ソ連・ロシア映画の象徴作10選

「ロシアン・ブラザー」(1997年)

「ロシアン・ブラザー」(1997年)

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 セルゲイ・エイゼンシュテイン監督からアンドレイ・ズビャギンツェフ監督まで、約1世紀のロシア映画の展開を追った。

 ステパン(ステンカ)・ラージン率いる大勢のコサック反乱軍は、ペルシアの作戦で勝利を祝う。その後、ラージンは、捕えて侍らせていた若くて美しいペルシアの愛人を殺害する。ゆえなく背信を責められての非業の死…。帝政ロシア時代の1908年、モスクワの「アクヴァリウム」劇場で、アレクサンドル・ドランコフによって製作、撮影された、初めてのロシア語の劇映画「ステンカ・ラージン」が初上映された。こうして、ロシアとソ連の豊かな映画史が始まった。

 

「戦艦ポチョムキン」(1925年)

 初期のソ連映画の天才セルゲイ・エイゼンシュテイン監督は1905年、オデッサで起きた帝国戦艦の船員の反乱を描いた。この映画は世界映画の古典とみなされ、その後の監督や撮影カメラマンに長く影響を与えている。たとえば、オデッサの階段を降りる兵士の象徴的なシーンは、ブライアン・デ・パルマ監督の「アンタッチャブル」、ピーター・シーガル監督の「裸の銃(ガン)を持つ男PART33 1/3/最後の侮辱」などの映画でも使われた。

 エイゼンシュテイン監督は他にも、「10月(世界をゆるがした10日間)」、「アレクサンドル・ネフスキー」、「イワン雷帝」など、伝説的な映画の監督を務めている。映画編集の「知的モンタージュ」の発明者としても世界的に有名。

 

「クバンのコサック」(1949年)

 イワン・プィリエフ監督(監督、脚本家で後にモスフィルムの社長になった)の作品。ソ連のクバン地域のコルホーズで働く男女の恋愛物語。ソ連の農民の生活を美しく、繁栄したものに描くことが目的であった。

 この映画の皮肉な点は、第二次世界大戦の終結から4年後、国民の多くが飢えていた時期に、これが公開されたことである。映画関係者の回想録によれば、一部のキャストは、豊かな土地の恵みを演出するために用意された偽の農産物を見つけた際、飢えのあまりセットで失神したという。

 

「戦争と貞操(鶴は翔んでゆく)」(1957年)

 ミハイル・カラトゾフ監督の作品。当時は芸術面と技術面の両方で革新的であった。撮影カメラマンのセルゲイ・ウルセフスキーは、中断や編集のない、数分続く長いカメラの「フレーズ」の使用などの技術を採用した。ウルセフスキーはまた、現代映画の製作の定番である、ショットを追跡する円形レールを初めて使用した。だが発明の特許申請は一切しなかった。

 愛と友情の美しい物語は、第二次世界大戦の勃発、家族の争い、主人公の選択により、悲劇的な流れになる。ソ連の理想的な一部ではなく、個性的で複雑な個人が描かれているため、当局から猛批を受けた。

 フランスのカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲得した、唯一のソ連またはロシアの映画である。

 

「七月の雨」(1967年)

 当時の最も知的かつ強力な映画の一つと考えられている、マルレン・フツィエフ監督の作品。フルシチョフの雪解けの時代のとても個性的、芸術的な映画で、フランスのニュー・ウェーブの映画をほうふつとさせる。

 ユーリー・ヴィズボル、ブラト・オクジャワ、エヴゲニー・クリャチキンなど、1960年代の吟遊詩人や詩人が広めたソ連の人気のジャンルを背景にしている。アンドレイ・タルコフスキー監督やアレクサンドル・ミッタ監督などが、端役としてこの映画に出演しているのもおもしろい。これは、考え方や信念を変えることを余儀なくされる30代の男女の、夏から秋にかけての恋愛を描いている作品である。

 

「アンドレイ・ルブリョフ」(1966年)

 この映画は、ロシアの国民的な性格、芸術的および文化的美しさ、悲劇的な歴史をとらえている。ソ連のイデオロギーに反する宗教的、哲学的なニュアンスにより、当局によって長年禁じられていた作品。

