一風変わったギリシア風の名前を持つ少年、クロニド・ゴゴレフ(1926〜2013)は、北ノヴゴロド県にある元聖職者の家に生まれた。クロニドが16歳のとき、第二次世界大戦が勃発、彼は志願兵として前線に赴き、その後、終戦まで戦いぬき、勝利のメダルを手にした。
軍務を解かれた後、クロニドは画家になろうと決めた。そしてレニングラード絵画学校を卒業すると、北方にあるカレリア共和国の芸術学校の教師になった。
ゴゴレフは、画家として、一種の限界を感じていた。しかし、針葉樹林と木造建築と歴史ある木彫の教会で知られる北方カレリアの地で、ゴゴレフは初めて、木に触れた。そして以来、数十年にわたって、木に夢中になったのである。
ゴゴレフがとくに好きだったのは菩提樹であった。彼は合板などの技術は用いず、切り出した大きな1枚の木で作品を作った。作品のテーマはカレリアの自然、森、湖、また地元の人々の暮らしや生活といったものであった。このほか、宗教的なテーマでも作品を残しているが、中でも最も有名なものが「最後の晩餐」である。
ゴゴレフの個展はモスクワで開かれていたが、ゴゴレフは住んでいたカレリアのソルタヴァラ市で真の有名人になった。
1980年代に地元政府は、作品を展示する場所としてゴゴレフに建物を与えた。現在、クロニド・ゴゴレフ美術館はソルタヴァラにやってきた人々が必ず訪れる場所となっている。この美術館にはウラジーミル・プーチン大統領も足を運び、このときゴゴレフは彼に作品を贈った。