ロシア人の多くは、ロシア(あるいはソ連)を描いたハリウッド映画やイギリス映画を観て顔を手で覆いたくなった経験を持つことだろう。スクリーンに映るナンセンス、でたらめ、嘘の数々を目にして、ロシア人は西側の人々が彼らを映画で描き出す方法を特徴付ける言葉として「クリュクヴァ化」という新語を思いついた。「クランベリー」を意味する「クリュクヴァ」が語源だが、この語は俗に「見せかけのもの」を意味する。ロシアを描いた映画がロシア国外の観客に向けていかにステレオタイプ化されて作られてきたかを示している。
ここで皆さんに、ソ連史上の出来事を題材にしたアメリカ、カナダ、イギリス映画に対して我々が独自に付けた「クランベリー・スコア」を発表しよう。1クランベリーはロシアの現実を十分正確に表していることを、5クランベリーは完全なでたらめであることを示す。
『チャイルド44 森に消えた子供たち』(2014年)
舞台は1950年代のソ連。秘密警察のエージェント、レオ・デミドフは、40人以上の子供を殺害した猟奇的殺人犯を追っている。驚くべきことに、彼の上司は事件を隠蔽しようとしている。捜査はレオにとって危険なものになっていく。
『チャイルド44』で唯一評価できる点は、トム・ハーディ、ゲイリー・オールドマン、ノオミ・ラパスといったキャストだ。ノオミがロシア語訛りの英語を話そうと努めているのは愉快だ。それ以外のあらゆる点でこの映画は陰鬱である。
1937〜38年にソ連でピークに達したスターリンの大粛清が、映画では比較的穏やかな時代だった戦後の1955年代に移され、荒唐無稽なまでに誇張されている。スターリン時代のソ連は確かに理想的な場所ではなかったが、『チャイルド44』の制作陣は当時のソ連を文字通り地上の地獄に変えた。
『チャイルド44』によれば、ソビエト市民は誰でも血に飢えたKGB(1953年にはMGB)の犠牲者になり得る。いつ何時秘密警察に家から連行されて裁判を経ずに頭を撃ち抜かれるかもしれない。この映画の世界では、人口の半分が警察官か密告者で、残りの半分は「人民の敵」であるようだ。
農家の無実の夫婦が(見せしめとして)屋外で処刑され、教授が大学の廊下で殴打されても犯人はお咎めなし、警察官も軍事裁判を恐れることなくお互いを射殺し合う。
極め付きは、ソ連の秘密警察が殺人事件を隠蔽したがる理由の滑稽さだ。警察官曰く、「社会主義の楽園に殺人事件は存在しない。」
ソ連を最大限に悪魔化した完全なでっち上げ映画の『チャイルド44』には、満点の5クランベリーが相応しい。
『ディファイアンス』(2008年)
史実に基づくこの映画は、ユダヤ人のビエルスキ4兄弟の運命を描く。ホロコースト時代、彼らはナチスに占領されたベラルーシの森に身を潜めることを余儀なくされる。彼らはそこで強力なパルチザン部隊を編成し、ドイツ軍に一矢報いるだけでなく、できるだけ多くの一般のユダヤ人を救い出そうとする。
おそらく『ディファイアンス』は、これまでのハリウッド映画の中で最も史実に忠実な映画だろう。ベラルーシの農民の生活や兵器、軍服まで細部にわたって正確に描き出している。ドイツ兵やパルチザン、ベラルーシ人内通者まで、本物さながらに描き出されている。
注目すべきは、ビエルスキ兄弟と連絡を取るソビエトのパルチザン部隊を、本作は敬意を以て描き出しているという点だ。ソビエト兵は、よく映画に出てくるような赤子を食らう鬼としては描かれていない。彼らは真の愛国者で、勇猛に敵と戦う。晩には彼らは酒を飲むが、狂暴な集団と化すわけではなく、いつ何時来るかもしれない敵の攻撃に反撃できる正気は保っている。中には反ユダヤ主義者もいるが、これも史実に矛盾するものではない。
部隊の司令官であるビクトル・パンチェンコは孤立無援のビエルスキ戦士らを残して去るが、これは彼が根っからの悪人だったりユダヤ人嫌いだったりするからではなく、戦術上の必要性によるものだ。彼はこの決断を悔いるが、他に道はないのである。
『ディファイアンス』は、ソ連史が映画で表現されるべき在り方を示す模範として1クランベリーの評価が相応しい。
『スターリングラード』(2001年)
この有名な映画は、第二次世界大戦中の赤軍に関する神話を不朽のものにした戦犯だ。『スターリングラード』は、スターリングラードの戦いで活躍した実在の有名なスナイパー、ヴァシリ・ザイツェフの運命を描いている。
この映画が「史実に基づいている」とは言い難い。でたらめや嘘に満ちた本作品は、ソ連軍を悪魔的な政治将校が率いる畜生の群れとして描いている。
ソ連兵らは文字通り丸腰(3人で小銃一丁を共有)でドイツ軍の機関銃掃射の中に飛び込む。後ろから督戦隊が彼らの背中に向けて発砲する。
