ペレストロイカ期の映画5本:ソ連の変革そして崩壊前夜を色濃く反映する

カルチャー
ワレリア・パイコワ
 古いポラロイド画像を思わせる映画がある。その時代のその時、その場を完璧に映している――そんなソ連映画の何本かをピックアップした。それらは、1980年代後半に撮影され、ゴルバチョフのペレストロイカの時代精神とその長期に及ぶ「心理的副作用」を捉えている。

1.『無力症』(キーラ・ムラトワ監督、1989年)      

 この不穏な白黒映画は、多くの点で、監督ムラトワによるソ連時代全体の要約だと言える。映画は、最も傷つきやすい人々、つまり自分たちは誰にも必要がないと感じる人々に焦点を当てる。誰一人として、彼らのことを気にかけない。あたかもアントン・チェーホフの戯曲『桜の園』の老僕フィールズのように、彼らは一人きりで、誰からも助けてもらえず、見捨てられている。

 映画の一シーンでは、男が地下鉄の車内で眠りに落ちるが、誰も彼が生きているか死んでいるかを確かめようとしない。どうやら、ソ連社会はその末期において、感情面での障害にぶつかったようだ。重要なのは、すべての人間がすべての人間に対して関心をもっていないこと。この完全な無関心は極めて危険な傾向だ。

 この映画は、シナリオも演出、演技も見事だ。画面上で汚らしい罵言が発せられた初めての映画である。それが示すのは、人々が渇望してきた自由が与えられねば事態はおさまるまい、ということ。この映画が題名に精神病理学の症例を用いているのは偶然ではない。この症例は、完全な心理的疲労をもたらすのだから。

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2. 『懺悔』(テンギズ・アブラゼ監督、1984年)

 この映画は、数年間お蔵入りになった後、ようやく1980年代後半に大画面に登場した。ドラマはすぐさま注目を集め、1987年のカンヌ国際映画祭での審査員特別グランプリをはじめ、多くの国際的な賞を獲得した。しかし、ソ連の検閲は、イデオロギー上の理由で、上映を取りやめた。

  アブラゼの傑作は、時代をはるかに超えていた。一部の映画評論家は、この映画がソ連映画におけるペレストロイカの先駆けとなったと考えている。実際、映画は社会のターニングポイントを反映していた。

 アブラゼはドラマで、キリスト教の象徴を駆使しつつ、地元の独裁者であるヴァルラム・アラヴィゼなる男の物語を語る。彼の外見と行動には、ヨシフ・スターリン、アドルフ・ヒトラー、ベニート・ムッソリーニの面影が見られ、犠牲者たちは、まさに死の苦しみの中でキリストになぞらえられている。

 この哲学的なドラマは、時代設定は明確でないが、1980年代を彷彿させる。それは、ある意味ナイーブで利己的な時代だった。みんなが一致して不愉快な過去に別れを告げれば、新しい幸せな生活がすぐにも始まると多くの人が信じていた時代だ。彼らは何と浅はかだったことか!

 『懺悔』は、1967年製作の『祈り』、1976年製作の『希望の樹』に続く『祈り3部作』の完結編だ。そのエンディングの意味は汲み尽くしがたく、誰もが過去の過ちから学ぶことができよう。

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3.『僕の無事を祈ってくれ』(原題『針』)(ラシド・ヌグマノフ監督、1988年)

 この映画は、ゴルバチョフのペレストロイカ期に不確実性と絶望の海に沈んだ人々の気分を反映している。根本的なモラルの弛緩、国の将来への疑念、そして全般的な無力感が、ラシド・ヌグマノフの劇に生々しく描き出されている。

 『僕の無事を祈ってくれ』は、この時代の見事な、そして苦渋に満ちたポートレートだ。学童が麻薬や犯罪の闇世界に吸い込まれた、若者が町の暗い片隅で撲殺され、純潔の意義が永久に失われてしまった時代…。映画の筋と雰囲気は暗鬱で、苦さとペシミズムを帯びている。

