ロシア詩の「銀の時代」とは何か?
ロシアの文学者たちは、このトピックを研究し、説明しようとして、大部の書物を書き、それに生涯を捧げる。しかし、ロシアに関心のある皆さんに、ごく簡単なまとめを提供するために、我々は、いわゆる「蛮勇を振るって」、この課題に取り組んでみた。
ロシア詩の「銀の時代」は、19世紀末~1920年代。芸術が花開いた時代であり、多様な詩人、ジャンル、文学上のスタイルを含んでいた。
しかし、「銀の時代」にはさらに広い定義もあり、それは、アヴァンギャルドの芸術、演劇、映画、写真、彫刻なども包含している。この意味での「銀の時代」は、さまざまな分野のアーティストから構成される芸術上の流派、集団からなっていた。
「銀の時代」ほど、天才的な詩人が集中した時期は、ロシア文学の歴史にはかつてなかった。
「金の時代」? なら「金の時代」はあったのか?
然り!ロシア詩の黄金時代はあった。それは1830年代前後で、我々はシンプルに「プーシキン時代の詩人たち」と呼んでいる。なぜなら、アレクサンドル・プーシキンは疑いなく、ロシア史上最高の詩人の一人であり、今日もその詩はアクチュアルだからだ。
この「金の時代」には、プーシキンやミハイル・レールモントフなどの有名詩人のほか、エフゲニー・バラティンスキー、ピョートル・ヴャーゼムスキー、ワシリー・ジュコフスキーなど、今ではあまり知られていない詩人がいる。
しかしその後、文学者たちは、19世紀のすべての「古典的な」散文作家をも「金の時代」に含め始めた。その中には、ニコライ・ゴーゴリ、レフ・トルストイ、フョードル・ドストエスキー、イワン・トゥルゲーネフ、そして詩人ニコライ・ネクラーソフなどがいる。19世紀を通じてロシア文学は、いわゆるセンチメンタリズムから、ロマン主義へ、さらに自然主義、リアリズムへと変容していった。
「銀の時代」の特徴は?
ロシア文学において、数十年間、ナチュラリズムとリアリズムが席巻すると、人々はやや倦み疲れて、感情、何か新しいイメージ、詩のイデー、隠喩を表現する新たな方法を探求し始めた。つまり、現実をそれらしく再現するのが一種の職人芸になっていたのだが、真の芸術家たちの中には、象徴(シンボル)を発明し、目に見える現実ではなく、人々の心と夢に潜むものを表そうとし始めた者がいた。これは今日ではかなり当たり前に聞こえるが、当時としては革命的なことだった。
「銀の時代」のもう一つの興味深い特徴は、多種多様な詩人を輩出したことだ。彼らは、それぞれの党派にまとまり、芸術運動のマニフェストを作り、詩的手法について話し合い、さらには「詩のキャバレー」まで催し、そこで自分たちの詩を朗読したり、文学上の「決闘」を行ったりした。
これらの詩人のほとんどは、過去の文学を尊重し、古代世界やその「黄金時代」のイメージ、古代詩人などと「戯れ」、その暗示、仄めかしを行間に残した。
まさにそのため、今日、「銀の時代」の詩を読み理解するのは難しい。そこでは、意味とイメージが多層構造をなしているからだ。
言うまでもなく、「銀の時代」の詩人たちは、1905年の第一次革命と1917年の革命(二月革命と十月革命)を目の当たりにした。これらの大事件は、彼らの芸術と切り離せない。詩人たちは、事件を自らの芸術的才能によってさまざまに認識、熟考、解釈したからだ。
その最も鮮やかな例の一つは、アレクサンドル・ブロークの詩『十二』であり、そこには、イエス・キリストのイメージが現れる。もっとも、キリストがボリシェヴィキの隊列を導いたというのか、それともロシアを去るべく促されたというのか定かではないが。
「銀の時代」の主要な詩人は?
