=アレクセイ・ダニチェフ/ロシア通信撮影
2008年4月、サンクトペテルブルクのワレンチナ・マトヴィエンコ市長(当時)は、2020年夏季五輪の候補都市に立候補する可能性を表明していた。だがこの年はリーマンショックの年で、以降この話題がのぼることはなかった。2011年夏に、 ロシア・オリンピック委員会のアレクサンドル・ジューコフ会長が、2024年と2028年夏季五輪について触れたが、正式かつ具体的な構想はやはり出て来なかった。
目指せ、2028年サンクト五輪!
業を煮やしたサンクトペテルブルク市民は、政府に頼ることなく自分たちで活動しようと決めた。「サンクトペテルブルク2028(Saint Petersburg–2028)」という団体を組織し、戦略目標をかかげ、五輪を何とか呼び込みたいと考えている。
このプロジェクトの責任者、ミハイル・ラジコさんはこう話す。「我々は国際的なスポーツ・マネージメントとマーケティングを行っている。五輪は単に試合やスポーツというだけではなく、街の快適性、安全性、永続性など、街の発展を目指した一連のプロジェクトの策定や実現だ。これは文化であり、教育であり、インフラである。遠い未来ではなく、今実現しなければ。2028年のオリンピックとパラリンピックの開催都市に選ばれ、実現されることを目指している。招致のためにすでに15ヶ月以上活動しており、関心のない人々にも我々の未来の街のためにと、協力を呼びかけている」。
ロシア初の“下からの”五輪なるか
「サンクトペテルブルク2028」は、招致を実現するために具体的に何を計画しているのかについて、詳細な説明をするには時期尚早だと考えている。ラジコさんによると、現段階ではIOCが国の支援を要求しないため、正式な立候補も行われないのだという。政府にはこの五輪について考える時間が十分ある。2028年五輪の開催都市選定は2021年に行われるし、立候補の締め切りも2019年だ。
ロシアでは、正式な機関が動く前に、市民が大きなスポーツ大会に関して”お上”に呼びかける試みは、それほど行われていない。これ以前の活動はどれも消極的で、ほとんど相手にされなかった。
例えばソチが冬季五輪の開催地に選ばれた数ヶ月後、同じくサンクトペテルブルクで、あるグループが結成された。このグループは、ソチ五輪のマスコットをマモンチョノク(マンモス君)にして、ぬいぐるみやお菓子にしようと活動していたが、正式な反応は皆無だった。オリンピック組織委員会は、ソチが選定されるずっと前に、すでにマスコットを決めていたのだ。
*元記事(露語)
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