1. ロジオン・ラスコーリニコフ
フョードル・ドストエフスキーが『罪と罰』(1866年)で創造したカリスマ的なキャラクターだ。彼は道徳的に深い迷いのなかにあり、魂が「壊れている」。「俺は震えおののく生き物なのか、それとも俺には権利があるのか」とラスコーリニコフは大胆に自問する。
なぜ彼は、あのような残酷な、と同時に臆病な犯罪をおかしたのか?彼は、加害者でもあり犠牲者でもあるからだろうか?
ラスコーリニコフは、道徳的自由を求めて、感情の地獄を通り抜け、残りの人生で犯罪の代償を払わなければならない。「俺が殺したのは老婆じゃない、自分自身だ!」と彼は言う。
2. アンドレイ・ボルコンスキー
彼の知性、誠実さ、率直さが、彼に極めてリアルな存在感を与えており、読者は実在する彼に会ったような気がする!
レフ・トルストイの『戦争と平和』(1869年)のアンドレイ・ボルコンスキー公爵は、洗練されたキャラクターであり、ロマンティックな憧れを胸中に秘めている。当初、彼は、ある種の理想主義と楽観主義を抱き、軍事的栄光と真の愛を夢見ている。アンドレイにとっては、上流社会の決まりごとは虚偽であり、無価値に思われる。ところが彼に転機がやって来る。
「なぜ俺はかつてあの高い空を見なかったのだろうか?そして、ついにそれを目にして、俺は何と幸せなことか!」。アンドレイは、1805年のアウステルリッツの会戦で、瀕死の重傷を負い、大地に横たわりながらも、こう思う。「無限の空のほかは、すべては空だ、偽りだ。この空以外は何も、何もない。だが、これすらもありはしない。静けさと平安しかない。ああ、神よ…!」
3. エフゲニー・バザーロフ
イワン・トゥルゲーネフの『父と子』(1862年)の主人公は、手に負えない「ニヒリスト」であり、理由なき反逆者だ。皮肉で、冷笑的で、鋭い知性をもつバザーロフは、遠慮会釈なしに本音を話す。
この青年は、芸術も恋愛も理解しない(「まともな化学者はどんな詩人よりも20倍も役に立つ」と彼は言い放つ)。愛と結婚を信じず(「…愛…それは想像上の感情にすぎない…」)、あらゆる事柄について自分の見解をもっていると自負する。
自他を容赦せず一切の妥協のない、このエフゲニー・バザーロフは、ロシアの虚無主義的な若い世代にとって一つの模範となった。彼らは、バザーロフの思想と未来への希望を歓迎した。
4. エフゲニー・オネーギン
アレクサンドル・プーシキンの韻文小説『エフゲニー・オネーギン』(1832年)の同名の主人公は、若い金持ちで、軽はずみだ。このハンサムな貴族は、自分の外見を気にし、舞踏会の準備のために、鏡の前で3時間も費やして平気だ。
この女たらしは、貴族的な一流の美食家である。浅薄で、独身で押しが強く、浪費を気にせず、女性を誘惑するやり方を知っている。
「女ってやつは、我々が愛することが少ないほど、
我々を気に行ってくれるし、
いよいよ確実に殺せるものさ。
魅惑の網に包み込んでね」
5. パーヴェル・チチコフ
ニコライ・ゴーゴリの『死せる魂』(1842年)の主人公チチコフは、冷淡で計算高く、見た目はごく礼儀正しい。知らない相手に好印象を与える方法を知っている。
この詐欺師が、ロシアのどこかの小さな地方都市にやって来る。その目的は…「死んだ魂」――つまり、すでに死亡しているが書類上には残っている農奴――を買うことだ。チチコフは、これを担保にして銀行から大金を引き出すことをもくろんでいるが、この夢は実現する運命にない。
「すぐさま金持ちになりたい奴は、決して金持ちになることはない。時間と手間ひまをものともせずに金持ちになろうというなら、すぐにも金持ちになれるだろう」。ゴーゴリは、その畢生の大作『死せる魂』のなかでこう言う。
実は、皇帝アレクサンドル2世が1861年に農奴解放の勅令を発する前は、ロシア帝国の地主は農奴を売買したり、抵当に入れたりすることができた。「魂」という言葉は、農奴の正確な数を数える際に、農奴を指して使われた。
6. イリヤ・オブローモフ
