エフゲニア・メドベージェワ=
ウラジーミル・ペスニャ/ロシア通信―ファイナルは大変でしたか?
グランプリファイナルは初めてではありません。少しばかり経験がありますので、大会の進行とか、感覚は既知のものです。踏み固められた道を歩いていき、なすべきことをする、という感じです。
―頂点に到達することは難しい、頂点に留まることはもっと難しい、と言いますが。
重い荷物を運ぶようにして、成功に成功を重ね、ファイナルにたどり着く・・・という感じでもないのです。というのも、私は自分のやっていることが好きなんです。毎日の練習で自分に打ち勝つことが。歌の文句みたいですが、「長く苦しめばどうにかなる」んです。
―ショートプログラムでは世界記録を樹立しました。フリーでの滑走に影響はありませんでしたか?満足感でかえって気勢が殺がれてしまうということはありませんでしたか?
いいえ。私にとって世界記録は、自分への自信をさらにひとつ深めることでしかありませんでした。よし、さらに一歩前へ進んだぞ、という感じです。プレッシャーにはなりません。幸いなことに。
―フリープログラムの滑りはどうでしたか。
ミスはつきものです。フリーの最初のエレメントでミスしてしまい、不満には思っています。そうじゃなかったら変でしょう。でも、跳べなかった連続ジャンプをプログラムの後半に持ってくることができて良かった。本当の話、こんなことは今まで一度もなかったんです。フリップをひとつ連続ジャンプにしないといけなかったので、二回目のジャンプにすがりつくことになりました。それは絶対に必要なことだったんです。うまくいって良かったです。
―フリーは深刻な、沈潜を要するプログラムだったのに、その上ジャンプの再配置まで考えることになったんですね。
練習では予備の案というものを一応考えますが、それに頼らざるを得なくなるということには、なるべくなりたくないものです。
―フリーは9.11のテロをテーマとするものでした。十分自分のものとすることができましたか。
はい。プログラムはとても気に入っています。私もコーチも振付家も、すごくいい仕事をした、と思っています。プログラムはどんどん、人が見て「分かる」ものに仕上がっていっています。私たちはそれに努めています。
―今回のグランプリシリーズは相当難しいスタートでした。最初のカナダ大会に向かう前日に体を壊し、熱を出してしまいました。大変でしたでしょう。
今でこそそれについて話すこともできます。もう過去のことですから。でも当時は、一体どうやってこれを耐え抜くことができるのか、想像もできないほどでした。助けてくれたお医者さんたちに感謝したいです。風邪で熱を出していたんです。競技当日は幸い熱も下がっていましたが、後遺症みたいなものがその後も続いていました。
―フリーではジャンプの大半が後半に回されています(体力的に難易度が上がる後半でのジャンプには加点がなされる)が、ライバルたちもそれを手をこまねいて見てはいません。現実的に考えて、これ以上どうやってプログラムを高度化できるでしょうか。
私はトリプルアクセルが苦手です。練習で、ロープ付きで四回転サルコウを跳んでみたこともあるのですが、ロープ付きだと全然感じが違いますから・・・。未来のことを言うのはよしましょう。その時が来れば分かります。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。