もしこれが事実であれば、ソ連は第二次世界大戦で勝つことはなかっただろう。実際には、当時のソ連の工業は効率的に機能しており、軍には兵器が溢れていた。督戦隊は主に後方で活動し、サボタージュをする者や逃走兵を捕まえていた。場合によっては、彼らは正規軍として敵と戦うこともあった。
そしてもちろん、こうした映画には焚火の周りで酔っ払って踊るソ連兵の描写が付きものだ。『スターリングラード』は文句なしの5クランベリーである。
『ビター・ハーベスト』(2017年)
カナダ映画の『ビター・ハーベスト』の舞台は、1930年代のウクライナ・ソビエト社会主義共和国だ。本作品によれば、ウクライナ人に対する人為的大飢饉(ホロドモール)はスターリンの主導で引き起こされた。一般のウクライナ人はソ連軍の到来という絶体絶命の危機に直面する。ソ連軍はすべての食糧備蓄を徴発し、抵抗した者は処刑する。
今日もなお、ホロドモールの話題は非常に二義的で痛みを伴うものである。西側に支援されたウクライナは、1932~33年にソ連指導部による人為的大飢饉というジェノサイドに遭う。だが実際には、ウクライナだけでなくロシアの大部分も飢饉に見舞われていた。共産党の不適切な農業政策に起因する飢饉は、ウクライナ人だけを狙ったものではなかったのである。
映画の初めのシーンから、観客は強烈なコントラストを目にする。幸福と喜びに満ちたウクライナ人と、暗く怒れるボリシェヴィキだ。この善と悪の対置は最後のエンドロールまで続く。
『ビター・ハーベスト』は、ウクライナ人を「ソビエトの群れ」のアンチテーゼとして描き出している。ウクライナ人がソ連では人口と重要度の点でロシア人に次ぐ位置を占めた民族集団であり、ソビエト社会の不可分な一部であったということを忘れているようだ。
もし映画で描かれていることが事実なら、第二次世界大戦で何百万人ものウクライナ人がナチスに対して立ち上がることはなかっただろう。本作品は4クランベリーだ。
『スターリンの葬送狂騒曲』(2017年)
この英国コメディーは、ロシアで大スキャンダルを巻き起こした。結果的に、スターリン死後のソ連における政治闘争を描くこの映画は、「ソ連の過去に対する忌々しい嘲笑である」と非難され、映画館での上映を禁止された。
『スターリンの葬送狂騒曲』が完全なでたらめなのかどうかを判断することは難しい。結局この映画は一大笑劇だからだ。本作品に登場する歴史上の人物は、実在の人物とほとんど共通点を持たない。ここでは彼らは極めて風刺的かつグロテスクに描き出されている。
というわけで、この映画には3クランベリーの評価を与えておこう。
『K-19』(2002年)
史実に基づく『K-19』は、1961年に原潜での核事故を命懸けで防いだソ連水兵らの英雄的行為を描く。
プリプロダクションのさい、制作陣はK-19潜水艦に乗っていた存命中の元水兵らと長い時間をかけて話し合った。水兵らが最初の脚本に目を通したとき、彼らは心底衝撃を受けた。ソ連の潜水艦の乗組員が、ろくな知識も技量もないまま原潜という代物を操作する酔っ払いの野蛮人集団として描かれていたのだ。
「将校らは部下を打ち、オレンジを盗んでいた。そのうちの一人は原子炉の上に腰掛けてウォッカを飲んでいた。水兵らは暴言を吐き合っていた」と電気技師のボリス・クズミンは最初の脚本について回想している。
激怒した元水兵らは、監督と俳優らに集団直訴状を出した。後者の賢明な判断により、訴えは考慮に入れられた。脚本の9割以上が書き直された。
馬鹿らしい荒唐無稽なシーンはいくつか残っているが、『K-19』の完成版は見違える映画となり、ソ連潜水艦の元乗員から概して評価された。
ハリソン・フォードはソビエトの艦長を完璧に演じた。当時の実際の艦長を彷彿とさせる迫真の演技は、元水兵らに大きな衝撃を与えた。「見ているとき、心臓の薬を飲まなければならないほどだった」と元将校のユーリー・ムヒンは語っている。
ソ連の歴史的事件を描いたハリウッド映画の傑作の一つとして、『K-19』には2クランベリーの評価を与えたい。
『チェルノブイリ』(2019年)
この最新の英米合作テレビドラマは、史上最も有名な原発事故の一つを時系列に沿って追っている。
『チェルノブイリ』は迫力あるドラマで、当初自分たちが対処していることがどれほどの悪夢か知らなかった一般の人々の悲劇に焦点が置かれている。
現場、建物、車両、さらに消防士の制服やピオネールのリボンといった細部までしっかりと描き出す細やかさによって、このドラマは今のところ成功を収めている。堂々の1クランベリーを与えるべきだろう。