 1980年代のロックバンド「キノー」のボーカル、エネルギッシュなヴィクトル・ツォイが主役を演じ、非常なカリスマ性を加えている。彼が演じるのは、モーロという青年で、あるとき、元カノが麻薬中毒になっていることを知った。彼は、彼女を救い出し、麻薬密売人を取り締まろうとする。それは生きるか死ぬかの戦いになるだろう…。映画が捉えた時代の特徴は明らかだ。破壊と崩壊の匂いが、1980年代後半には漂っていた。

 この映画は、時代の終わりを予感して、いわばソ連および連邦解体後の現実の上に浮遊している。たぶんそのせいで、映画はひどく苦い錠剤を飲み込んだ後で、スプーン一杯の砂糖を口にしたように感じるのだろう。

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4.『小さなヴェーラ』(ワシリー・ピチュル監督、1988年)

 『小さなヴェーラ』は、ソ連の地方の生活を描いたドラマで、ゆっくり盛り上がっていく。「心の反逆者」、ヴェーラ(ロシア語で「信仰」を意味する名前)は、既存の社会のルールに従って生きようとはしない。友だちとつるんで、酒とセックスのどんちゃん騒ぎに明け暮れる。しかし、彼女が賢くてハンサムで辛辣な学生セルゲイに出会うと、事態は一変していく。彼は、こんな生活は望まない珍しい人間だ。

 この映画は、ソ連時代末期に撮影されているが、前例のないあけすけな率直さで際立っている。ヴェーラ(ナタリア・ネゴーダ)がセルゲイとセックスするシーンが巷で話題になった。

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 しかし多くの点で、ピチュル監督のこの映画は、人々に冷めた影響を及ぼした。ソ連の理想的家庭の幸福についての共産主義イデオロギーの虚構を暴き出したからだ。アルコール依存症、偏狭さと不寛容、無知と傲慢、精神性の完全な欠如、日常生活への盲目的没入など、あらゆる悪徳を容赦なく暴露している。

 確かに、『小さなヴェーラ』は、いろいろな点でソ連末期の「性の革命」について描いているが、それ以上に、世代間の対立、シニカルな若者と親との対立、そしてモラル上の妥協の「泥沼」を描いている。

 『小さなヴェーラ』は、渇望されていた人間の目覚め、さらには個人個人の目覚めについて語っている。若者は、自分たちの愛の生活ほどは、国の運命など気にしない。映画の題名が『小さなヴェーラ』すなわち「小さな信仰」であることは偶然ではない。

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5.『アッサ』(セルゲイ・ソロヴィヨフ監督、1987年)

 セルゲイ・ソロヴィヨフのこの傑作は、過ぎ去った時代の象徴だ。一言で言えば、それは変化の時代だった。1980年代後半、国全体(まだソ連だった)は、まだ巨大な氷山さながらだったが、南に向かって漂い、人々の眼前でどんどん溶けつつあった。

 常に揺るぎなく、予め定まっているように見えたものはすべて、突然、崩壊し始め、新しい、恐ろしい、未知のものに道を譲った。

 『アッサ』は、ソ連の若い世代にとってまさに真に象徴的な映画となった。彼らは、映画のフィナーレで、ロックの伝説、ヴィクトル・ツォイといっしょに歌わずにはいられなかった。「変化、僕たちは変化を待っている!」と。

 『アッサ』は、黒海沿岸のリゾート、ヤルタ市が舞台で、アガサ・クリスティの映画よりもどんでん返しが多い。

 若いアングラ・ミュージシャンが、美しい看護師に惚れる。問題は、そのアリーカ(魅力的なタチアナ・ドルビッチが演じる)がギャングの愛人だということだ。赤ちゃんのような大きい瞳の、夢見がちな娘は、2人の男の間で引き裂かれる。1人は犯罪者で、もう1人はヒップスター。悲しいことに、両方から「良いとこ取り」というわけにはいかない…。

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