ロシアの通貨ルーブルのロゴタイプ=タス通信撮影
ロシア連邦中央銀行はインターネットでオンライン投票を一ヶ月行ない、ロシア人のネットユーザーにより新しい通貨記号が選ばれた。28万票以上の投票があり、5つの候補の中でこの新しい通貨記号は61%の票を獲得した。この記号は今後、国内外の両替所で使われるようになる。
ルーブルに国際化の兆し
700年以上に渡る歴史のなか、ルーブルはロシア国外で正式に使われる事は最近まで一度もなかった。国境付近の綏芬河市(スイフェンホー)では最近になって、ルーブルが自由に流通するようになった。中国政府の決定によると、今後、同市では、人民元とルーブルの両方で貯金が出来るだけでなく、お店などで現金決済する場合にも使える。綏芬河市はロシアと中国両国の行商人が行き交う場所であり、ルーブルを沢山持ったロシアの極東地方からの観光客も多い。昔からこの地ではルーブルでの取引が多かった為、中国政府は、今までの慣例を正式に認めた。他にもポルトガル、ブルガリアやモンテネグロなど、ロシア人観光客が多い国も近い将来、ルーブルでの取引を認めるかもしれない。ルーブルが国際的なものになりつつある今日、その歴史を振り返ってみよう。
元祖は銀の延べ棒
中世の初期、ロシアで鉱業は行なわれていなかったため、外国の銀が通貨代わりに使われていた。小さな外国の銀貨は小額の取引に使われ、額が大きいものの為には、沢山の銀貨を溶かして延べ棒にしたものが使われていた。
13世紀の終わり頃、この延べ棒は「ルーブル」とよばれるようになった。「ルーブル」という言葉を訳すと、「継ぎ目がある物」という意味である。当時の銀の延べ棒は、鋳造する際に出来た継ぎ目があった。ルーブルは非常に高価であったため(1 ルーブルで牛の群れを買う事が出来た)、所有者は少なかった。小額の支払いには、海外の貨幣を用いた。
1856年の1 ルーブル札=画像提供:wikipedia.org
ピョートル大帝の時代、1704年に初めてロシアのルーブルの貨幣が作られた。ちなみに、後に世界中で使われるようになった十進法貨幣制はピョートルにより初めて導入された。しかし、貨幣が現れると、 贋造貨幣も現れた為、18世紀には様々な防止策が試された。ある時には、巨大な銅製のルーブル硬貨が出来た。直径7.5cm、厚さ3.5cmもあるこのコ インは重量1キロあり、流通することはほとんどなかった。最近では、2003年のオークションで8万ドルで落札された。
ルーブルに二重の基準
国家の金融ニーズが増すにつれ、紙幣が導入された。当初、貨幣と同等の価値があったが、印刷しすぎた為価値が下がった。19世紀には、1ルーブルの物 を買うには銀貨1ルーブルで払うか、紙幣では3〜4ルーブル払う、という二重の基準があり、この奇妙なシステムはロシア文学でも描かれた。
ロシアの劇作家、アレクサンドル・オストロフスキーの『熱い心』では、商人が起こした取っ組み合いの喧嘩の責任をとる為に100ルーブル支払うと約束するが、結局、紙幣 で300ルーブル払う事になる。貴族同士の重要な支払い(賭博で負けたときの負債は早く支払わないと不名誉になる)は依然、銀のルーブル硬貨で支払われ た。驚くべき事に、ウラルでプラチナが発見された後の1828年には、プラチナの硬貨が作られた。当初、この金属の特性は知られていなかった為、金や銀よ りはるかに安価とされていた。
内戦期の百花繚乱
1897〜1914年の間、金のルーブル硬貨が出回った時期もあった。貨幣制度改革の後、ルーブルは史上初めて国際的に競争力のある通貨になったが、革命後、金融は大混乱した。当初、ボリシェビキは考えが甘く、お金そのものを廃止しようとしたが、これはどう考えても不可能だった。
内戦中、ロシア各地で 地域ごとの代理通貨が登場した。アルハンゲリスクの紙幣には、セイウチの絵があり、極東では日本人の商人、島田元太郎が紙幣を造幣し、ヒヴァ・ハ ン国のハンは、紙幣ならぬ絹幣を作り、紙不足のヤクーツク地方では、地元高官の私蔵ワインのラベル裏にお金が印刷された。
これらの新しい「紙幣」は瞬く間 に価値を失ったので、わずか数年後には壁紙や包装紙代わりに使われるようになった。1923年にようやく、ルーブルが国の通貨として再導入されたが、ソ連時代にはルーブルの価値を支える為に3回の貨幣改革が行なわれた。
木製ルーブル
2010年の5千ルーブル札=画像提供:wikipedia.org
1992〜1993年に、新しいルーブルにより、現在の貨幣制度が確立された。新システムではルーブルはソ連時代より更に価値が低く、1996年には最も貧しいロシア人でも千ルーブルや万ルーブル単位で使っていた。トラムの運賃は1000ルーブル、新聞は800ルーブル、米㌦は、1ドル=5000~6000ルーブルだった。高価な革命前のルーブル金貨に比べ、新しいルーブルは木片より価値が低い為、90年代にロシア人はルーブルを「デレヴャンヌイ」(ロシア語で「木製」を意味する)と呼び始めた。
1997〜1998年の経済危機の間、ルーブルは1000分の1のデノミが行なわれ、新しい紙幣が造幣されて現在のロシア・ルーブルが誕生した。世界市場での価値はまだあまり高くないが、新しい通貨記号も手伝って、今後ルーブルの人気が高まるかもしれない。
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