必見のバラバノフ映画6選

カルチャー
オレグ・エゴロフ
 アレクセイ・バラバノフは、ロシア国外ではあまり知られていないが、ギャスパー・ノエやミヒャエル・ハネケ、さらにはクエンティン・タランティーノに匹敵する映画監督だ。だが彼の映画には独自の暗い魅力がある。彼の映画のうち特に優れた6作品をご紹介しよう。

 「私の全作品のテーマは愛だ。」自身の不穏な映画『貨物200便』についてコメントする中で、アレクセイ・バラバノフ監督はこう述べた。『貨物200便』では数多くの殺人さえ作中の最悪の出来事ではないことを踏まえれば、これは奇妙な話だ。だがそれはどうも本当らしい。バラバノフ監督は5年前に亡くなったが、彼の映画は今なお熱い議論を巻き起こす。見る人それぞれが自分の答えを見つけるべき疑問を扱っているためだ。

 

1. ロシアン・ブラザー(1997

 セルゲイ・ボドロフJr.(1971〜2002)が演じるダニーラ・バグロフは、チェチェン紛争を戦った軍人だが、家に帰っても平静を得られないことを知る。彼の兄のビクトルは殺し屋で、ある日弟に仕事を手伝うよう頼むが、これがやがてギャングの抗争に発展する。続編の『ロシアン・ブラザー2』の舞台はアメリカで、ダニーラは紛争時の戦友の仇を討つためこの国へやって来る。あらすじは至極単純だが、『ロシアン・ブラザー』シリーズは両作とも大ヒットし、ロシアでは象徴的な地位を得た。ロシアでこれらの映画を一度も見たことのない人を見つけることは困難だろう。

 バラバノフの友人でプロデューサーのセルゲイ・セリャノフ氏は、「バラバノフは、大地を踏みしめるソ連崩壊後ロシアの男を描いており、それが人々に愛されている」と話す。しかし監督自身はやや懐疑的で、これらの映画を「ゴミ」と呼んでいた。

 

2. フリークスも人間も(1998

 『ロシアン・ブラザー』を撮影したのち、バラバノフはおそらく彼の映画の中で最も奇妙な作品を制作した。『フリークスも人間も』に登場するメイン“ヒーロー”のヨハンは、帝政ロシアにおいて、シャム双生児を含め、異常な人間(“フリークス”)を撮影するポルノ写真家だ。物語はヨハンにとっても、彼の汚れた仕事にとっても予想外な形で展開していく。

 この映画の興行成績は芳しくなかったが、バラバノフは金のことはあまり気にしなかった。映画評論家のビクトル・マチゼン氏をはじめ、多くの人がこの映画を「厭世的でロジックがない」として不快に受け止めた。しかし一方で、ドストエフスキーやロシア映画の傑作からの引用に富む知的なプロットを楽しむ人もいた。

 

3. チェチェン・ウォー(2002

 チェチェン紛争はソビエト崩壊から間もない頃のロシアにとってトラウマであり、バラバノフにとっては重要なテーマだった。この映画で彼は果敢にもこのテーマに深く切り込み、チェチェン共和国でのロケ撮影も敢行した。この映画はロシア人兵士と、チェチェンの首領に捕らえられた英国人夫婦についての物語だ。首領は兵士と英国人男性を解放し、男性の妻の身代金を集めるよう命じる。これは物語のほんの始まりにすぎない。

 バラバノフが『チェチェン・ウォー』を撮影した2000年代初めは、まだ紛争の最中だった。撮影班が撮影をしている間、実際の部隊が警備に当たっていた。バラバノフは、タフな映画を作ろうとしていたが何も創作する必要はなかったと打ち明けている。彼が「映画の中の出来事は事実に基づいている」と話すように、現実のチェチェン紛争は十分に過酷だった。

 

4. 死人のはったり(2005

 ギャングや長い対話、何ガロンもの流血のあるタランティーノ映画を想像してみよう。ただし舞台は万能の犯罪組織が暗躍していた1990年代ロシアの地方都市だ。アレクセイ・パーニンとドミトリー・デュジェフ演じる2人の凶悪なやくざは、次から次に生じる問題に立ち向かう。

 映画のキャッチコピーは「1990年代を経験した人々へ」だった。評論家のワシーリー・コレツキー氏は、「『死人のはったり』は愉快でシニカルかつ反知性的だが、明らかな社会風刺が笑いをやや病的なものにしている」と書いている。

 

5. 貨物200便(2007

 時は1984年、ソ連軍の部隊がアフガニスタンに展開し、若い兵士らはトタン板でできた棺に入って故郷に戻ってくる。棺は軍の隠語で「貨物200」と呼ばれている。一方、ソビエトの架空の都市レニンスクでは恐ろしい事件が起きる。地元の共産党の指導者の娘がサイコパスに誘拐されたのだ。

 『貨物200』はソ連の緩やかな衰退をテーマにしており、ロシアに衝撃を与えた。脚本を読んで出演を断る俳優がいたほか、この映画のチケットの販売を拒む券売所もあった。バラバノフは「政治的な映画でもないし、何のメッセージもない。1984年当時の私の感情を表現したに過ぎない」と肩をすくめた

 

6. 私も幸せが欲しい(2012

 サンクトペテルブルクの南東のどこかに、永遠の幸福をもたらす鐘楼が立っていると言い伝えられる神秘的な地区があった。強盗と音楽家、そして何人かの友人がそこへ向かう。幸福が欲しいという主人公の言葉を聞き、皆が「私も」と復唱する。しかし全員が鐘楼にたどり着けるわけではなく、また入ったとしても誰も出られない。

 「これが自分の最後の映画になると思う」と公開から間もなくしてバラバノフは語った。果たして1年も経たないうちに、バラバノフは心臓発作のために亡くなった。映画評論家のアントン・ドリン氏が言うように、『私も幸せが欲しい』は「バラバノフ作品の中で最も絶望的な映画であると同時に、おとぎ話でもある。」そしてこの映画は偉大な監督による自己追悼作品となった。彼は映画のラストシーンで別れを告げるかのようにカメオ出演している。