1. 「シャーロック・ホームズとワトソン博士の冒険」(1979年〜1986年)
アーサー・コナン・ドイルの推理小説はソ連国民に非常に愛され、何度か映画化された。しかし、最も伝説的なのはワシリー・リヴァノフが主人公を演じたシリーズだった。シャーロック・ホームズの故郷でも好まれ、俳優は大英帝国勲章を授与された。
2. 「集合場所は変えられない」 (1979年)
戦後のモスクワでソビエト警察が犯罪とどのように戦うのかを描いたカルト的シリーズ。主役は伝説のウラジーミル・ヴィソツキー、相棒はウラジーミル・コンキンが演じた。第1話目がテレビで放映されると、路上犯罪がさらに減ったと言われている。誰もがかっこいい主人公たちの冒険に興味津々だった。
3. 「10人のインディアンの子」 (1987年)
西洋ではこの物語は「そして誰もいなくなった」という名称に変更されたが、スタニスラフ・ゴヴォルキンの映画はアガサ・クリスティの元のタイトルが今も残っている唯一の映画である。(したがって英語でそのまま Desyat Negrityat と書かれている)
伝説の推理小説の映画化作品の撮影は、美しいタチアナ・ドルビッチからタルコフスキーの「ストーカー」でおなじみのアレクサンドル・カイダノフスキーといった、ソ連最高の俳優たちの参加のもと、絵のように美しいクリミアの断崖で行われた。
4. 「捜査はエキスパート(ZnaToKi)によって行われる」 (1971年~2002年)
あらすじはモスクワ刑事捜査局の3人の職員が複雑な事件を解明するというもの。このシリーズは18年間休むことなく放送され、視聴者に非常に愛されたため、中断後に再び放送された。
「ZnaToKi (エキスパートの意)」は専門家を意味するだけではなく、主人公の姓の頭文字であるズナメンスキー(Z)、トミン(T)、キブリット(K)の頭文字でもある。
5. 「女を探せ」 (1982年)
魅惑的なソフィコ・チアウレリが主人公を演じる、パリの公証役場で起きた殺人事件を描くコメディ推理映画。物語は1つの場所で行われ、監督のアラ・スリコワは映画すべてをモスフィルムのスタジオで撮影した。噂によると、パリの景色は有名な監督ゲオルギー・ダネリアがこの映画のためにアマチュアカメラで撮影したものだとのこと。
6. 「タス通信社は宣言する…」 (1984年)
主人公に人気の「シュティルリッツ」ことヴャチェスラフ・チホノフを起用した冷戦時代のスパイシリーズ。物語の中で、KGB はアフリカの架空の国におけるソ連情勢に関する機密情報を CIA に送信している裏切り者を特定しようとする。
7. 「ペトロフカ通り38番」 (1980年)
筋が波乱万丈のこの映画のおかげで、ロシアでは誰もがペトロフカ通り38番の住所を知るようになった。モスクワ刑事捜査局がそこにある。そこの捜査員たちはギャング一味を追跡捜査する。
8. 警察官アニスキンについての三部作 (1968年~1978年)
気立てが良く、不器用だが洞察力に優れた村の警察官アニスキンは、窃盗や強盗を巧みに解明していく。この主人公を描いた映画は3本公開された。第一部「村の探偵」の成功を受けて、主演を務めた俳優ミハイル・ジャロフ自身が続編「アニスキンとファントマス」と「アニスキン再来」を撮影した。
9. 「ある男のための罠」 (1990年)
このコメディ探偵映画はフランスの戯曲がもとになっている。舞台はパリ郊外。若い男が妻が行方不明であると警察に通報するが、突然妻を名乗る人物が現れる。彼は、詐欺師が自分の財産を狙っていると考えていたが、話はさらに複雑であることが判明する...
10.「諜報人の間違い」 (1968年)
1960年代のスパイを描いた、繊細かつ複雑な心理探偵映画。ロシアの亡命した伯爵の息子が諜報員をスカウトするためにソ連にやってくる。しかし、ソ連の防諜部隊が彼を追跡する。その後、この諜報員に関するさらに3本の映画「諜報人の運命」、「諜報人の帰還」、および「諜報作戦の終わり」が公開された。