ウラジーミル・ナボコフの17作品:言葉の魔術師の「最悪の作」から最高傑作まで

カルチャー
ワレリア・パイコワ
 様々な文学様式を操る巨匠、詩人、著名な昆虫学者、そして何度も映画化、舞台化された優れたバイリンガル作家。本日は、20世紀の文学界の巨人の一人、ウラジーミル・ナボコフの誕生115周年。

 ナボコフは、50年間で17の長編小説を完成させ、それぞれがロシア・アメリカ文学の世界で特別な位置を占めている。

 ナボコフの小説には、こんな警告が必要かもしれない。中毒性がある!すごく印象的なスタイルで書かれているので、何度も繰り返し読み直して、新しい意味や解釈を呼び起こさなければならない。比類のないナボコフの言語には、いわばシナモンの知恵によるスパイスが効いたシャンパンといった輝きがある。

 ウラジーミル・ナボコフ(1899~1977年)は、読者を観客に変えることを夢見ている、と言ったことがある。その夢は、彼の生涯において実現した。作家は、自分の読者をテキストの意味の深淵に沈めた。

 ナボコフを読むことは、最初は言語上の試練のように思えるかもしれない。しかし、数頁読むと、あたかも蝶が軽やかに羽ばたくように、矛盾に見えたものが消えて、慣れてしまう。

 「文学と蝶は、人間に知られている二つの最高に甘美な情熱だ」とナボコフは言った。ちなみに彼は、エキゾチックで希少な蝶の4300以上の標本コレクションを持っていた。

 「私は自然の世界に、私が芸術に求めていた非実用的な喜びを発見した。どちらも魔法の一形態であり、複雑な魅惑と欺瞞の遊戯だった」 

17. 『マーシェンカ』"Машенька (Mary)" (1926年)

 『マーシェンカ』(Mary)は、初恋、ほろ苦い懐かしさ、そして悔恨について物語る。このナボコフのデビュー作は、当初は『幸福』と題されていたが、自伝的なディテールを多く含む。

 小説の舞台は、ベルリンのロシア人亡命者の下宿だ。主人公のエミグレ、レフ・ガーニンは、隣人の妻がかつての初恋の人、マーシェンカであることを知り、驚愕する。彼女が間もなくロシアから到着すると聞いたガーニンは、駅で彼女を待ち構えて引っさらうことを企てるが…。

 マーシェンカは、過去から乱入してきた強烈な思い出であり、過ぎ去った時代と幸福の、夢のような象徴。言い換えれば、「彼の青春とロシアのすべて」だ。

 しかし、企てを実行する土壇場でガーニンは、過去へのタイムトラベルなど不可能だと悟り、ベルリンとマーシャの双方に、永遠に別れを告げる。

 「初恋の濃厚な幸福感には独特のものがある」と、ナボコフは後に、『カメラ・オブスクーラ』(英語版「Laughter in the Dark」)で書いている。

 ナボコフは1924年に『マーシェンカ』を書き始めた。年末までに2つの章が書かれたが、作家は原稿を破棄し、その一部のみを残した。それは、1925年1月に『ロシアへの手紙』(A Letter to Russia)という題名で刊行した。

 ナボコフは1925年春に、この小説の執筆に戻った。ヴェーラ・スローニムと結婚したときのことで(二人は52年間連れ添った)、彼女に小説を捧げている。こうして、『マーシェンカ』は、1926年に、ウラジーミル・シーリンという筆名で、ベルリンで出版された。

 

*日本語訳:

・大浦暁生訳、新潮社、1972年、新装版1989年(英語版の翻訳)

・『ナボコフ・コレクション(1) マーシェンカ/キング、クイーン、ジャック』 奈倉有里・諫早勇一訳、新潮社、2017年。

16. 『見てごらん道化師(ハーレクイン)を!』(Look at the Harlequins!)(1974)

 「私はアメリカの作家だが、ロシアで生まれ、イギリスで教育を受け、15年間フランス文学を学び、その後ドイツに移住した。…私の精神は英語を話し、心はロシア語を話し、耳はフランス語を話す」。ウラジーミル・ナボコフは自分自身についてこう語る。

 ナボコフが最後に完成した小説『見てごらん道化師を!』は、英語で書かれており、ロシア系アメリカ人の有名作家、ワジム・ワジモヴィチ・Nなる人物を描いている。

 この作家は、失敗した結婚と恋愛をめぐる一連の個人的エピソードや、偽造パスポートを使ったソ連への大旅行などを回想する。

 ナボコフ自身は、1919年に一家でロシアを離れた後、帰国したことはないが、妹エレーナから、この架空の旅行のための、貴重な観察、アイデアを聞いた。彼女は、1960年代に何度か母国のレニングラード(現サンクトペテルブルク)に帰郷している。

