1. ワシリー・ヴェレシチャギン。『戦争礼賛』(1871年)。ティムールの軍は戦役中に敵の首の山を残していった。戦争の恐ろしさを強調する作者は、この絵を「過去、現在、未来のすべての偉大な征服者らに」捧げた。
2. パーヴェル・ルイジェンコ。『カルカ』(1996年)。モンゴル軍侵攻の14年ほど前、ルーシ人はカルカ河畔の戦いで将来の侵略者の力を感じた。この壊滅的敗北の後、囚われたルーシの公たちは浅い溝に投げ込まれた。勝者は木の床で溝に蓋をし、宴を催した。あらゆる骨を折られていた犠牲者は、窒息死した。
3. ミハイル・アヴィロフ。『クリコヴォでのペレスヴェトとチェルベイの一騎打ち』(1943年)。伝説によれば、モンゴル軍とルーシ人が激突した有名なクリコヴォの戦い(1380年)の前に、双方の最も優れた戦士による一騎打ちが行われたという。両者とも戦士した。
4. ワシリー・スリコフ。『イェルマークのシベリア征服』(1895年)。この絵は1582年のコサック首長イェルマークの軍とシビル・ハン国との決定的な戦いを描いたものだ。イェルマークはルーシ国家を代表してシベリア征服を始めた。
5. アレクサンドル・コツェブー。『ナルヴァの戦い』(1846年)1700年11月30日のナルヴァの戦いでは、総勢約4万人のロシア軍が9千人の強力なスウェーデン軍に敗れた。これは大北方戦争(1700年~1721年)でロシアが喫した最も屈辱的な敗北だった。
6. ワシリー・スリコフ。『1799年にアルプスを越えるスヴォーロフ』(1899年)。この絵は司令官アレクサンドル・スヴォーロフ率いる軍によるスイス戦役での最も果敢なエピソードの一つを描いている。彼らの目標はスイスを占領するフランス軍を壊滅させることだった。
7. ボグダン・ヴィレヴァリデ。『1805年のアウステルリッツの戦いでの騎兵連隊の宴』(1884年)。この戦いは三帝会戦としても知られ、ナポレオン、アレクサンドル1世、フランツ2世が参戦した。6万5千人の兵を率いるフランス皇帝が、8万4千人の露墺軍を破った。アウステルリッツでの敗北は、自国軍が無敵だと考えていたロシア社会に衝撃を与えた。
8. ワシリー・ヴェレシチャギン。『ボロジノのナポレオン』(1897年)。この絵は、大陸軍のロシア遠征をテーマにした20点の絵から成る同画家の連作の最初の作品だ。
9. イワン・アイヴァソフスキー。『ナヴァリノの戦い』(1848年)。ギリシア独立戦争(1821年~1832年)中のナヴァリノの戦い(1827年)で、露英仏連合艦隊がオスマン海軍を破った。この勝利は文字通りギリシア人を救った。当時ギリシアの独立闘争は崩壊の危機に瀕していたからだ。
10. ワシリー・ヴェレシチャギン。『致命傷』(1873年)。この絵では、19世紀後半のロシアによる中央アジア征服中の出来事が描かれている。
11. ワシリー・ヴェレシチャギン。『敗者。パニヒダ』(1879年)。従軍した画家は、露土戦争(1877年~1878年)中のテリシュの戦い(1877年10月3日)の後の戦場を描いた。ロシアの勝利はルーマニア、セルビア、モンテネグロに独立をもたらした。
12. ニコライ・ドミトリエフ=オレンブルクスキー。『プレヴナ包囲:要塞の攻略』(1885年)。ロシア軍による5ヶ月に及ぶプレヴナ包囲は、露土戦争(1877年~1878年)における重要な出来事だった。オスマン軍が降伏したことで、紛争の運命はほぼ決した。
13. ミトロファン・グレコフ。『第一騎兵隊のラッパ手』(1934年)。第一騎兵隊は、ロシア内戦(1917年~1922年)とポーランド・ソビエト戦争(1919年~1921年)において最も優れ、かつ最も効果的な部隊の一つだった。
14. アレクサンドル・デイネカ。『セヴァストポリ防衛』(1942年)。デイネカの絵は1942年のセヴァストポリ包囲を写実的に描いたものではなく、和解不能な2つの勢力の衝突を象徴的なイメージで描き出したものだ。顔の見えない黒い侵略者と、ソビエト騎士――輝かしい白の制服に身を包んだ水兵たち――の対決である。
15. ピョートル・クリヴォノゴフ。『勝利』(1948年)。ポーランド人民軍の援護を受けたソビエト軍がベルリンを攻略するのには一週間以上かかった。国会議事堂をめぐる衝突は、ヒトラーが4月30日に自決した後も続いた。ベルリンの最後の抵抗勢力は5月2日に鎮圧されたが、狂信的なナチス兵との銃撃戦は5月7日にも発生した。