-北朝鮮での映画製作を思い立った理由は?
私は常に、なぜ全体主義社会が存在するのかという問題に興味をもっていました。なぜ人は、こうも簡単に、たった一度の人生を、こうした体制に従いつつ、捧げてしまうのか?…しかし、こういう問題は、アーカイブや回想を頼りにしたドキュメンタリー映画の形では、追求するのが難しい。そこで、こうした体制が未だに残っている国に目を向けたのです。で、北朝鮮で映画を撮るというごくささやかな希望が生まれたわけです。とにかく、それについて考え、実現を目指してきた結果、願いが現実になったのです。
-映画製作について、北朝鮮側とどうやって合意できたのですか?
交渉はほぼ2年かかりました。絶えず向こうの立場に耳を傾け、それを受け入れ続け…――交渉はこんな感じでしたよ。つまり、向こうが次々に出してくる条件と要求を一歩一歩呑んでいったわけですね。
―ということは、シナリオと主役たちも、北朝鮮側が提示してきたのですか?
シナリオは、会話や生活の情景などをともなう、現実の北朝鮮の人たちについてのものなんですが、前もって北朝鮮側が書いていました。もっとも、ヒロインは自分で選ぶことができました。5人の候補のオーディションにたった10分間しか与えてくれませんでしたけどね。理由は、女の子たちはみんな忙しいから、ということでした。
でも私は、一人ずつに二、三の質問をすることはできたので、その答えにもとづいて、ジンミちゃんを選んだのです。パパはジャーナリストだよ、と言っていたので、それなら彼といっしょにどこかへ出かけて、何か面白いものが撮れるんじゃないか、と思ったのです。ママは工場の食堂で働いているということでした。住まいは駅のそばで、ワンルームマンションに両親と祖父母たちと住んでいると…。ところが、いざ撮影に乗り込んでくると、いきなりこんな“事実”を知らされました。パパはもうジャーナリストではなく、繊維のモデル工場で技師をしており、ママも、乳製品のモデル工場に勤めているというんです。しかも、親子3人で、ピョンヤン最高の3部屋の高級マンションに住んでました。窓は川に向いていて、あの主体思想塔が見えるという。
しかし、撮影を進めるなかで、家具はまだ新品で、棚の中は空っぽ、浴室も使った形跡がないことに気づきました。この高級マンションは、撮影に時期に限って与えられたんだな、とすぐに勘ぐりましたよ。
-北朝鮮側はアシスタントや助手を提供してくれましたか?
我々には5人の付き添いがいまして、形式上は我々の助手だということになっていたのに、我々が頼んだことをやってくれたためしがありません。それからもう一つ気づいたのですが、いろんな場所で、我々のまわりを、複数のまったく同じ人間が、やや遠巻きにしてくっついているのです。我々と一緒じゃないようなふりはしてましたが。これは、我々には紹介されなかった遠巻きの“エスコート”だったんですね。
-俳優たちと相互理解は得られましたか?
彼らの誰とも、いかなる問題も生じませんでした。それというのも、彼らは我々の希望にはまったく注意を向けず、我々の付き添いが出す指示に100%従っていたからです。そうすることで、北朝鮮で起こり得る問題から守られていたわけですね。北朝鮮側から見ても、俳優たちに対して何か文句があろうはずはありません。その理由は簡単で、なにしろ彼らは、何一つ自分の意志ではやらず、ただ指示を遂行していたにすぎないのですから。指示は、どこに、どうやって立つか、何を見るかといったことにまで及んでいました。インタビュアーはマリア・カルムイコワ
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