アレクサンドル・ドーリン氏
=本人提供確かに、翻訳した本はすでに40冊以上出版されています(他に自分の著書も約20冊)。その多くは日本の詩選、詩集です。若い頃は国際映画祭でもずっと仕事をしていて、脚本、編集台本などを数十冊翻訳しました。
「枯れ枝に声立ち上げる雀かな」1970~1980年代はソ連において、詩の翻訳の黄金期だったと言えます。文芸翻訳の厳格な基準が作成されました。翻訳で生活費を稼ぐことができたんです。ステータスの高い仕事でしたが、今はそれが失われたように感じます。書籍市場の爆発的な成長により、質の低い文章をみじめな報酬で大量に訳しまくる日雇い翻訳者が多数あらわれました。評論家は翻訳の質を徹底的に分析しないため、真のプロはこの海に徐々に”溶け込んで”いきました。「第三」言語を介したりしながらの、生かじりの、基礎知識に欠けた翻訳の津波が、ロシアの書籍の世界を襲いました。たとえば、現代の日本の探偵小説やスリラーのほとんどが、英語から(ロシア語に)翻訳されています。
「青空に去り行く雲の夢の跡」
「見るたびに美しくなる桜かな」私が人生のあますとこなくすべてを日本文学と日本語にささげたなんて、誰が言ったのですか。日本文学への全面的な尊敬をもってしても、これが天より賜った唯一のもので、そのために地球に存在するものからの喜びすべてを拒絶しなければなんて考えていません。ただ、日本文学、特に詩の研究と翻訳には、本当に長い年月を費やしました。日本文学と日本の美学から概して何を得られたか、については、人生に対する、異なる、ある意味一歩引いた観点を持つようになったこと、露の一滴の世界を満喫できるようになったことですね。
「鷹の音を遠く吹かせる初嵐」ロシアでは、日本の詩について、何か魔法のような特質、とこしえの美しさ、奥深い哲学、また翻訳不可能かつまったく不可解な魅力といった変なイメージがあります。そして、「日本の詩」というと、短歌と俳句しかないと思われています。これらすべてはナンセンスで、奥深く根のはった偏見です。まず、日本の短歌と俳句は世界の詩の不可欠な一部であり、その評価は、世界文学の文脈でのみ可能です。これは律動的な定型音節詩です。つまり、詩がロシア語で美しく、メロディーのように響いていると感じるならば、翻訳は成功したということになります。イメージのぼんやりとしている、粗雑な短いフレーズの固まりならば、その翻訳者は素人、偽称者ということです。
詩を日本語から翻訳するには、翻訳者は何よりもプロの詩人、異なるジャンル、形式の韻を踏んだ詩の書ける詩人でなければいけません。
「秋田杉霜つく朝も青すぎて」
できない詩はないと思います。世界の詩の翻訳実績がそれを物語っています。あるのは良い翻訳、悪い翻訳、非常に悪い翻訳です。
確かに、俳句が好きで、江戸時代の作品をたくさん、それ以上に正岡子規、高浜虚子、種田山頭火、尾崎放哉などの近代の優れた詩人の作品を多く翻訳しました。国際教養大学では何年も「俳句道場」を主催して、さまざまな国の学生と日本の学生に出席してもらいました。道場の活動は、大きな日英対訳の電子俳句集「秋の野辺:秋田の俳句を世界へ」となって、昨年、大学より刊行されました。ここには私の日本語の俳句もありますが、自分を俳人だとは思っていません。ただ、日本語で俳句を作れないのならば、古典作品を翻訳してはいけないでしょう。
「戸を開けて寒さの色を杉に見る」秋田で仕事をしながら、日本の友だちや同僚とともに、大きなウェブサイト「秋田国際俳句・川柳・短歌ネットワーク」を基盤とした国際俳句大会をここ数年、続けて主催しました。大会には、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、オーストラリアの詩人が参加していました。ロシアの詩人もいました。
今はモスクワに来たので、ロシアで俳句振興を活発に行っていくつもりです。すでに勢いづいています。
*詩は全てアレクサンドル・ドーリン/著
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