バラライカとは、三角形の中空の胴に、フレットが打たれた指板を持つ3弦の楽器。2弦は同じ調子に合され、もうひとつの弦は完全4度高く調弦される。
バラライカがロシアの書物に初めて登場するのは、17世紀後半である。中世ロシアの放浪芸人、スコモローフがかつて弾いていた同じく3弦の楽器ドムラを簡素にしたのがバラライカである。
ドムラと同様、バラライカも最初は「悪魔的」であるという理由でロシア正教会から禁じられていた。しかし、18-19世紀になると、バラライカはロシア人の間で絶大な人気を得た。そのテンポ速く打ち鳴らす音がダンスをするのにうってつけだったのである。
「バラライカ」というのは擬音語である―つまり、この楽器が出す、引っかくような音から来ている。たとえば、ロシア語の「バラーカッチ」(балакать)という語も同じような由来で、「軽口をたたく」という意味がある。
少年ステパン・フィリッポフが演奏する有名なロシア歌曲「コロベイニキ(行商人)」
バラライカ・プリマは数あるバラライカの中で唯一の独奏用楽器である。他にも、交響曲アンサンブルに使われるセクンダやアルト・バラライカ、またベース楽器としてのバスやコントラバス・バラライカがある。
ミハイル・チーホノフによるバス・バラライカの演奏
ワシリー・アンドレーエフ
Public domainバイオリン奏者、ワシリー・アンドレーエフ(1861年〜1918年)は、1880年代にロシア民謡で使われる楽器について研究した。彼は、バラライカの新たな調弦法をあみだし、その構造を標準化した。ロシア中を演奏旅行で周りながら、アンドレーエフはバラライカを広めていった。安価で、大きな音が出て、弾くのが容易だったことから、バラライカは人気楽器として生まれ変わった。
ソ連時代、バラライカの演奏は全国の音楽学校の選択科目の一つであった。現代ロシアにおいては、普通の学校の中にもバラライカを教えるところがある。
現代のバラライカの名演奏家、アレクセイ・アルヒポフスキー
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