも、宮廷でも、数多くの大邸宅でも食卓に上った。それは3つのボウルで供された。最初のボウルには、スープ「ボトヴィニヤ」そのものが入っていた。ビートの葉、ホウレンソウ、イラクサ、スイバなどの葉野菜を、自家製の白クワスで煮て、それからシュレッダーでピューレのようにした。スープは冷やしてから食した。
第2のボウルには魚が入っていた。チョウザメまたはそれに類するものが好まれた。3番目のボウルは、砕いた氷で満たされ、冷たい料理(夏には非常に人気があった)に追加された。
ボトヴィニヤは、2つのスプーン(スープ用に1つと氷用にもう1つ)とフォークをつけて出された。
しかしソ連時代になると、ボトヴィニヤは調理が難しく費用もかかるということで、流行から外れた。今ではオクロシカが、ロシア料理におけるかつてのボトヴィニヤの位置を占めている。
4. ルベツ(牛の第1胃「ルーメン」から作るモツ料理)
ルベツは、牛の胃袋で作るモツ料理の一種で、ロシアの農民のお気に入りだった。毎年秋になると、地主の小作や農奴は、冬季に地主の家族が食べる牛肉を塩漬けにしておくよう命じられた。しかし牛の第1胃「ルーメン」は保存がきかないので、農民はそれを手元に残すことを許された。
そこで彼らは、この副産物の調理法を編み出した。それは、スコットランドのハギスによく似ている(もっとも、ハギスは、牛の胃のほかに、羊の内臓、つまり心臓、肝臓、肺などからも作られる)。あるいはまた、イタリアの モツ料理にも近い(もっともイタリアのそれは、すべての胃袋が使われるが、ロシアのルベツは第1胃のみを使用する)。
ルーメンはなにしろ胃腸の一部だから、臭みをとるために、数時間水に浸す必要がある(1時間ごとに水を換えねばならない)。それから、フォークで穴が開けられるくらい柔らかくなるまで、約5時間、野菜といっしょに煮る。多くの農民の食べ物がそうであるように、ルベツは栄養が豊富だ。それはタンパク質と多くのビタミン、そして免疫系を改善する亜鉛などの要素を含んでいる。
ルベツは、帝政ロシアの典型的な持ち帰り用の料理だった。何層ものスカートをはいた女性が路上で売っていた。彼女らは、この料理を満たした缶の上に座って、それを温かく保った。
ルベツはしかし、牛肉の副産物の1つに過ぎない。ロシアでは、牛のほとんどあらゆる部分が食卓に上っていた。