『哀れなリーザ』は、1790年代初めに登場するや、古典主義のロシア文学に革命をもたらした。作者ニコライ・カラムジンは、少女の「転落」の旅路を悲痛な恋愛小説に昇華させ、新境地を開いた。
作家は、持ち前の強力な武器(悲劇)を駆使して、『哀れなリーザ』をその悲しい破局で精彩あるものとした。作品の同名のヒロインは、報われぬ愛、深い悲しみ、社会的不公正の代名詞になっている。
金持ちの若い貴族、エラストが、17歳の農民の娘リーザに惚れ込み、誘惑する。これが、二人の宿命的な、身分違いの恋の「終わりの始まり」となる。優しく臆病なリーザは、盲目的にエラストを信頼するが、この若いプレーボーイは、すぐに彼女を裏切る。彼は、自分の財産を賭博ですり、窮境から脱するために、年輩の富裕な未亡人と結婚する。
一方、失恋から立ち直れないリーザは、池で投身自殺する。「…自分よりもあなたを愛している、あなたのかわいそうなリーザを忘れないでください!」
詩人アレクサンドル・プーシキンの韻文小説『エフゲニー・オネーギン』のヒロイン、タチアーナ・ラーリナは、間違いなくロシア文学で最も魅力的な女性の一人だ。
タチアーナは、地方に住む天真爛漫な少女で、漠然とした期待に胸を膨らませているが、場合によっては自己犠牲も厭わない。その彼女が、利己的なオネーギンに恋をする。よくあることだが、片思いだ。
私はあなたに手紙をしたためています――でも、あと何を書いたら?
あと何を書いたらいいのかしら?
もう、あなたのご意思次第だとわかっています。
わたしを見下して軽蔑なさることさえも
オネーギンは、家庭をもちたくないという口実で、彼女の求愛を拒絶する。しかし、時は流れ、タチアーナは別の男性と結婚する。オネーギンが彼女に恋するのはその時だが、しかし時すでに遅し。タチアーナはもはや彼を盲目的に愛しておらず、夫と道徳に忠実であり続けることを選ぶ。
小説の結末には、彼女は、田舎のナイーブな夢見る乙女から大人の女性に変貌している。彼女は、優雅さ、知性、貴族の威厳を体現している。
アントン・チェーホフの戯曲『桜の園』のリュボーフィ・ラネーフスカヤは、家産のすっかり傾いた貴族で、女地主だ。彼女の家はすっかり零落している。彼女の浪費で、家計はまさに火の車。
彼女は自分の財産を、そして――これが最も大事なことだが――お気に入りの桜の果樹園を失いかけている。
ところがラネフスカヤは、破産寸前の現実を直視せず、状況はいよいよ危うい。彼女は、そんな余裕はないはずなのに、浪費を続けている。
「ああ、私の罪…私はいつも湯水のようにお金を使ってきた…」。ラネフスカヤ夫人は、困窮する人々と、最後のお金を分け合う用意がある。彼女はそういう人であり、心の広い浪費者なのだ。 彼女は、物事の先延ばし、軽視、そしてナイーブさを体現している。
(典型的ロシア人である)この女性は、遥か昔の薔薇色の過去に生きていて、物事が何となくひとりでおさまることを期待している。作者チェーホフは『桜の園』を喜劇だと言ったが、残念ながら、それはここでは当てはまらないようだ。
マトリョーナとその悲劇的な運命は、ソ連時代の生活の厳しさ、過酷さについて多くを物語っている。彼女は、農村に住むごく普通の年配の女性だが、アレクサンドル・ソルジェニーツィンが書いたこの悲痛な物語は一読の価値がある。
マトリョーナとその夫にはかつて6人の子供がいたが、いずれも夭折した。夫は彼女を捨てた。マトリョーナは、健康状態が悪く、無一文で、卑下している。日々、仕事、仕事、仕事だ。
だが、彼女は打ち砕かれてはない。絶え間ない苦しみにもかかわらず、マトリョーナは、その不朽の信仰を保っている。
これは、生き抜いていく人間の魂についての、真にロシア的な、またドストエフスキー的なイデーだ。
「我々は皆、こういう女性のすぐ隣に住んでいるのに、分かっていなかった。彼女こそ正しい人間であり、諺に言う通り、彼女なしでは村は存在し得ない。いや、都市も、我々の国全体も存在し得ない、ということを…」
レフ・トルストイによる『戦争と平和』のマリア・ボルコンスカヤは、まったく別のタイプのナターシャ・ロストワとともに、群を抜いたヒロインだ。
マリアは「柔和で臆病な」娘だが、誰もが彼女に会うとすぐに「古くからの友人」のように思えた。マリアは、厳格で気難しい父ニコライ・ボルコンスキー公爵から散々辛い目に遭っているが、にもかかわらず、不機嫌な老父を愛し、尊敬している。
「…彼の理不尽な怒りの爆発は、ほとんどすべてマリア公爵令嬢に降り注いだ。彼は、娘をできるだけ精神的に残酷に苦しめるために、彼女の最も痛いところを突こうと、鵜の目鷹の目のようだった」
マリアは美しくはないが、他者の心の琴線に触れる。彼女の真摯な感情と真の慈悲心は、強力な組み合わせだ。謙虚で正直な彼女は、見た目で物事を判断することはない。「美しい心こそ、私が最も大切に思う人間の資質」とマリアは言う。
