1. 『スターリングラード』(原題:Stalingrad)(1993年)
赤軍を口も利けない畜生の群れとして描いた映画『スターリングラード』(原題:“Enemy at the Gates”)が2001年に公開される8年前にドイツがスターリングラード攻防戦について遥かに客観的な映画を撮っていたことは、残念ながらあまり知られていない。この映画には、ソビエト軍の歩兵が3人で1丁の小銃を抱えて敵の機銃掃射に飛び込むという狂気じみた攻撃シーンもなければ、鬼に似た凶悪な督戦隊やコミッサールも出てこない。
1993年の映画『スターリングラード』では、陽光の降り注ぐ温かいイタリアから東部戦線の氷の地獄へ向かうドイツ軍兵士の一団の姿が描かれている。ドイツ軍とソビエト軍の兵士は、ここでは自らの戦闘任務を果たすプロとして登場する。彼らは風刺画的なキャラクターではなく、英雄的な行動を取ることもできれば臆病さやパニックを露呈することもある普通の人間として描き出されている。
2. 『出撃するのは爺さんだけ』(原題:В бой идут одни старики)(1973年)
これは、1943年のドニエプル攻防戦に参加したソ連の戦闘機パイロットらの物語だ。映画は戦闘行為だけでなく、戦争に直面した若い世代の悲劇も描かれている。当時の戦闘機乗りは早死にすることが珍しくなく、数度の空中戦を生き延びた者は、たとえ18歳になったばかりでも堂々と自分のことを「爺さん」と呼ぶことができた。
3. 『アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場』(原題:Tuntematon sotilas)(2017年)
2017年の映画は、いわゆる「継続戦争」(第二次ソ芬戦争)中のフィンランド軍の様子を描いたフィンランドの作家ヴァイノ・リンナの小説の3度目の映画化作品だ。この戦争では、フィンランドは冬戦争(第一次ソ芬戦争)での失地を取り返してさらにソ連領カレリアを併合するため、ヒトラーのソ連遠征に参加したのだった。
映画『アンノウン・ソルジャー』には、ロシア人が東から来た野蛮人だという欧米によくあるステレオタイプがない。もちろん彼らは、フィンランド軍の負傷兵を乗せて走る一台の車を破壊するなど、恥ずべき行動に出ることもある。だが、フィンランド兵もここでは天使ではない。劇中では、フィンランド兵が裁判も捜査もないままソ連兵捕虜を銃殺する場面がある。
4. 『ヨーロッパの解放』(原題:Освобождение)(1967年-1971年)
戦争映画シリーズ『ヨーロッパの解放』は、第二次世界大戦をテーマにしたものとしてはソ連最大の映画プロジェクトとなった。5作の映画では、クルスクの戦いから国会議事堂の占拠まで、ソ連と第三帝国の対立の歴史が詳細に語られている。
制作にはソ連、ユーゴスラビア、東ドイツ、ポーランド、イタリアの映画スタジオが参加し、撮影は4年間に及んだ。プロジェクトには数百人の歴史家や戦争の当事者らも呼ばれ、さらに3千人の兵士、第二次世界大戦中の兵器に似せられた150両の戦車と数十機のソ連とチェコの飛行機が撮影に参加した。
5. 『パトリオット・ウォー ナチス戦車部隊に挑んだ28人』(原題:28 панфиловцев)(2016年)
ソ連崩壊とともに、規模の大きな戦争映画は過去のものとなった。現代ロシアの映画監督は、英雄的な戦いについて語るのではなく、むしろ脱走、性悪な政治指導員、懲罰大隊、兵士の常習的な飲酒、督戦大隊、裏切りなど、この戦争の醜い側面を前面に出すことを好む。戦時中にこうしたことがあったのは事実だが、ロシア映画ではしばしば極端な描かれ方をする。
この傾向に飽き飽きしたある視聴者が自分の映画を作ることを決めた。数千人の寄付を得て、1941年秋にモスクワ郊外で行われた激しい戦闘に参加したパンフィロフ師団の戦功を描く映画の撮影が始まった。複数の博物館が撮影用の衣装や小道具を無償で提供した。ゲーム『ウォーサンダー』の開発者らも資金提供に加わり、撮影終盤にはロシア文化省とカザフスタン文化省(師団には少なからぬカザフスタン人も服務していた)もスポンサーとなった。
6. 『ブレスト要塞』(原題:Брестская крепость)(2010年)
1941年6月22日、ブレスト要塞はソ連で初めてドイツ軍の攻撃に晒された要塞となった。主力から完全に分断された9千人の守備隊は、1週間以上反撃を続けた。個々の兵士は7月末頃まで戦い続けた。
映画はロシアとベラルーシの映画制作会社が共同で撮影した。要塞の跡地で行われた撮影の際には、ソ連兵の遺骨や不発弾が見つかった。
7. 『ヒトラー ~最期の12日間~』(原題:Der Untergang)(2004年)