最も記憶に残るキャラクターが、最も行動意欲がない人物だということもある。イワン・ゴンチャロフの『オブローモフ』(1859年)の同名の主人公もそうだ。オブローモフは、ほとんどの時間をベッドに寝そべりながら過ごす。彼の怠惰は、一見ばかげて見え。彼のベッドは穴倉と化し、年中朝から晩まで無休だ。この若い貴族が何かしようと思うときは、召使のザハールを呼びつけ、相変わらずベッドで時間を空費し続ける。
逆説的だが、何という意志力か!オブローモフは、生来の怠惰さで、先延ばしを延々と続けていく。そして彼には、そんな生活を送れるだけの資力がある!彼の哲学は単純だ。現状に甘んじる方が簡単なのに、なぜ事態を改善しようというのか。
「君は、自分が何のために生きているのか分からず、何となく日々を送っている。そして、昼が過ぎ、夜が過ぎたことを喜んでいる。床に就くと、なぜ自分は今日を生きたのか、なぜ明日も生き続けるのかという、うんざりする問いで頭がいっぱいになるだろう」
7. ユーリー・ジバゴ
彼は、詩人ボリス・パステルナークの代表作である長編小説『ドクトル・ジバゴ』(1955年)の同名の主人公だ。ジバゴは、道徳、倫理の面で周囲から抜きんでている。優れた診断医であり、行動と原則について熟慮している。
しかし、ジバゴには、常に正しい方向に進んでいると思い込んでいる人たちが理解できない。
「もしあなたが不平を漏らしたり、後悔したりすることが全然ないなら、私はあなたをそれほど愛せないと思う。転んだりつまずいたりしたことがない人は好きじゃない。そういう人たちの『美徳』には生命が欠けており、ほとんど価値がない。人生は彼らには、その美しさを明かさない」
8. アレクサンドル・チャツキー
アレクサンドル・グリボエードフの戯曲『智恵の悲しみ』(1824年)の主人公アレクサンドル・チャツキーは、賢く機知に富むが、とても孤独だ。自由主義的な見解をもち雄弁である。
その彼が、3年間の外国生活からモスクワに戻ってきた。そして、子供のころ好きだったソフィーとの再会を夢見ている。
しかし、時すでに遅し。この若い娘は、チャツキーが嫌悪し軽蔑するろくでなし、モルチャリンに恋をする。チャツキーは、ソフィーが自分より愚かで冷たい男を選んだ事実を受け入れられない。彼は貴族社会の偽善に背を向け、モスクワを永久に去ろうと決心する。
「モスクワよ、さらばだ!もうここへは戻ってこない。後は振り向かずに、世界中に探しに行こう――この屈辱の癒される場所を!…」
9. プレオブラジェンスキー教授
ミハイル・ブルガーコフの中編小説『犬の心臓』(1925年)の登場人物だ。1920年代半ば、すなわち新生ソビエト国家の黎明期に、世界的に有名な、モスクワの天才的な外科医、プレオブラジェンスキー教授が、奇想天外な科学実験を行う。彼は、野良犬を捕まえて、人間の脳下垂体と睾丸を移植するのだ。すると、その野良犬は、人間風の姿となり、モスクワの7部屋のアパートに住むようになる。
この哀れな生き物は、粗暴だが本物の男に、そしてボリシェヴィキ風の人間に変身した。彼は、酒をたらふく飲み、タバコを吸い、悪態をつくことしかできないが、それでも、新しいソビエト社会にうまく適応してしまう。
「何より恐ろしいのは、彼がもはや犬の心臓ではなく、人間の心臓を持っていることだ。そして、自然界に存在するあらゆるもののなかで最も忌まわしいということ」
ソ連のプロレタリアートを嫌う、ロシアの洗練されたインテリであるプレオブラジェンスキー教授は、結局のところ、ある種の実験には手を付けないほうがよいことを認めねばならないだろう。
10. オスタップ・ベンデル
二人組のソ連作家、イリヤ・イリフとエフゲニー・ペトロフの代表作『十二の椅子』(1927年)の主人公オスタップ・ベンデルは、ロシア文学史上最も有名な詐欺師だろう。評判が実物に先行しているほどで、この「偉大なる計画者」にして「常習的な嘘つき」は、「他人のお金をかすめ取るための400ほどの比較的まっとうな方法」に精通している。
ベンデルの冒険的な人生の最大の課題は、ダイヤモンドが縫い込まれた12の椅子の1つを見つけることだ。この華麗な悪党は、それで大金持ちになり、陽光溢れるリオデジャネイロに移住しようと思っている。「我々が持っている時間は、我々がまだ持っていないお金だ」