「銀の時代」の詩人について語るときは、そのいくつかの主要な運動(流派)を強調しなければならない。それらの詩人はいずれも、豊かな芸術的道程を歩み、その芸術とスタイルは時とともに変化した。また、彼らは頻繁に流派を超えて交流していたことに注意することが肝要だ。
シンボリズム
シンボリスト(象徴主義者)は、観念論哲学に惹かれ、シンボルを用いた。第一世代のシンボリスト(または「年長のシンボリスト」)は、ドミトリー・メレジコフスキーとその妻ジナイーダ・ギッピウス、ワレリー・ブリューソフ、コンスタンティン・バリモント、フョードル・ソログープらだった。彼らは純粋な美学に関心を持ち、その詩はふつう「デカダン」と呼ばれた。
第二世代(または「若いシンボリスト」)は、アンドレイ・ベールイ、ヴャチェスラフ・イワノフ、および最も有名なシンボリストの一人、アレクサンドル・ブローク、さらに彼らに続いて、ボリス・パステルナークとマリーナ・ツヴェターエワなど。彼らは神秘主義者の側面を持っていた。「永遠に女性的なるもの」の象徴を用いたが、それは、理想的な見知らぬ美女や、聖なる、しかし儚い存在として詩に現れている。
アクメイズム
文学運動「アクメイズム」のメンバーは数人だったが、いずれも優れた詩人だった。すなわち、ニコライ・グミリョフとその妻アンナ・アフマートワ、オシップ・マンデリシュターム、セルゲイ・ゴロデツキーなど。彼らは、象徴主義者およびその芸術的手法に反発し、現実の物体、オブジェ、およびそのディテール等を明晰に表現した。彼らのメタファーでは、自然が無生物や人工物になぞらえられている。彼らは自らのグループを詩人の「ギルド」と呼び、詩は「工芸品」であるとした。そして詩の誕生のプロセスを探求した。
未来派(自我未来派、立体未来派)
ウラジーミル・マヤコフスキー、ヴェリミール・フレーブニコフ、アレクセイ・クルチョーヌイフ、イーゴリ・セヴェリャーニン、ダヴィド・ブルリューク…。さらに多くの名前が、美術におけるマレーヴィチのような、詩における革新者となった。彼らは過激であり、かつて詩の分野で考案されたものをすべて放棄しようとした。すべての韻、抒情性、形式、さらには言葉そのものまで破壊したがった。彼らは詩を、幾何学的図形として構築し、奇抜なメタファーを用いた。
農村詩人
19世紀末~20世紀初頭は、建築と芸術における、ロシア様式、およびあらゆる伝統的モチーフの復活が特徴で、文学も例外ではなかった。最も有名な農村詩人の一人がセルゲイ・エセーニンだ(彼は小作農の家庭の出である)。エセーニンは、まったく農民風の服装で現れて、自作の詩を朗読し、繊細な象徴主義者に衝撃を与えた。
ニコライ・クリュエフその他の詩人は、農村を題材として、ロシアの自然を描き、草原と白樺を讃え、これらすべてが彼らの感情にどう働きかけているか探求した。彼らは大都市で多くの時間を過ごしつつも、農村に郷愁の念を抱いていた。
イマジニズム(映像主義)運動
この運動は、ロシア革命後にモスクワで、アナトリー・マリエンホフ、セルゲイ・エセーニン、劇作家ニコライ・エルドマンらによって形成された。彼らは、革命に忠実であり、新しい自由に触発されていた。シニシズムと、モラルの欠如を賞賛し、宗教を批判し否定することを躊躇しなかったが、この運動は間もなく、1925年に終わった。エセーニンがサンクトペテルブルクのホテルで、死体で見つかったときだ。彼が自殺したのか、ソビエトの諜報機関によって殺害されたのかはいまだに議論されている。
「銀の時代」はなぜ、そしていかに終わったか?
「銀の時代」の終焉は、ウラジーミル・マヤコフスキーの自殺、そしてスターリン体制の強化と一致すると、しばしば考えられてきた。ソ連の新政策により、これらの詩人はもはや不要であるばかりか、ソビエト市民にとって有害かつ破壊的であることが示された。ソビエト市民たるものは、まず第一に祖国、プロレタリアート、そして共産主義建設について考えるべきである、と。
しかし、「銀の時代」の詩は、人間、魂、個人的および哲学的な苦悩に焦点を当てていた。それらはもはや問題ではあり得ず、古い資本主義時代の残滓にすぎないとされた。
ソ連の検閲官は、あらゆる詩を細かく吟味し始め、間もなく多くの詩人の出版活動を妨げる。詩人たちはしばしば恐るべき運命に見舞われた。オシップ・マンデリシュタームは、スターリン批判の詩で逮捕され、極東で獄死した。多数の詩人が処刑されたり自殺したりし、生き残った人々も、沈黙を余儀なくされた。