オシップ・マンデリシュターム(1891~1938)は、ワルシャワでユダヤ人商人の家庭に生まれ、後にサンクトペテルブルクに移り、名門校で中等教育を受け、ソルボンヌとハイデルベルクの両大学で学ぶ。アクメイズムの詩人、アンナ・アフマートワ、ニコライ・グミリョフと出会い、創作の道に踏み出す。古代文化やフランスの詩人、ヴェルレーヌ、ボードレール、ヴィヨンらに魅了され、詩人マリーナ・ツヴェターエワと短期間恋愛関係にあった。
現代ロシアの知識人の多くにとって、二人の詩人、マンデリシュタームとブロツキーは、ほとんど聖なる存在となっている。いずれも、自分の詩のために苦難をなめ、キリスト教の受難者のようなイメージさえもつにいたっている。前者は権力の手で死に、後者は亡命を強いられた。
それでも、ずっと遅れて生まれたブロツキーの伝記が、かなりの成功に彩られているのに対し――彼はノーベル文学賞を獲得し、世界的に認知された――、彼に勝るとも劣らぬ天才のマンデリシュタームは粛清され、長年にわたり忘れ去られていた。
1933年、独裁者・ヨシフ・スターリンの個人崇拝が頂点に達しようとしていた頃、マンデリシュタームはあろうことか、スターリンを批判する詩を書いた。
「私たちは生きている 祖国を足下に感じずに…」
詩人は、カフカスのグルジア出身の独裁者を、「クレムリンの山男」と呼び、この政権は、民衆に一顧だに与えないと非難した。
「私たちの言葉は十歩先にはもう聞こえない」
独裁者の取り巻きは、命令を唯々諾々と実行するだけの「クズ」だと、こき下ろしている。
もちろんこの詩は、マンデリシュタームの生前はおろか、死後もずっと出版されなかった。それを書き写すことさえ危険だった。マンデリシュタームは、この詩を友人たちに口頭で読み聞かせたが、詩人ボリス・パステルナークは、それを自殺行為と呼んで、二度と誰にもそんなことをするなと頼んだ。秘密警察「KGB」のアーカイブには、マンデリシュタームが自らこの詩を筆写したものが一部だけ保存されている。
マンデリシュタームは、最悪の結果を迎える覚悟ができていたが、最初はヴォロネジへの流刑にとどまった。しかし、1938年に再逮捕され、極東の中継監獄で死亡した。
にもかかわらず、この詩は生き残った。文学者ユーリー・オクスマンが、西側の雑誌「橋」にその原稿を渡し、1963年に出版されている(オクスマンのおかげで、「銀の時代」の多くの詩が生き残った)。こうして、マンデリシュタームの西側における栄光が始まった。
現在、マンデリシュタームは、20世紀の主要な詩人の一人とされているが、常にそうであったわけではない。生前の彼は、「銀の時代」における他の詩人――とくにアレクサンドル・ブローク――の影に隠れていた。こう考えるのは、マンデリシュタームの伝記作者、オレグ・レクマノフだ。しかもその後は、彼の詩は長年にわたって発禁となってしまった。彼への関心が蘇ったのは、「私たちは生きている 祖国を足下に感じずに…」の出版がきっかけだった。
しかし、マンデリシュタームへの関心が本格的に高まったのは、彼の妻ナジェージダの回想録2冊が1970年に出てからだ。西側では、この本の部数は、彼の詩のそれよりも大きかった。彼女は回想録で、夫の生涯だけでなく、同時代における多くの詩人のポートレートを描いている。
マンデリシュタームの著作集がアメリカで出版されると、西側の文学研究者たちは、この詩人を真剣に研究し始めた。ロシア系米国人でハーバード大学で教鞭をとるキリル・タラノフスキーは、「サブテキスト」という用語を定めた。それが意味するのは、マンデリシュタームの詩の理解し難い部分への鍵は(アフマートワの詩もそうだが)、他の詩人のテキストにあるということだ(つまり、古代、フランス、プーシキンなどのほか、マンデリシュタームの同時代人の詩にある)。これらのサブテキストを見ることで、我々は、新たなニュアンスを理解することができるのだ。
マンデリシュタームは、数多くの研究がなされてきたものの、まだアカデミー版の全集はなく、同時代人の回想を網羅した本もない。
ところで、マンデリシュタームの偉大さは、あのウラジーミル・ナボコフでさえ認めていた。周知の通り、ナボコフは大抵の人間を軽蔑していた。
モスクワ、1933-1934。アンナ・アフマートワとマンデリシュタームの家族。左から右:アンナ・アフマートワ、オシップ・マンデリシュターム、マリア・メトロヴィフ、オシップの父であるエミル・マンデリシュタム、オシップの妻のナデージダ・マンデリシュターム、オシップの弟、アレクサンドル・マンデリシュターム。
Sputnik「ばつの悪そうな目つきをして見せるのがうまい女…」。偉大な女流詩人、アンナ・アフマートワは、これを「20世紀最高の恋愛詩」と呼んだ。
この詩はまさしくサブテキストに満たされている。聖書の聖母マリアのモチーフ、キリストのシンボルである魚、そして魚がセックスのアレゴリーであった東方の物語などを、ここに見出すことができる。
ばつの悪そうな目つきをして見せるのがうまい女、
小さな肩の持ち主よ、
男の危険な気質は鎮められ、
溺れた言葉は聞こえない。
魚たちが、赤いひれを際立たせつつ泳ぎ、
鰓を膨らませている。ほら、取るがいい、
音もなく、口を丸めている彼らを、
そして肉体のパン半切れで養うがいい!
私たちは赤や金色の魚ではありません、
私たちの姉妹の慣わしはこのようなもの。
温かな肉体に細いあばら骨
そして空しく濡れた瞳の輝き。
眉の罌粟で危うい道が示される…
トルコの親衛隊員のような私には気に入ったよ
この小さく、軽やかで赤い、
この哀れな唇の半月は…
怒らないでくれ、愛しいトルコ女よ、
お前とともに袋に入り、口を閉じてしまおう。
お前の暗い言葉をのみ込み、
お前のために偽りの水を飲み干そう。
お前、マリアよ、死せる者の援助者よ。
死を予告して眠らねばならない。
私は堅い門の前に立っている。
行ってくれ、帰れ。いや、まだとどまってくれ。
(1934年)
*もしあなたがロシア語をご存知ならば、ロマン・リベロフ監督による、マンデリシュタームに関するアニメーション『私の言葉を永遠に守れ』を見てみてほしい。
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