「私たち一人一人には、おそらく、とくに大切な愛の記憶、あるいはとくに嘆かわしい愛の罪がある」。ノーベル賞作家イワン・ブーニンはこう信じていた。いわばそれらの思い出を永続させるために、ブーニンは読者と共有した。
彼の個性が刻まれた連作短編集『暗い並木道』は、古典的なロシア文学の歴史のなかでは、情熱的な関係と性愛の最高に豊饒なフレスコ画だろう。
ブーニンは『暗い並木道』において、肉体的な快楽、肉欲、情熱を新たなレベルに持っていった。とはいえ、1940年代に書かれたこれら物語には、猥雑なセックスシーンやそのものズバリの性交の描写は見当たらない。ブーニンは主にセックスの「前後」に焦点を当てている。
「彼はそっと彼女の熱い頬に接吻した。彼女が接吻に全然反応しなかったので、彼は彼女が、その後の成り行きをすべて黙認したと思った。彼は、彼女の足を、その柔らかな熱さを押し広げた。彼女はまどろみながら、吐息を漏らし、軽く身を伸ばし、頭の後ろに手を投げた…」
カラムジンは、長い外国旅行から戻って間もない1792年に、『哀れなリーザ』を書いた。彼は、人間の感情の捉え方において、はるかに時代を抜いており、真面目くさったロシア文学に健康な感傷をもたらした。
カラムジンは、人間の弱さと情熱が読者の同情と支持に値することを初めて示した。この作品のように、うら若い娘が恋愛の陥穽に落ちたとなればなおさらだ。
裕福な若い貴族エラストが、17歳の農民の娘リーザを誘惑する。
「エラストの血は思い切り沸き立った。リーザがこれほど魅力的に見えたことはない――彼女の愛撫が彼をこれほど興奮させたことはなかったし、彼女がこんなに熱烈に接吻したこともなかった。彼女は何も知らず、何も疑わず、何も恐れていなかった。暗闇が欲望をいやがうえにも掻き立てた。夜空に輝く星は一つなく、二人の妄想を照らし出す光はなかった」
だが、密会は長く続かない。男は、金持ちの未亡人と結婚して、自分がつくった借金を返し、リーザは悲しみと取り残され、やがて池に身を投げる。
詩人プーシキンは、スタイルの多種多様とウィットに関しては並ぶ者がなかった。しかし、このロシア詩の明星は、エロティックな方面への詩才の「応用」にも無縁ではなかった。彼自身の恋愛と空想はしばしば、彼の素晴らしい詩に反映されている。
叙事詩『ルスランとリュドミラ』では、主人公のライバルの一人、ラトミールが、美しい乙女が住む城に一晩滞在する。ラトミールは明らかに、楽しいひと時を過ごしているらしい。
無言で乙女は彼の前に現れ、
動かず、静かに佇んでいる、
あたかもディアナが猫をかぶって
愛しい羊飼いの前に立つように。
そして、彼女はハーンの褥の上で、
片膝をついて、
吐息を漏らしつつ、彼に顔を向け、
その悩ましさとおののきで、
幸運児の夢を断ち切る。
情熱的な無言の接吻で…
女性たちは、プーシキンの生涯の旅路になくてはならぬ伴侶だったが、このロシア最大の詩人は、情事においては慎ましさを残していた。
アグラーヤ・ダヴィドワに(1822年)
ある男が僕のアグラーヤをモノにしたのは、
その軍服と黒々とした口髭のおかげだった。
ある者はお金で――まあ、これは分かるかな、
ある者は、フランス人だからって理由で、
クレオンは、その知恵で彼女をビビらせ、
ダミスは、優しく歌ったからさ。
さてわが愛しのアグラーヤよ、
君の夫はなんで君を手に入れたのさ?
ノーベル文学賞を受賞した詩人ヨシフ・ブロツキーはかつて、プラトーノフを20世紀文学の主要作家の一人とし、プルースト、カフカ、ベケットらと同列に置いた。
プラトーノフの緻密な作品は、社会主義社会建設という、ソ連のユートピア的な計画に照明を当て、ソビエト・イデオロギーに基づく官僚機構のもたらす災厄を詳細に暴露した。
独裁者ヨシフ・スターリンの時代には、ソ連の公式の文学からは性のテーマが根絶されたが、常に時流に逆らったプラトーノフは、大胆な構想を呈示し、1937年に書かれた『ポトゥダン川』には、いくつかの親密なシーンを入れた。
「ニキータは思い切りリューバを抱きしめた――愛する人を求めてやまぬ自分の魂の中に、その人をすっぽり入れてしまいたい、といった力強さで。しかし、彼はすぐに我に返り、恥ずかしく思った。
『痛くなかった?』 とニキータに聞いた。
『いいえ、全然』とリューバは答えた。
彼は彼女のすべてを欲した――彼女も愉しませたかった。そして、残酷でみすぼらしい力が湧いてきたが、しかしニキータは、この親密な愛からは、ふだん彼女に接しているとき以上の喜びを得ることはなかった。ただ彼が感じたのは、今や彼の心臓が肉体全体を支配し、自分の血液が、自分に必要だがみすぼらしい快感と混ざり合ったことだった」
*もっと読む:作家アンドレイ・プラトーノフの生涯と作品:なぜ共産主義者がディストピアを書いたか
そのため、プラトーノフは、「社会主義リアリズム」の巨匠扱いされた。
1965年、ソ連の有名作家ミハイル・ショーロホフはノーベル文学賞を受賞した。その壮大な小説『静かなドン』によるもので、これは、20世紀ロシア文学の最重要作品の一つとして高く評価されてきた。
『静かなドン』は、第一次世界大戦とロシア内戦に際してのドン・コサックの生活を描いた歴史絵巻だ。苦悩、流血の惨禍、愛、情熱に満ちている。
「アクシーニャ。彼女だ。グリゴリーの心臓は早鐘のように打ち出した。しゃがんで前に進み出て、上着の長い裾を後ろに投げ、情熱に燃え上がったおとなしい彼女を抱きしめた。彼女の足は、膝でがっくり曲がり、全身が震えおののき、歯をがちがち鳴らした。グリゴリーはぐいと彼女を自分の両腕に引っぱり込んだ。こんなふうに狼は、嚙み殺した羊を背中に放り投げる。上着の裾に足を絡ませながら彼は、喘ぎながら踏み出した。
『ああ、グリーシャ…グリーシェンカ!…父が…』
『静かに!…』
身をふりもどき、上着の酸っぱい羊毛を吸い込み、後悔の苦しみに息を詰まらせ、アクシーニャは低い呻き声で叫んだ。
『行かせてよ、もう今となっては…自分で行けるから!…』
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