「売った相手は様々で、例えば、米国の大富豪アーマンド・ハマー。とにかくデモーニッシュな人物だったという。私が聞いた話では、同じ部屋にいるのも恐ろしいほどだったとか。彼はロシアのアンティークをどんどん競りにかけていった(その手数料としてソ連政府から10%を受け取った)。彼は、“ロマノフ家の秘宝”(と銘打たれていたが、実はロシア皇室とは何の関係もなかった)の、ニューヨーク最大のデパート「Lord & Taylor」での売却も、仲介している」。こう語るのは、有名な美術史家、ナタリア・セミョーノワ氏。彼女は『ロシアの売られた宝』という本を書いている。
王冠、ダイヤモンド、イコンその他の宗教的祭具、歴史的な絵画や彫刻などが、“卸値”で売りさばかれていった。買ったのは、例えば、アンドリュー・メロン米財務長官、アルメニア出身の石油成金、カルースト・グルベンキアン、ジョセフ・デイヴィス米大使と妻マジョリー・ポストなど。
そのうちの多くの作品が、ニューヨークのメトロポリタン、ワシントンのヒルウッド、リスボンのカルースト・グルベンキアンなど、世界的美術館の誇りとなっている。ここで、そのいくつをご紹介しよう。
結婚式用王冠(カルル・ボリン工房製、1890年代)
これでも、ボリシェヴィキが売った王冠のなかでは、最も目立たない物の一つだ。1894年に、ロシア帝国最後の皇后アレクサンドラ・フョードロヴナが結婚式を挙げた際に、彼女の頭を飾った。
1926年にゴフラン(ロシア国家貴金属ファンド)が、イギリスの古物商、ノーマン・ヴェイスに売り、ずっと後に、1966年にオークションハウス「サザビーズ」で、マジョリー・ポストが買った。現在は、ワシントン・ヒルウッド博物館にある。
イースターエッグ「戴冠式」(ファベルジェ、1897年)
ファベルジェ工房が技の粋を凝らした、このプラチナ製イースターエッグには、ダイヤ、ルビー、七宝焼きがあしらわれ、中には、仕掛け付きの箱馬車が入っている。ニコライ2世が、妻アレクサンドラ・フョードロヴナに贈ったものだ。
1927年に、モスクワ・クレムリンの「武器庫」が、ロンドンのギャラリー「Wartski」に売却。さらに、1970年代末には、マルコム・フォーブス(米「フォーブス」誌の元発行人)のコレクションに入った。現在は、ロシアの財閥、ヴィクトル・ヴェクセリベルグの所蔵となっており、同氏がサンクトペテルブルクに創設した「ファベルジェ美術館」に展示されている。
ピーテル・パウル・ルーベンス「エレーヌ・フールマンの肖像画」(1630~32 *エレーヌ・フールマンは画家の2度目の妻)
この肖像画は、エルミタージュのために女帝エカテリーナ2世が買ったものだが、1929年冬にカルースト・グルベンキアンに売却。現在は、彼の名を冠した、リスボンの美術館にある。
ラファエロ「アルバの聖母」(1510年 *かつてスペイン貴族のアルバ家が所有していたので、こう呼ばれるようになった)
これは、かつてエルミタージュにあった、このルネッサンスの天才の作としては、最も大きなものだった。1931年にアンドリュー・メロン米財務長官に、記録的な値段、120万ドルで売られた。現在は、ワシントン D.C. のナショナル・ギャラリー・オブ・アートが所蔵。
ティツィアーノ「鏡を見るヴィーナス」(1555年頃)
このティツィアーノの傑作は、1850年以来エルミタージュの所蔵だったのだが、これも1931年に アンドリュー・メロン米財務長官に売られ、さらにワシントンのナショナル・ギャラリーに移った。
ヤン・ファン・エイク「キリスト磔刑と最後の審判」(1430年頃)
この傑作が、二枚のパネルから構成されるディプティクなのか、または中央パネルが失われた三連祭壇画の両翼なのかについては、いまだに専門家によって意見が分かれている。
この絵はかつて、「タチーシチェフの屏風」と呼ばれていた(スペイン大使を務めていたドミトリー・タチーシチェフが購買したため)。
エルミタージュが所蔵していたが、1933年にニューヨーク・メトロポリタン美術館に売却。これに少し先立ち、やはりファン・エイクの「受胎告知」もアンドリュー・メロンに売っている。その結果、エルミタージュは、この画家の作品をすべて失った。
ニコラ・プーサン「ヴィーナスの誕生:ネプチューンとアンフィトリテの勝利」(1638~40)
ルイ13世の宰相を務めたリシュリュー枢機卿に捧げられた、プーサン作の4枚の「勝利」のうちの1枚。エカテリーナ2世が入手したが、1932年にジョージ・エルキンス基金に売却され、現在は、フィラデルフィア美術館にある。
レンブラント「聖ペテロの否認」(1660)
この絵画を1933年にアムステルダム国立美術館に売却したことは、エルミタージュの学芸員にとってはまさに悲劇だった。当時のボリス・レグラン館長はこう書いている。「…これは、当館では、レンブラント特有の光源の効果を用いた唯一の作品だった」
フィンセント・ファン・ゴッホ「夜のカフェ」(1888)
当時、ロシアの美術館が失った、印象派とアールヌーボーの作品はわずかで、これはその一枚。さほど失われなかったのは、この頃、それらの作品の値段がまだとても低かったからにすぎない。このゴッホの絵は、モスクワの「新西欧美術館」(現プーシキン美術館)が所蔵していたが、1933年に、米国の慈善家スティーヴン・クラークに売った。 彼の遺言により、その死後、イェール大学のギャラリーに寄贈されている。