百年前のモスクワのファーストフードはどんなもの?

ロシア料理
アレクサンドラ・クラフチェンコ
帝政時代も、モスクワの街頭で売っている軽食は大人気!地方からモスクワに出張したり、ここの市場を訪れたりするのには、少なからぬ時間を要したから、当時の人々はすでに、今日のファーストフードのような、手軽な食事のレシピを工夫していた。さて、革命前のロシアの街角では、どんなものを食べていたのだろうか?

1.ブリヌイ(ロシア風パンケーキ)

 寒空の下、甘い具材の入った、熱々のブリヌイに出くわしたとしよう。誰が食わずにいられるものか!だから、これが当時の主なファーストフードの一つだったのも頷ける。ブリヌイは、軽食の露店の呼び売りが、優先して売り歩きたがる一品であった。

 この手の露店がとくに集中していたのは、例えば、オホートヌイ・リャード、ソリャンカなどの繁華街、あるいはバーニャ(ロシア式蒸し風呂)、市場、鉄道駅の近くなど。値段は、どの売り手も均一だった。

 手軽にブリヌイを食べられる場所としては、こういう露店と呼び売りのほかに、何軒かの居酒屋があった。作家ウラジーミル・ギリャロフスキーは、モスクワの風俗を描いた本のなかで、こう書いている。居酒屋「ニーゾク」の一階ホールに、人気のブリヌイがあり、朝から晩まで、買い手の目の前で焼いていた、と。 

 

2.パンの「カラーチ」と「バランカ」

 カラーチは、ロシア最古の白パンだ。モスクワのそれは、把手のついた分銅のような形をしている。下の部分は、丸っこくて柔らかく、上は、パン生地でできてはいるが固くて、把手のようだ。買った人は、この把手で持ち運んだが、その部分は食べずに捨てるか、乞食に施した。というのは、食べる前に手を洗えないことがよくあったので、把手部分だけを持って、他の食べるところは汚さないようにしたのだ。

 カラーチは、細長い露店が立ち並ぶ場所で、しばしば凍った状態で、売っていた。凍らせておいたほうが、長いあいだ新鮮なままに保てるからだ。熱いタオルでカラーチを「解凍」すると、パン生地の素晴らしい特性のおかげで、焼きたてのものと味はまったく変わらなかった。

 バランカはカラーチよりも遅れて現れた。その最初の言及は、1725年のピョートル大帝の勅令に見える。そこでツァーリは、バランカの値段を固定すべく命じている。バランカが工場生産されるようになったのは、ずっと後の19世紀後半のことだ。

 バランカは輪っかの形をしており、その工程は、最初に茹でて、乾燥させ、最後に焼く。ロシアのデザートの一つだ。紐に何十個も通して保存しておく。市場やお祭りでは、とくに人気があった。

 

3.グレチネヴィク

 街頭で売っていた軽食のなかで、このグレチネヴィクは特別な位置を占めており、オホートヌイ・リャードのそれについては、ギリャロフスキーも書いている。パスハ(復活大祭)前の大精進期にはとくによく売れた。この時期、正教信者は、甘いものや脂っこいものを食べてはならないからだ。

 グレチネヴィクのレシピは簡単で、中にソバ粥の入った、固いオムレツという感じだ。まず、ソバの実をしっかり茹で、フランパンに入れ、冷やす。それから、軽くかき混ぜた卵を注いで、植物油で両面から焼く。

 グレチネヴィクは、呼び売りではなく、露店で売っていた。そして、客に手渡す前に、溶かした植物油をかけた。これは、客待ちをしている御者にも人気だった。

 

4.ピロシキ

 熱々のピロシキは、主に、清涼飲料水「クワス」のつまみとして供されたが、学生にもよく売れた。というのは、街頭の軽食では、いちばん安かったから。

 ピロシキ売りは、箱に入れ、冷めないように特別な覆いをかけて、売り歩いた。モスクワのピロシキには、ありとあらゆる具が入っていたようだ――ジャム、ジャガイモ、卵、臓物などなど。ジャム入りのピロシキは、5コペイカで、肉入りはその倍の値段だった。

 

5.エンドウ豆のゼリー

 エンドウ豆のゼリーも、精進期の食べ物だ。レシピは、グレチネヴィクよりもさらに簡単。エンドウ豆の粉に熱湯を注ぎ、15~20分置いておく。それから、型に入れて冷ます。出来上がりは、食べやすいように切り分けてもいい。形はしっかり保たれる。もっとも、見た目はそれほど魅力的ではない。黄緑色の切れっぱしに、油がかかっているのだから。とはいえ、モスクワの住民は喜んで食べた。

 精進の最も厳しい期間になると、これよりさらに慎ましい食べ物が街角に現れた。カラスムギのゼリーだ。これも、カラスムギの粉を同じ要領で煮るのだが、油はかけなかった。

 

6.シチー(キャベツ・スープ)

 街頭の軽食でいちばん高かったのがこれ。発酵させた酸っぱいキャベツで作るスープだ。こってりした肉のブイヨンに、キャベツ以外に、ジャガイモとハムも入っていた。これにサワークリーム入れて、買い手に渡す。

 商人たちは、自分の店にいながら、これを注文した。一壺のシチーは、10コペイカ銀貨1枚。配達人は、まるで弾丸のように、商店街をあちこち駆け回って、注文した人に、壺入りの熱いスープを届けた。しばらくすると、また配達人がやって来て、食べ終わった壺を回収し、布巾で拭くのであった。

 

7.ズビーテニ(蜂蜜湯)

 ロシアの冬の厳しさは周知の通り。とはいえ、お祭りや娯楽に繰り出すのは、誰も止めはしないし、凍えるのも御免だ。となると、熱い飲み物がいつでも売れるのは当然だろう。

 ズビーテニ(ロシア古来の蜂蜜湯)の売り手は、ズビテンシクと呼ばれた。モスクワでは彼らは、キタイ・ゴロド、オホートヌイ・リャードなどの繁華街にとくに集まっていた。できるだけ長く冷めないように、いろんな細口の容器に注いだ。