*日本語訳:

・筒井正明訳、立風書房、1980年。

・メドロック皆尾麻弥訳 『見てごらん道化師を!』、作品社、2016年。

15. 『透明な対象』"Transparent Things" (1972年)

 筋はかなり複雑だが、読者はもう少し長ければいいのにと思いつつ、この比較的小ぶりな小説を90分くらいで読了するだろう。

 『透明な対象』は、作家の死のわずか5年前に書かれており、愛、死、そして時間についての、彼の晩年の瞑想であって、苦い皮肉と哲学的な思索に満ちている。

 たとえば、次のような一節がある。「もし、人間の死後も生が続くことを証明できれば、人間存在の謎も解けたか、解けかかっていることになる、と一般には考えられている。ところが、残念ながら、この二つの問題は必ずしも重複したり混ざり合ったりしているわけではない。 

*日本語訳:

・若島正、中田晶子訳、国書刊行会〈文学の冒険〉、2002年。

14. 『アーダ』"Ada or Ardor" (1969年)

 注意:これはナボコフの最も長く、最も複雑な小説だ。なぞなぞ、たとえ話、仄めかしに満ちており、不可解な点も多少ある。『アーダ』はラフな作品だ。真に天才的な瞬間がある一方で、しばしば冗長である。だから、万人のための作品とは言えない。

 たとえば、『時の矢』を書いた英国の小説家、マーティン・エイミスは、こう白状している。「『アーダ』を読もうと、少なくとも5~6回試みたが、その都度すぐに失敗した」

 ナボコフのこの15作目の長編は、こんな筋だ。アンチテラという架空の惑星において、その一種牧歌的な世界で、兄妹であるヴァンとアーダの近親相姦をめぐり、話が展開していく。

*日本語訳:

・斎藤数衛訳、早川書房(上下)、1977年。

・若島正訳、早川書房(新訳版 上下)、2017年。

13. 『絶望』"Отчаяние (Despair)" (1936年)

 ロシア系のドイツ商人、ゲルマンが犯罪を企てている。これは、大胆不敵で独創的な真の「傑作」になるはずだった。しかし、人生そのものが最も荒唐無稽なゲームであり、そのもっともらしさが現実を歪める、ということがよくある。 

 ナボコフの『絶望』が1936年に日の目を見たとき、ロシアの詩人で文芸評論家のグレブ・ストルーヴェは次のように述べた。

 「シーリン(ナボコフの筆名)の独創性の主な特徴は何だろうか?それは、愉快で意識的な、創造的な恣意性だと、私は定義する。創造的で、魔術的に軽やかな力により圧倒的な印象を与える作家は、他にいない。シーリンは生活を描いてはいない。それに平行する別の平面で創り上げる」

 確かに、ナボコフは、人間のさまざまな感覚、感情の融合を捉えることにおいて、他の追随を許さなかった。

*日本語訳:

・大津栄一郎訳、白水社、1969年(英語版の翻訳)。

・貝澤哉訳、光文社古典新訳文庫、2013年(ロシア語原典版の翻訳)。

12. 『目』"Соглядатай (The Eye)" (1930年)

 ベルリンで書かれた『目』は、ナボコフの最も神秘的かつ機知に富んだ作品の一つであり、成熟した作家のスタイルの特徴がよく現れている。もともとはロシア語で書かれており、ナボコフの長編としては最も短いが、その技が見事に発揮されている。

 主人公は、ベルリン在住のロシア人亡命者で、愛人の嫉妬深い夫にぶん殴られてしまう。屈辱に耐えかね、主人公は自殺を決意するが、負傷しただけに終わる。しかし、死に瀕した体験により、彼の人生は変わる。

 『目』は、フョードル・ドストエフスキーの『地下室の手記』とよく比較されるが、その理由は容易に分かる。いずれの作品も、人間生活の本質に深く切り込んでいる。

 「過去を振り返り、 『もし…だったら、どうだったか』と自問し、ある偶然の出来事を別の偶然に置き換えて、人生の灰色で、不毛で、ありふれた日常の瞬間から、実際には開花しなかったすばらしい薔薇色の出来事がいかに育ったかを微細に想像してみることには、刺激的な快楽がある…」

*日本語訳:

・『四重奏・目』、小笠原豊樹訳、白水社 1968年、新装版1992年。

・『コレクション(3) ルージン・ディフェンス/密偵』 杉本一直・秋草俊一郎訳、新潮社、2018年。

11. 『ベンドシニスター』"Bend Sinister" (1947年)  

