イコン画家アンドレイ・ルブリョフ

10月17日は、ロシアで最も尊敬される正教のイコン画家、アンドレイ・ルブリョフの命日で、死後585年になる。アンドレイ・ルブリョフは、1360年代後半に、至聖三者聖セルギイ大修道院からそれほど遠くない所に位置する、ラドネジという小さな町で生まれた。おそらく、 彼は青年時代をこの修道院の修行僧として過ごし、後に正式な修道士としての聖職位を与えられたものと思われる。アンドレイ・ルブリョフに言及した最初の年代記:この巨匠は、フェオファン・グレクと共にモスクワのクレムリンにある生神女福音大聖堂のイコノスタスを描いた。/ 『生神女福音』、1405年

10月17日は、ロシアで最も尊敬される正教のイコン画家、アンドレイ・ルブリョフの命日で、死後585年になる。アンドレイ・ルブリョフは、1360年代後半に、至聖三者聖セルギイ大修道院からそれほど遠くない所に位置する、ラドネジという小さな町で生まれた。おそらく、 彼は青年時代をこの修道院の修行僧として過ごし、後に正式な修道士としての聖職位を与えられたものと思われる。アンドレイ・ルブリョフに言及した最初の年代記:この巨匠は、フェオファン・グレクと共にモスクワのクレムリンにある生神女福音大聖堂のイコノスタスを描いた。/ 『生神女福音』、1405年

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アンドレイ・ルブリョフは、モスクワ・クレムリンの生神女福音大聖堂で、イコノスタスを描く作業に着手した。古いロシアのイコンで、作者が自筆の碑文を記すことはきわめて稀である。アンドレイ・ルブリョフの生涯と作品について実存する歴史的な証拠は、きわめて矛盾に満ちている。例えば、『主の顕栄祭』を描いた画家が誰であるかは、未だに確立されていない。ユネスコ世界遺産リストの編纂者は、それを「ルブリョフ派」の作品として定義 した。/ 『主の顕栄祭』、1425年
ルブリョフの初期の作品に数えられるのは、同じくモスクワの生神女福音大聖堂内にある『ハリストスの誕生』だ。鮮明な色彩と啓蒙に満ちた雰囲気を好んだ『ハリストスの誕生』の画家は、物体を単調な点やシルエットとしてではなく、小さいながらもどういうわけか巨大な空間における明るい存在としてとらえた。そこで描写されたあらゆるものに意味が与えられているが、それには空間的および精神的な自由も包含されている。/ 『ハリストスの誕生』1405年
研究者はまた、ヒトロヴォの福音書、ズヴェニゴロドのゴロドク(城塞)にある救世主昇天聖堂のフレスコ壁画(1400年頃)、そして同じくズヴェニゴロドのデイシスも、ルブリョフの作品であるとみなしている。いわゆるズヴェニゴロドのデイシスは、中世ロシアの絵画の中でも最も優美なイコンのコレクションだ。このデイシスは、救世主、天使首ミハイルおよび使徒パウエルを描いた3つの半分の長さのイコンによって構成されている。/ 『使徒パウエル』、1410年
ズヴェニゴロドのデイシス画は、独特な色彩の輝きとさわやかさ、そして色調の変化の崇高さにおいて傑出している。金色の背景、まばゆい顔面、純粋な黄土色の影、そして青、ピンク、緑色の衣服から光が発している。天使首ミハイルの姿を借りて、ルブリョフは詩人のもの静かで叙情的な瞑想の栄光を讃えた。/ 『天使首ミハイル』、1408年
ルブリョフの『救世主』は、後世のあらゆるロシア人だけでなく、彼と同時代の人々に多大な影響を与えた。その姿は生き生きとして、オープンでありながら威厳に満ちているが、同時にスラヴ的な寛大さが感じられる。その顔の形状はきゃしゃである。その豊かな色彩は、金色を含む様々な色合いの黄土色、そしてやや暗めの淡いスカイブルーなどによって濃厚になっている。色彩に富む表情は、賢明で平静な雰囲気を醸し出している。/ 『救世主』、1410年
1408年に生神女就寝大聖堂のイコンを描くためにアンドレイ・ルブリョフがウラジーミルに送られたことは、ほぼ間違いないと断言できる。ウラジーミルの生神女就寝大聖堂は、中世ルーシでは特にあがめられていた。そしてモスクワの大公たちは、その維持に絶えず努めた。ウラ ジミールの生神女就寝大聖堂のイコノスタスにおける祭日デイシスに含まれる『昇天』のイコンには、他の複数の人物が描かれている祭日イコンにはない、リズムに富んだ特別な構成が見受けられる。/ 『昇天』、1408年
ルブリョフの作による生神女就寝大聖堂のデイシスの中には、暗い色の服を着た、ミニマリスト風ながらも厳格で高潔な優美さを誇る、珍しい生神女マリヤのイコンがある。ビザンティンの画家たちは、悲劇的な前面を表現する異なった手法で生神女マリヤを描いた。この生神女はルブリョフの生神女ほど若くなく、重々しく無感覚な雰囲気に包まれている。一方、ロシア人の画家たちが描くイコンは、明るく快活な印象を鑑賞者に与える。/ 『生神女マリヤ』、1408年
1408年に描かれたウラジミールの生神女就寝大聖堂のフレスコ画の大部分は、『最後の審判日』の部分から成る。保存されたフレスコ画は、大聖堂の西壁を覆う壮大な『最後の審判日』の部分を構成するものだ。最後の審判の場面にみられる感情的なムードは、過酷な審判に直面しながらも 恐怖の感情が見受けられず、寛大さと啓発のムードに満たされているという点で珍しい。/ 『最後の審判日』、1408年
ルブリョフの名前は、さまざまな聖堂の建立に関連して年代記に記されているが、画家としての彼の名が知られるようになったのは、『至聖三者』が1904年に修復された後の20世紀前半のことだった。ルブリョフのイコンでは、3人の天使とその間の会話に主眼がおかれる。父なる神は、あらゆる人々に対する愛の名において十字架上で死を間近にする息子なる神を祝福したもう。聖神(右側の天使)は慰め役として表されているが、これは犠牲としての寛大な愛の深遠なる意義を確認するものである。/ 『至聖三者』、1410年
フレスコ画とイコンを描くために自らの生涯を捧げた謙虚な修道僧は、尊敬され、その名も広く知れ渡っていた。しかし、後世になると彼は忘れ去られ、作品も散逸した。20世紀初頭になっても、専門家たちは、自信を持って彼の作品を1点さえも同定することができなかった。アンドレイ・ルブリョフは、晩年をモスクワのアンドロニコフ修道院の修道士として過ごした。ルブリョフは1428年10月17日、黒死病でこの世を去った。彼はロシア正教会によって聖人として列せられている。/ 『イイスス・ハリストスの十字架降架』、1425年もっと読む:イコンの読みかた指南>>>