「ホロヴォード」を直訳すると「太陽を求めて歩くこと」。古代のダンス、ホロヴォードはもともと異教の儀式の一部であり、太陽神ヤリーロへの崇拝であった。そのため歌も動きもゆっくりしたもので、崇拝と懺悔を具象化し、またそれと同時に崇拝する神の偉大さを表す荘厳さを感じさせるものだった。
「ホロヴォード」という名称はルーシがキリスト教を受容した後の16世紀になって考案された。ホロヴォードはその頃にはすでに異教の儀式ではなくなり、未来の花嫁と花婿が出会うきっかけとなる若者たちの娯楽となっていた。
19世紀に編纂されたウラジーミル・ダーリのロシア語詳解辞典によれば、ホロヴォードとは農村の若者たちが歌やダンスのために野外で集まることだという説明が記されている。
ホロヴォードにはさまざまな模様がある。/УЗОРНЫЙ ХОРОВОД 2015 (Грайворон) /Vimeo.
民俗舞踊の愛好者の間ではさまざまな別の名称がある。例を挙げると、ポソロニ、カラゴード、タノク、クルーグ、ウーリッツァなどである。
ホロヴォードの概念そのものも広がりを見せ、民俗学、民族誌学、芸術学、会話において多くの意味を持つようになった。「ホロヴォード」という言葉は広い意味で農民にとっての「通り(ウーリッツァ)」の概念と合致し(通りに出るというのをホロヴォードに出ると表現するなど)、春や夏に、村の若者たちがさまざまな形で自由な時間を楽しむあらゆることを意味した。
祝祭日や市の立つ日には、女性たちは広場でホロヴォードを始めた。手にプラトーク(スカーフ)を持った若者が輪の中に入り、歌が終わるときに、気に入った女性にそのスカーフを手渡すというのが一般的だった。
ホロヴォードには地域によってそれぞれの伝統、ニュアンスがあった。北部の特徴は、抑制のきいた礼儀正しさ。それに対して、中央地域のホロヴォードは愉快でお気楽なもので、ダンスは、別の民族的創作の傑作で、それ自体素晴らしいジャンルである「歌」で飾られた。またそうしたホロヴォードでは手を叩いたり、足を踏み鳴らしたりという要素が取り入れられ、ダンスそのものもスピード感があり、エネルギッシュなものだった。一方、ロシア南部のホロヴォードは開放感があり勇ましいことでよく知られる。南部のホロヴォードはときに、多くの人が参加して複雑な形を描く民俗舞踊に移行していくこともあった。
ホロヴォードには、ダンスをリードする特別な役割があった。リーダー役を務めたのは地元でもっとも明るく快活な、通常、熟年の女性。リーダーは娯楽全体を取り仕切り、ホロヴォードの中心に立ち、歌を歌い、新しいダンスの形式やダンスの中で創りだす模様を考案した。
一方、遊戯型ホロヴォードには歌が切り離せない。遊戯型ホロヴォードには、ストーリーと登場人物があり、女性たちは顔の表情、ダンス、ジェスチャーなどを使って登場人物のさまざまなイメージや性格を表現した。動物や鳥などが登場人物となることが多く、踊り手たちは鳥や動物を演じながら、その動きや習性を真似た。
ホロヴォードには、世紀を超えて変わらぬものがひとつある。それはホロヴォードで人々は団結と友情を感じるということである。参加者たちはしっかりと手を取り合い、ときには小指だけを繋いで輪を作り、正確な間隔を保ちながら、全員で一緒に動く。こうするとき、そのホロヴォードの目的が祈りであろうと楽しみであろうと、ともに手を取る人々がひとつになるのである。
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