 ナボコフの英語で書かれた2番目の小説だ。フランツ・カフカの『審判』やジョージ・オーウェルの『1984年』のスタイルの輝き、知的な美しさ、哲学的な深みに比肩するだろう。この戦慄に満ちたディストピア小説の題名は、「不吉な左翼の世界」――共産主義とファシズムの広がり――へのナボコフの態度に関係している。

 この複雑な小説は、某国のパドゥクグラード市で展開する。この国では、革命の結果として、独裁体制が確立されたばかりだ。政権党「普通人党」は、人間の個性を否定する「均等主義」を掲げ、独裁者パドゥクが支配する。尊敬されている哲学者アダム・クルグは、パドゥクの元同級生だが、ある日、その独裁者から「党に協力してくれ」と求められる。クルグが断ったらどうなるだろうか?

 「地球上に本当に重要なことは何もない。恐れることは何もない。死はスタイルの問題であり、単なる文学的な装置であり、音楽的な決意にすぎない」。ノーベル文学賞に数回ノミネートされたナボコフは、この『ベンドシニスター』に書いている。

*日本語訳:

・加藤光也訳、サンリオSF文庫 1986年/みすず書房(改訳)、2001年。

10. 『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』"The Real Life of Sebastian Knight" (1941年)

 これはナボコフが英語で書いた最初の小説だ。「セバスチャン・ナイトは、1899年12月31日にわが国(*ロシア)の旧首都で生まれた」

 小説の冒頭のフレーズは、小説で「V.」という略語で示される、セバスチャンの異母弟によって語られている。セバスチャン・ナイトは、ロシアの有名な作家であり、英語で書き、パリの病院で亡くなったという。「V.」は、兄の生涯を少しずつ復元しつつ、実は解体していくことになる。それにより、ナボコフの複雑で多層的な小説は、いよいよ精彩を放つ。

*日本語訳:

・富士川義之訳、講談社 1970年/講談社文芸文庫、1999年。                  

9. 『青春』"Подвиг (Glory)" (1932年)

 ナボコフの5番目の小説は、人間の性格形成と成熟に関するものだ。「素晴らしい小説は何よりも素晴らしいおとぎ話だ。…文学は真実を語らないが、それを創り上げている」。作家はこう言う。  

 『青春』というおとぎ話のモチーフは、主人公のロマンチックな若者に関連している。彼は、子供の頃からおとぎ話や騎士の伝説の世界に魅了されていた。

  その主人公、マルティン・エーデルワイスは、スイス人のハーフだ。サンクトペテルブルクで生まれ育った彼は、革命後、母親といっしょにロシアを離れてヨーロッパに行くことを余儀なくされた。彼はよく旅行し、テニスをし(ナボコフもテニスが大好きだった)、ケンブリッジで文献学を学び、ソニアに恋をする。しかし、片思いだ。最愛の人の心を勝ち取るために、青年は、恐れに直面し、危険を冒さなければならない。

 ナボコフは、『青春』は「恐怖の克服、そして栄光の勝利と至福」であると述べた。

*日本語訳:

・渥美昭夫訳、新潮社、1974年。

・貝澤哉訳 『偉業』光文社古典新訳文庫、2016年(ロシア語原典版の翻訳)。

8. 『キング、クイーン、ジャック』"Король, дама, валет (King, Queen, Knave)" (1928年)

 家庭生活、浮気、悪意――こういったことは、月並みな描写に陥りかねないが、最高級のサスペンスの名人、ウラジーミル・ナボコフのような果敢な作家には当てはまらない。別格のジャグラーであるナボコフは、一見些細なストーリーをスリリングなパズルに変え、息もつかせない。

 貧しいフランツは、裕福な叔父のもとで働くためにドイツの首都にやって来るが、叔父の妻で、自分より13歳年上の、倦怠しているマーサに惚れ込む。

 これは、ナボコフの2作目の小説で、ロシア語で書かれ、ベルリンを舞台にしている。予想外の結末で読者をノックアウトするだろう。

 『キング、クイーン、ジャック』は、文学的な紋切り型と、機知に富んだパロディとの間でバランスをとる試みだ。そして、フョードル・ドストエフスキーの『罪と罰』に対する、ナボコフの一風変わった回答でもある。

*日本語訳:

・『キング、クイーンそしてジャック』出淵博訳、「世界の文学8 ナボコフ」、集英社、1977年。

・『ナボコフ・コレクション(1) マーシェンカ/キング、クイーン、ジャック』、奈倉有里・諫早勇一訳、新潮社、2017年。

7. 『ディフェンス』"Защита Лужина (The Defense)" (1930年)

 これは、非常に巧妙につくられた作品だ。主人公は、チェスに夢中になるあまり、徐々に現実から遊離していく。

 この小説でナボコフは、一石二鳥を実現している。彼は、主人公の夢幻的なまでの変容を華麗に描き出し、そのフルネームは、ようやく小説の最後の文で明かされ、読者のイメージを再構成する。ちょうどチェスのプリズムを通して小説の全体像が見えてくるように。確かに、それはチェックメイトだ! 