 15世紀ごろのイコン画家ルブリョフの伝記で、ロシアの歴史と文化における芸術家の役割を哲学的に説きながら、中世ロシアのさまざまな題材に触れている。アンドレイ・タルコフスキー監督は長編映画をわずか7作しかつくっていないが、どれも傑作とみなされている。

 

「戦争と平和」(1967年)

 セルゲイ・ボンダルチュク監督の、4部作の作品。アメリカのアカデミー賞外国語映画賞を受賞している。レフ・トルストイの小説を映画化した作品としては最高作と考えられており、ソ連で最も製作費の高額な映画である。戦闘シーンのために、ソ連国防省は1500人の特別な映画騎兵連隊を派遣した。この連隊は、その後多くの映画に出演している。

 製作期間は6年。国内の博物・美術館58館のコレクションが使われ、ソ連企業40社以上が嗅ぎたばこ入れから農作業用荷車までの兵器や小道具をつくった。また、衣装9000枚、円筒帽1万2000個、ボタン20万個がつくられた他、ロシアとフランスのメダルや武器の精巧なレプリカも用意された。

 この映画の激しい戦闘シーンや戦場のパノラマ・カメラ・ショットの革新も特徴である。たとえば、1812年ボロジノの戦いのシーンには、フランス軍とロシア軍の950人の騎兵連隊と1万5000人の歩兵が登場している。

 

「モスクワは涙を信じない」(1980年)

 1981年、アメリカのアカデミー賞外国語映画賞を受賞した作品。1985年、アメリカのロナルド・レーガン大統領(元俳優)は、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ書記長と歴史的な会談を行う前に、ロシア人の心を理解するためにこの映画を複数回見たという。

 ウラジーミル・メニショフ監督も、出演者も、ほとんど無名であった。ソ連の有名な俳優らは、ステータスの高くないこの作品への出演を辞退していた。だがソ連女性の多角的な生活を描いたこの映画は大ヒット。出演者は大スターになった。

 主人公の女性は妊娠した後、彼氏に捨てられる。絶望したものの、その後生活は変わっていく。

 

「無力症候群」(1990年)

 ロシアでも、海外でも、映画監督は男性が圧倒的に多かった。ソ連映画界において、キーラ・ムラトワは絶賛された例外的な監督であった。「無力症候群」は、ペレストロイカ前のソ連とペレストロイカまっただ中のソ連の2つの時代を描いている。この2部はつながっていない。モノクロの第1部は、夫を亡くした女性の物語。カラーの第2部は、無力症に悩む女性の物語。

 この作品は第40回ベルリン国際映画祭銀熊賞などの、さまざまな賞を受賞している。

 

「ロシアン・ブラザー」(1997年)

 アレクセイ・バラバノフ監督の犯罪ドラマ。ソ連が消滅した後の時代の象徴であり、若者の間で大人気となった。  ソ連崩壊後、ロシアの通りで横行した強盗、恐喝、その他の犯罪が描かれている。主人公は第一次チェチェン紛争から帰還した若き退役兵士ダニーラ・バグロフ。新しい社会で自分の居場所を見つけようとする。

 少額の予算で、撮影期間はわずか31日。だが大ヒットし、2000年には「ロシアン・ブラザー2」も公開された。

 

「無愛」(2017年)

 第70回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で審査員賞を受賞。アメリカのアカデミー賞外国語映画賞にはロシアの代表作として出品された。両親に心理的に放棄された子どもの物語。

 アンドレイ・ズヴャギンツェフ監督は、最初の映画「父、帰る」が2003年にベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞するなど、欧米で高い評価を受けている。「ヴェラの祈り」(2007年)はカンヌ国際映画祭のパルム・ドールにノミネート、「エレナの惑い」はカンヌ国際映画祭のある視点部門審査員特別賞を受賞、「裁かれるは善人のみ」(2014年)はカンヌ国際映画祭の脚本賞、ゴールデン・グローブ賞の最優秀外国語映画賞を受賞している。

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