ボリス・アクーニン、モスクワ
ミチャ・アレシュコフスキー撮影/タス通信父にグルジア人のシャルワ・チハルチシヴィリ、母にユダヤ人のベルタ・ブラジンスカヤを持つ。一家はグリゴーリイが2歳にもならない頃、モスクワに移住。それからグリゴーリイは、選抜学校、大学と、モスクワのインテリ一家の子弟として一般的なコースを進んだ。作家となるまでは日本語通訳者・翻訳家、文学研究者として成功を収めていた。
一般に知られるところでは、日本語の「悪人」という言葉と、19世紀ロシアの有名な無政府主義者、ミハイル・バクーニンの名から音を借りたペンネームということになっている。つまり、「新・探偵小説」プロジェクトに連なる全作品(いわゆる「ファンドーリンもの」)の舞台となるべき19世紀という時代への目配せであり、また同時に、あの「苛酷な90年代」、ソ連崩壊で成金が続々出現した混沌の時代における、ダジャレめいた名前、ダブルミーニングを込めた略語の流行を思わせるものでもある。
たとえば、シリーズの主人公、若き官僚エラスト・ファンドーリンも、25~27歳の青年が銀行の頭取に化けてしまうような90年代ロシアの状況を体現している。彼は法律の文言を厳格に順守するようなことをせず、強力な庇護者を得て瞬く間にキャリアの階段を駆け上がる。
小説から5本の映画と1本のドラマが作られていて、その数は、どの現代ロシア作家より多い。また、作品が外国で映画化された現代ロシア作家も、アクーニンのほかにはいない。2015年には英国のテレビ局(いずれの局であるかは明かされていない)がファンドーリン・シリーズの映画化に関する契約を結んだ。また、ハリウッドの映画監督ポール・バーホーベンがシリーズ第1作『アザゼル』の映画化を目ざし権利を取得したこともあったが、これはミラ・ジョヴォヴィッチの妊娠のため、実現せず。
彼はキャリアを白紙に戻した。2007年から2011年にかけて、それぞれ「アナトーリイ・ブルスニーキン」「アンナ・ボリーソワ」の筆名で、歴史小説(探偵小説要素なし)とセンチメンタリズム小説、2系統の連作を発表。この実験は失敗もしなかったが、大成功ともいかなかった。2012年、プロジェクトを終了させたアクーニンは、より一層大がかりで野心的なプロジェクトに着手した。(次項)
ただし、歴史家たちと対等の位置に立って張り合う意図はない、という。むしろ、当初から率直に次のように自認していた。「私はロシアの歴史をよく知らず、かつ知る意欲をもっている人に向けて書いている。私自身がそんな一人なのだ」
2015年4月にはBBCの放送で、自らの立場をより鮮明にした。「ロシアに行くのはすっかり止めてしまった。あの空気と気候が変わるまでは、あそこへは行かない。よくあることだが、いったん距離を置き、別居状態になって、自分の気持ちを考える。今はそういう時期なのだ」
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