*日本語訳:

・若島正訳、河出書房新社 1999年、新装版2008年。

・『コレクション(3) ルージン・ディフェンス/密偵』、杉本一直・秋草俊一郎訳、新潮社、2018年。

6. 『カメラ・オブスクーラ』"Камера Обскура" (1932年) (ナボコフによる英訳のタイトルは『闇の中の笑い』"Laughter in the Dark")

 これは、ナボコフの最もドラスティックで、絶望的なスリラー小説だろう。1920年代のドイツが舞台で、もともとはロシア語で書かれていた(ナボコフは後に自ら英語に翻訳している)。  

 主人公ブルーノ・クレッチマーは、ベルリン在住の美術評論家で、幸せな結婚生活を送っており、しかも裕福だ(英語版では、主人公の名はアルバート・アルビヌス)。ところが、その彼が破滅的な恋に陥る。相手は、マグダ・ピーターズ(マーゴット)という、映画スター志望の若い娘。彼女は、ハリウッドを夢見つつ、映画館で案内嬢をしている。

 この若い野心家の娘は、主人公ブルーノに妻子と別れさせる。が、その後、彼女は、新しい恋人と共謀してブルーノの財産横領を企てる。さらにブルーノは、自動車事故に巻き込まれて失明し、最後は非業の死を遂げる。ナボコフは、『カメラ・オブスクーラ』を自分の「最悪の小説」だと述べた。

 「とくに良くはない。ちょっと雑だしね…」と彼は言った。それでも作家は、ニューヨーク・タイムズ紙へのインタビューで、「これは、時々私に少しばかりのお金をもたらしてくれた唯一の本だ」と語った。 

*日本語訳:

・篠田一士訳『マルゴ』、河出書房新社、1967年(人間の文学)。新装版(河出海外小説選)、1980年(英語版の訳)。

・貝澤哉訳『カメラ・オブスクーラ』、光文社古典新訳文庫、2011年(ロシア語原典の訳)。

・川崎加代子訳『マクダ』、未知谷、2014年(ロシア語原典の訳)。

5. 『断頭台への招待』"Приглашение на казнь (Invitation to a Beheading)" (1938年)

 ナボコフがドイツで書いた最後の小説で、その後、1937年に彼は、フランスに移住した。ナチス・ドイツの厳しい現実は、この傑作に反映しているが、しかし彼は、この小説を政治パンフレットとみなされることに反対した。

 ナボコフは、『断頭台への招待』を自分の最高傑作であり、「散文で書いた唯一の詩」と考えていた。それを何と呼ぼうとも、一つ確かなことがある。それは、俗悪なものが権力を振るうことに抗する、時代を超えた傑作だということ(ロシア語のいわゆる「poshlost(俗悪さ)」は、ナボコフが心から軽蔑したものの一つだ)。そして「昔ながらの、天与の物書き」がそれといかに戦うべきかを語っている。

*日本語訳:

・富士川義之訳、集英社(世界の文学8 ナボコフ)、1977年。

・『コレクション(2) 処刑への誘い/戯曲2篇』小西昌隆・毛利公美訳、新潮社、2018年。

4. 『プニン』"Pnin" (1957年)

 『プニン』は、ナボコフの最もヒューマンな小説と呼ばれることが多い。魅力的で不器用な主人公、チモフェイ・プニン教授への罪のない皮肉と同情に満ちている。

 ロシア人亡命者であるプニンは、亡命先の米国で、(学問への情熱を除いて)人生のすべてを失ったことに気づく。プニンは、サンクトペテルブルクの自分の家、初恋と失敗した結婚などいくつかの暖かい思い出を大切にしている。「人間の歴史は痛みの歴史だ」とナボコフは書いている。

 おもしろいのは、プニンの人生はとても悲惨ではあるが、この哀れな主人公がいつもコミカルな状況にあることだ。これは、ウェルズリー大学とコーネル大学でナボコフが教鞭をとった経験からインスパイアされている。

*日本語訳:

・大橋吉之輔訳、新潮社、1971年/文遊社、2012年。

3. 『賜物』"Дар (The Gift)" (1938年)

