世界の言語には、混合するという特徴がある。たくさんの人が、チングリッシュ(英語と中国語の混合)、スパングリッシュ(英語とスペイン語の混合)、ヒングリッシュ(英語とヒンドゥー語の混合)で会話している。ロシア語も実は、いくつかの新たな混合言語を生んでいた。
メジャーな言語を元にした混合言語があることは、知られている。たとえば、ピジン言語。「アフリカからアメリカに黒人が連れて来られたとして、母国語と混合する、特定の言語を徐々に習得していく。このようにして、基準化されていない市場の言語すなわちピジン言語が誕生する」と、モスクワ国立大学のアレクサンドル・ヴォルコフ教授は説明する。標準的な言語の話者には、このような混合言語は滑稽なもののようにとらえられる。 このロシア語版ともいうべきものも存在する。中国語、ウクライナ語、ベラルーシ語、またノルウェー語などとの混合だ。
中国では、ロシアと交易を行う役人の需要に応じて、キャフタ語が教えられていたこともある。
スルジクとは、混合播種の穀粉からつくられたパンのことで、ここから名称がきている。この言語をはっきりと定義づけするのは難しい。ウクライナ語とロシア語の混合なのか(ロシア語はウクライナ語と異なる)、「ウクライナのロシア」語の口語なのか。これはピジン言語とは違う。2つの近親言語の融合で、ピジン言語は生じない。
スルジク語の語いの大部分はロシア語からきており、文法と発音はウクライナ語からきている。スルジク語は農民層で生じた言語で、ウクライナ語の口語で初めて本を書いた作家イヴァン・コトリャレフスキーのウクライナ文学「ナタルカ・ポルタフカ」(1819年)の中で、初めて文字化が確認されている。
スルジク語は現在、ウクライナ、またロシアおよびモルドバのウクライナと隣接する地域で話されている。「キエフ国際社会学研究所」の2003年のデータによれば、スルジク語で会話するウクライナ人は全体の11~18%。
発祥に関する1980年代の調査によれば、トラシャンカは第二次世界大戦後の白ロシア共和国(一部の地域では戦前)での変化に関係している。白ロシア共和国の工業化により、村から街に出稼ぎに出る労働者が急増し、またソ連の他の地域にいたロシア人がここに引っ越し、共産党委員会や企業の幹部職に就くようになった。このような条件のもと、ベラルーシ語を話す元村民は、ロシア語の環境に合わせることが必要になっていったが、完全に合わせることができないケースもあった。
2009年のデータによれば、トラシャンカ語を話す人はベラルーシ人の16.1%。さまざまな年齢、さまざまな教育レベルの人の中で使われている。
18~20世紀に存在していたルセノルスク語はピジン言語である。現在でも北極海のスピッツベルゲン島に残っている。これはロシア人とノルウェー北岸のノルウェー人の商人の交流言語として生じた。商人は穀物や魚の交易を積極的に行っていた。
ルセノルスク語には約400の単語がある。この言語には、ロシア人とノルウェー人が対等な交易パートナーだったことを証明する、あるおもしろい特徴がある。多くのピジン言語で一つの言語が支配的な役割を果たしているが、この言語ではロシア語とノルウェー語の単語数がほぼ同じである。
現在わかっている言語の状態から、長い時間をかけて発達したことがわかる。個別の言語は18世紀末に見られる。交易量が増えるにしたがい、ノルウェーの商人の一部はロシア語を学ぶようになった。19世紀半ばにはルセノルスク語は特殊な言語ではなく、「おかしなロシア語」と受け取られるようになった。1917年ロシア革命の影響で両国の自由な往来が終了したため、この言語の需要もなくなった。ただ、この時までに両国の交易は魚と穀物のバーター取り引きにとどまらずに発展し、互いの言語を学ぶようになったことから、ルセノルスク語の需要は著しく低下していた。
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