ドイツの最も優れた第二次世界大戦映画の一つ、『ヒトラー ~最期の12日間~』では、ナチスドイツ統治下のベルリンの最後の日々が映し出される。第三帝国は苦痛の中にある。老人から子供まで赤軍との戦いに駆り出され、将校らは飲んだくれ、司令部はこの望みのない状況をどう打開するか頭を悩ませている。物語の主人公はヒトラーだ。ロシアの視聴者が映画で見慣れたヒトラーはヒステリックに喚き散らす神経衰弱者だが、今回ドイツの映画制作陣は、総統をうなだれた老人として描き出した。
面白いのは、ベルリンの風景の大半の部分が、サンクトペテルブルクで撮影されたということだ。ソ連の歩兵が戦いながら総統官邸に近付くシーンで目を凝らせば、背景にサンクトペテルブルクの中心的な大聖堂の一つ、至聖三者大聖堂が見える。
8. 『祖国のために』(原題:Они сражались за родину)(1976年)
スターリングラードの戦いの話を聞くと、人は雪の積もった廃墟での戦いを思い浮かべる。実際には街の攻防戦が始まったのは1942年7月だった。まさにこの知られざる期間を描いたのが、このセルゲイ・ボンダルチューク監督の作品だ。
『戦争と平和』や『ワーテルロー』といった映画も手掛けた監督は、最大限のリアリティーを表現することを目指した。彼は役者に軍服で何日も歩かせ、自分たちで塹壕を掘らせ、スタントマンを使わなかった。そんなわけで役者の中には保険もなしに戦車の下に飛び込んだ者もいれば、爆発音で聴力を失いかけた者もいた。撮影では5トンという記録的な量のTNT爆薬が使われた。
9. 『炎628』(原題:Иди и смотри)(1985年)
最も恐ろしく最もハードな第二次世界大戦映画の一つ、『炎628』は、あるベラルーシの村で1943年に行われたナチスの懲罰作戦を描いている。映画には暴行、銃殺、焼殺などの残酷なシーンが溢れている。
『炎628』が外国で公開されると、劇中の演出のリアリティーを疑う人もいた。「ザ・ワシントン・ポスト」誌の批評家リタ・ケンプリーは映画監督がナチス兵を狂気じみた殺人鬼として描くことで事実を誇張していると指摘した。とはいえ映 画のリアリティーは戦争の当事者らが認めている。「私は元ドイツ軍兵士だ。それも将校だった。ポーランドとベラルーシの全土を歩き、ウクライナに達した。証言しよう。この映画で語られていることはすべて真実だ。私にとって最も恐ろしく、最も恥ずべきなのは、この映画を私の子供や孫が見るということだ」とある高齢の視聴者がドイツでこの映画が公開された際に話している。
10. 『44年の夏』(原題:В августе 44-го)(2000年)
1944年夏、ベラルーシのソビエト軍の後方でドイツ軍のスパイが盛んに活動している。スメルシの防諜職員の一団は、一刻も早くドイツのスパイを見つけ出して無力化するよう命じられる。バルト海沿岸での攻撃作戦そのものの運命がこれにかかっているからだ。
映画は批評家からも一般の観客からも好評を博した。最も価値ある称賛の言葉が、連邦保安庁(FSB)のコメントだった。FSBは『44年の夏』がロシア(ソ連)の防諜職員の活動を最もリアルに映画化したものだと認めたのだ。
11. 『ここの夜明けは静か』(原題:А зори здесь тихие)(1972年)
ソ連映画『ここの夜明けは静か』は今日欧米映画で流行しているフェミニズムの潮流に完全に合致している。この映画は、カレリアの後方奥深くに降り立ったドイツの破壊工作部隊に、男性司令官が一人で率いる女子高射砲部隊が立ち向かうという物語だ。
映画はロシアの観客から絶大な好評を得ており、ロシアで一、二位を争う傑作第二次世界大戦映画と見なされている。ソ連時代にはこの映画の視聴が学校の必須課題だった。現在ではジャーナリズム学部の学生は視聴が必須である。『ここの夜明けは静か』が思わぬ人気を得たのが中国だった。2005年には中国とロシアの映画制作者らが共同でリメイク版を作ることになり、19話から成る同名ドラマシリーズが生まれた。
12. 『東部戦線1944』(原題:Звезда)(2002年)
現代ロシアの戦争映画は『ワールドオブタンクス』のようなコンピューターゲームを思わせ、しかも無駄な恋愛要素を前面に出したものが多いが、2002年に撮られた『東部戦線1944』は、戦争そのものだけをリアルに描いていたソ連映画の最高の伝統に倣っている。
1949年の同名映画(Звезда)のリメイク版である『東部戦線1944』は、1944年夏に敵の背後に回り、命を懸けてドイツ軍の反撃準備に関する重要な情報を得ようとした諜報員らの物語だ。劇中に恋愛の要素はあるが、最近のロシアの戦争映画によくある、物語の主軸を乱してしまうようなものではない。