 ナボコフがロシア語で書いた最後の長編で力作だ。彼の創造の一つの頂点と広くみなされている。 

 『賜物』の執筆は、4年を要しており、哲学的に言えば、メタフィクションだ。テキスト創造の要諦を示している。この小説は、ミルフィーユ風の重層的な構造をしていて、思索の糧を豊富に含む。

 『賜物』は、生と死、そして歴史における芸術家の位置についての物語でもある。この小説を読んだ後、翻訳者のゲオルギー・ゲッセンはナボコフに次のように語った。

 「私はあなたの『贈物』を読み終わったところです。あなたに伝えたい――あなたは天才だ!あなたのチェスやテニス、サッカーの腕前が、多少なりともあなたの書くものに近かったとしたら、あなたは、アレクサンドル・アリョーヒン(ロシアのチェスの名選手)やドン・バッジ(テニスの「年間グランドスラム」を達成した名選手)に余裕で勝ち、ルディ・ヒデン(フランスの天才ゴールキーパー)をどのチームでも補欠に追いやるでしょう」

 ナボコフがチェスの名手であり、かなり優れたゴールキーパーであったことを考えると、彼の友人の皮肉なレビューは、その傑作ぶりを見事に要約している。

*日本語訳:

・大津栄一郎訳、白水社 1967年/改訳版・福武文庫(上下)、1992年。

・沼野充義訳、河出書房新社〈世界文学全集 第2期・10巻〉、2010年(ロシア語原典版の訳)。

・『コレクション(4) 賜物/父の蝶』、沼野充義・小西昌隆訳、新潮社、2019年。

2. 『青白い炎』"Pale Fire" (1962年)

 『青白い炎』は、歴史上最も型破りな傑作の一つで、世界文学の中で特別な位置を占めている。 そのジャンルを定義するのは難しい(一部の文芸評論家はそれを「アンチ・ロマン」に分類する)。

 『青白い炎』は、4つの部分で構成されている。刊行者による前書き、詩人ジョン・シェイドによる999行の詩、シェイドに同性愛的感情を抱いているチャールズ・キンボードによる膨大な解説と注釈。

 『青白い炎』は、『タイム』誌による「英語小説の史上100冊」に入っている。しかし、これは小説とは言い難い。それは、純粋な文献学のテキストに見えるが、風変わりな仄めかしに満ちている。これは実は、作者と読者の間に必然的に生じる歪みと葛藤を映し出している。

*日本語訳:

・富士川義之訳「筑摩世界文学大系81 ナボコフ・ボルヘス」、筑摩書房、1984年。

・森慎一郎訳『淡い焔』、作品社、2018年(註釈・索引付き)。

1. 『ロリータ』"Lolita" (1955年)

 ナボコフの最も有名な小説だ。まず英語で書き、12年後に自らロシア語に翻訳した。これは、ある大人の男(ハンバート・ハンバート)の物語だ。彼は、道徳的な羅針盤を失っていたが、ロリータという12歳の少女において人生の愛を見つけ、その結果、慣習とタブーを破る。

 しかし『ロリータ』は、罪に関する小説ではなく、極度の執着と自己呵責の物語だ。ロリータ(ナボコフは「私のかわいそうな女の子」と呼んだ)と、小児性愛者の「悪役」、ハンバート・ハンバートは、古典的なロード映画のように、あるモーテルから別のモーテルへとさすらう。これは、旧世界と新世界――老いたる古いヨーロッパと若くて挑発的なアメリカ――の衝突の壮大なメタファーとして捉えられることがよくある。

 ナボコフは、どの作品を書くのにいちばん苦労したか、と尋ねられたとき、「それはもちろん『ロリータ』だ」と即答した。

 「必要な情報が不足していた。まずそれが厄介だった。私は、12歳のアメリカの女の子なんて知らなかったし、アメリカそのものも知らなかった。だから私は、アメリカとロリータを発明しなければならなかった。ロシアと西ヨーロッパを発明するのに約40年かかったけれど、今や同様の課題に直面したわけだ。それなのに、持ち時間は前より短いのだ」

 ナボコフは『プレイボーイ』誌へのインタビューで語った。

 ナボコフは、『ロリータ』に約8年間取り組み、しばしば中断を余儀なくされた。作家は、何度か極度に絶望し、小説の草稿を燃やしたいと言い出したことさえある。幸いなことに、彼の賢妻ヴェーラの止めるのが間に合った…。

・日本語訳:ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ 魅惑者』(若島正・後藤篤訳)、新潮社(ナボコフ・コレクション5)、2019年。

あわせて読みたい:ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』のショートサマリー