川口悠子選手のコーチにインタビュー

タマーラ・モスクヴィナはフィギュアスケートのペアでアレクセイ・ミシンと組み、世界選手権とヨーロッパ選手権で銀メダルを獲得したが、金メダルは手にできなかった。彼女を待っていたのは、世界のフィギュア・スケートで優れたコーチの一人になるという運命。30年間で教え子のペアが獲得したのは、五輪のメダルだけでも金4個と銀4個。
タマーラ・モスクヴィナ(左)と川口悠子、アレクサンドル・スミルノフ組=エカテリナ・チェスノコワ撮影 / ロシア通信
タマーラ・モスクヴィナ(左)と川口悠子、アレクサンドル・スミルノフ組=エカテリナ・チェスノコワ撮影 / ロシア通信

 現在教えているのは、五輪でメダルを目指す川口悠子とアレクサンドル・スミルノフ。この2人を阻むものはケガだけだ。スミルノフは右ひざを大ケガして手術を受けたが、すでに氷上での練習を始めている。

 世界選手権で銅メダルを2度獲得している2人は、ようやくウォーミングアップを始めた。モスクヴィナはスケート靴をはいたまま、客席にいる私の横に座る。

タマーラ・モスクヴィナ

 1941年6月26日レニングラード生まれ。フィギュア・スケートのシングルから始める。両手で片足を頭上でつかみ、片足だけで回転する、ビールマンス ピンの原型の考案者。その後ペアに転向。1969年に世界選手権でアレクセイ・ミシンと銀メダルを獲得し、その後すぐにコーチになる。教え子の4組のペア が五輪で金メダルを獲得している。エレーナ・ヴァロワとオレグ・ワシリエフ組(1984)、ナタリヤ・ミシュクチェノクとアルトール・ドミトリエフ組 (1992)、オクサーナ・カザコワとアルトゥール・ドミトリエフ組(1998)、エレーナ・ベレジュナヤとアントン・シハルリゼ組(2002)。

 「私は凍ったジダノフカ川でスケートを始めました。学校で隣に座ってた子がフィギュア・スケートをしていたので、おもしろそうで、お願いして一緒に滑り ました。その時は10歳だったと思います。スポーツ・マスターの候補になって、その後マスターになりました。ずいぶんと練習しましたよ。リンクの上だけ じゃなくて、振りつけも一生懸命練習して、大会に出場して、ソ連代表に選ばれました。その時にようやく、スポーツをやっているという実感がわいたので す」

 モスクヴィナは話しながらリンクの手すりのところまでかけよって行く。私のインタビューを受けている最中でも、氷上の川口とスミルノフのことを考えている。

 「フィギュア・スケートは今、あまり人気がありません。でもオペラに行く人もそれほど多くありませんからね」

 川口とスミルノフは練習を終えて更衣室に消え、モスクヴィナは再び私のとなりに戻ってくる。

 「今の子供にはたくさんの娯楽があるので、フィギュアの人気が今後急激に高まることはないでしょう。サッカーには市場があって、大金が支払われますが、 フィギュアにはそのようなものはありません。スケーターが少ないので、需要がないのでしょう。ロシアにはイリヤ・アベルブフの「氷河期」ショーがあります が、2ヶ月ぐらいおこなわれるだけですし、出演するのも14人です。残りのスケーターはどうすればいいのでしょうか。どこに招待されるべきなのでしょう か、そしてどんなイベントに参加するべきなのでしょうか。必要があれば、契約や代理人が生まれるはずですけどね……」

 

モスクヴィナ・コーチの一問一答 

-川口・スミルノフ組の指導は、これまでのペアと比べて楽ですか、それとも難しいですか。

 教えるのはいつでも難しいです。選手が世界の上位を目指すなら特に。やりたくないなら、やらなくていいから、楽な方に進みなさいと言えますけどね。自分の仕事について話すとしたら、辛くはないです。喜んでやっていますが、ただ、困難や変化のない活動なんてあり得ませんし、問題のない人間もいません。私の性格も優しいなんてとても言えませんし。

 

-モスクヴィナ・コーチのまわりの人が苦労しているということですか。

 「自分で自分の性格診断と指導方式の分析を行ってみたのですが、民主主義者どころか、自由主義者だという結論に達しました。ですが、創造においては、実は 強制なしにことは進みません。必要なことを必ずするとは限らないのが人間の性です。そのため、そうですね、強制というよりも、成果を出すためにはやらな ければいけないんだと理解させています。ずるさと精神的操作ですね。

 

独裁コーチになって、完全に自分流に教え込みたいと思ったことはありませんでしたか。

 そういうこともありました。ただ、すでにスターになった高いレベルの選手を教え始める時は、自分にこう言い聞かせるようにしています。『タマーラ、彼らを自分に従わせるのと、彼らが自発的にやるように刺激するのと、どちらが重要か考えなさい』とね。人に何かをやらせようとすると、大抵、相手は反発しま す。ですから、反発のないように誘導しなければならないわけです。ですが、このような”操作”以外にも、自分の過ちを認めることも重要です。『私がどこかで何か間違ったことを言ったかもしれないから、できるように自分流にやりなさい』と選手に言います。それでもうまくいかなかったら、そもそも私の見つけた アプローチが悪かったのではないか、私の選んだ音楽が悪かったのではないか、と考えるようにしています。飛べなかった選手にすべての責任を負わせるのは一 番楽なことです。

 

-川口・スミルノフ組以外で教えているのは誰ですか。

 私はこの2人に集中することに決めました。いくつも手がけて失敗するよりも、一つを成功させる方が良いですから。私はもう72歳になりました。そこで 自分にこう言ったんです。『タマーラ、自分を高く評価しているし、健康だし、何でもできるけど、そろそろサンクトペテルブルクのペア・フィギュア・スケー ト学校の後任を探しなさい。若手に譲りなさい!』と。ただ引退するのではなく、次の世代への移行がスムーズに進むような条件づくりが必要です。他にもやり たいことはたくさんあります。2~3週間の完全な休暇をとって、どこかに行くなど。一般的に教授はどのぐらい休暇を取っているのでしたっけ?48日ですか?今年私が何日休んだかは言わないでおきましょう。とても旅行がしたいのです。世界中をまわりましたが、いつも仕事ばかりで、何も見れていないので。

 

-比較的リラックスして試合にのぞめるコーチはあまりいませんね。男子バレーボールのウラジーミル・アレクノ監督はロンドン五輪開催中、緊張のあまりずいぶん痩せたそうです。

 せめて5キロぐらい、私も痩せたいです。女性は年齢に関係なく、やせることを夢見ているものです。でも2人の娘と愛する夫イーゴリ・モスクヴィンという家族がいるだけで十分ですから、これ以上は望みません。ところで来年5月は、結婚50周年ですよ。家族の幸福というメダルは何ものにも代えがたい です。

 

記事全文(ロシア語

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