―図書展と国立人文大学で講演なさいましたが、聴衆の反応は。
ロシアは文学大国だと聞いてはいましたが、文学に関心を持っている方がこんなにもいるんだなと、やはり驚きました。質問もすばらしく、会場とのやりとりが刺激的でとても楽しかったです。
―講演で「故郷を離れることで、かえって故郷について知ることができる」と述べられました。日本発見はありましたか。
日本は、政治・経済はもちろん、文化的にも米国一辺倒になっているところがある。ロシアはそれにいい意味で抵抗していますね。よきにつけ悪しきにつけ、自分たちの立場、意見というものをちゃんと持っている、という感じがしました。
―米国偏重ということは、よく報道について言われますが。
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日本の国際報道は米国という窓を通してしか世界を見ていないようなところありますよね。世界に対する評価も米国の見方の影響を受けている。違う声とか違う見方が伝わりにくい。
ロシアは「米国のやり方だっておかしいんじゃないのか」ということを言ってるわけですよね。そういうロシアを見ることは、日本が世界に向ける自らのまなざしのあり方を考え直す契機になると思います。もちろん、ロシアがやってることがすべて正しいなんて思っていないですよ。だけど、日本にいると、ロシアのやってることについてはいちいち疑問を抱くのに、米国が世界でやってることに対してはそれほど疑念を抱かないでしょ。シリア問題でも、どうしても「ロシアだけが例外」みたいに見えてしまう。でもここへ来たら違うじゃないですか。僕らも日本という場所から、自分たちの目で世界を見て考えるということをしなくちゃならないんじゃないかなと。それはここへ来たからこそ得られた発見ですね。
―日本を相対化する視点はフランス留学時代に培われたものですか。
そうかもしれません。でもフランスだってかつてほど独自路線じゃないですよね。やはり日本と同じように、米国が主導する世界秩序の一部というところがありますね。
―首都から遠いところに生まれ育ったことも大きいですか。
そうですね。やっぱり東京、中心がすべてじゃないだろうと。ただ、田舎の人って、逆に距離があるからこそ、中央に過剰にアイデンティファイ(同一化)することがある。中央から離れている人には、そういうふうになるケースと、自分たちの違いを大切にするケースと、両方ある。僕は中心的なものにあまりアイデンティファイできなかったんだと思います。
― ロシアとの出会いは。
中学一年生のときにロシア語を勉強したんです。隣の市まで行って、NHKラジオのテキストを買って。1年くらいやりました。何にも身についてないけど。
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パリ留学時代にはロシア人留学生の友達が結構できました。映画監督のソクーロフの知り合いもそこにいたんですよ。
― 特によく読んだ作家は。
やはりドストエフスキーですね。傷つけられた小さな命へのまなざしがドストエフスキーにはあると思うんです。『カラマーゾフの兄弟」は4回か5回、読みました。それに、フランスの20世紀の文学者はドストエフスキーに影響を受けた人が多いんですね。カミュもシモーヌ・ヴェイユもそうです。
現代の作家では、ウリツカヤ。彼女の『ソーネチカ」は留学中にフランス語訳で読みました。フランスではロシア文学はたくさん訳されていて、僕はブルガーコフ、マンデリシュターム、プラトーノフ、ツヴェターエワ、シャラーモフ、ハルムスなどをフランス語で読んだんです。
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― 故郷・大分の小さな町を舞台に多くの作品をお書きになっていますが、ロシアで翻訳が出たとき、ロシアの読者にどんなことが伝わっていくことを期待されますか。
読んでもらえるだけで十分です。ただローカルなものをとことん掘り下げれば普遍的なものにつながることがあると思うんです。日本の片隅の小さな土地を描いた小説のなかに、ロシアの読者が自身の土地について抱いている感情や記憶と響き合うものを見つけてくれたら嬉しいですね。どのように読んだのか聞かせもらうためにもまたロシアに来たいです。
故郷の「浦」を舞台とする作品を描き、「にぎやかな湾に背負われた船」で2002年に三島由紀夫賞を受賞、15年1月には「九年前の祈り」で芥川龍之介賞を受賞した。ほか著書・受賞多数。一部著作はベトナム語、朝鮮語、英語に翻訳され出版されている。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。パリ第8大学留学でフランス語圏カリブ海地域文学を研究、博士号(文学)取得。現在、立教大学文学部准教授。
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