詩人ボリス・パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』のラーラ・アンティポワは、とても女性的な魅力に富み、思いやりがあるので、そのカリスマ性が初登場のときから強く印象づけられる。
「…この痩せた虚弱そうな少女は、あたかも電気のように限界まで充電されていて、およそ考え得るあらゆる女性らしさをそなえている。彼女に近づき、一指触れただけでも、火花が部屋を照らし出し、その人を打ちのめすだろう。さもなくば、彼女の磁気に一生引きつけられて「帯電」させられ、生涯にわたり嘆き悲しむ羽目になるかもしれない」
ラーラは、強靭な性格の女性で、強く生き抜いていき、困難の中でも絶望しない。美貌で思いやりのある彼女は、恋愛など御免だと思っているが、男たちは彼女の魅力に惹かれる。彼女が生涯愛することになるユーリー・ジバゴも例外ではない。
「彼女は、好かれたいとか、美しく魅力的でありたいなどとは思っていない。彼女は女性の『エッセンス』のこの方面を侮蔑しており、あたかも、自分がかくも美しいことで自分を罰しているかのようだ。だが、この誇り高い、自己への敵意は、彼女の魅力を十倍にする。彼女のする事なす事がいかにすばらしいか」
ラーラの愛する力には限りがない。彼女の人生の悲劇的な紆余曲折にもかかわらず、彼女は犠牲者を演じることはなく、その「比類ない銀鈴のような笑い声」で、最後まで尊厳を保つ。
結末で鉄道自殺する、この悲劇のヒロインは、すでに150年近く世界中の読者を魅了してきた。 レフ・トルストイのアンナ・カレーニナは、19世紀ロシア文学の至宝だ。
アンナは20代後半で、誰にも愛される。「知性、優雅さ、美貌にくわえ、とても誠実だった」。 彼女の無邪気さと誠実さは周囲を魅了せずにはいない。ところが、夫と8年間暮らしてきたアンナは、ハンサムな蕩児、アレクセイ・ヴロンスキー伯爵との恋に落ちる。
二人の恋人は密かに逢引するが、社交界全体(全上流社会)が、まもなく彼らの情事をかぎつける。今や「淪落の女」となったアンナは、知らぬが仏の、20歳年上の夫を欺き続けている自分を嫌悪する。
だが彼女は情熱を断つことができない!その情熱が彼女をいよいよ深く絶望の淵に陥れ、彼女の人生を台無しにし、ついには鉄道自殺に至る。
アンナを、感傷的で愚かで、無責任だと決めつけても間違いではあるまい。だが彼女は、何と呼ばれようと、今後も長きにわたり、まさにこういうヒロインとして残るだろう。
ミハイル・ブルガーコフの3番目の妻、エレーナは、タイトルキャラクターのマルガリータの創造をインスパイアした。
「…彼女は美しく賢かった」。彼女の眼は、「いわく言い難い輝き」を放っていた。
そして、この大胆で蠱惑する眩さは、やがて書かれる作品にまさにふさわしいものだった。ブルガーコフは超自然的な小説を書く。それは、1930年にモスクワを訪れた悪魔についての物語だ。
ローマ総督ピラトをめぐる小説を書いた主人公(巨匠)は、ある女性に恋をする。彼女は…魔女となった。『巨匠とマルガリータ』の驚天動地のシーンの一つは、金曜日の深夜にマルガリータが主宰する悪魔の舞踏会だ。
「女はティーバッグのようなものだ。熱湯に入れるまで、女の強さは分からない」と、かつてエレノア・ルーズベルトは言った。ブルガーコフの力強く官能的なマルガリータは、次のことを見事に証明している。高潮に見舞われ、地獄をくぐっても、人間であり続けることができる――しかも、ユーモアを失わずに。
ナスターシャ・フィリッポヴナは、危険で、大胆で、人を惑わす美貌の持ち主で、大文字の「F」が付いたファムファタール(運命の女)だ。彼女は、言ってみれば閉じた本であり、子供らしいムイシュキン公爵から大胆不敵なパルフョン・ロゴージンまで、ありとあらゆる男を磁石のように引き付ける。
『白痴』のこのヒロインは、過去に嘗めた苦痛を自虐的に反芻している。彼女は、いわば数々の敗北のパッチワークなのだ。彼女は、傷つきやすく脆いが、と同時にそれと同じくらい強い。彼女は今なお多くの苦しみに苛まれており、それは彼女の容貌に現れている。
「…たとえば、彼女の眼差しを見ると、まるで深くて神秘的な暗闇が感じられるかのようだった。その眼差しは、謎をかけているように見えた…」
ヴァッサの評判は、周囲に事実以上に広まっている。鉄の女であり、強さ、力、スタミナの権化だというのだが…。
なるほど、表面的には、商家をとりしきるこの女は、富、家族、地位、コネ、尊敬など、普通の人間が憧れるものすべてを持っている。ところが実は、見た目と実情は全然違う。ヴァッサの夫は勝手気ままで粗暴であり、彼女の兄は、彼女の財産を浪費するろくでなしで、彼女の子供たちは家業を継ぐことに興味がない。鉄の意志をもった42歳の百万長者にも、心の平安と希望を買う金はない。
「ある種の単純な生活を送ることさえ、ロケット科学と同じではない。しかも、安易な生活はすぐにその人間を愚か者にする」。こうヴァッサは信じている。
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