ガリーナ・ヴィシネフスカヤ

ムスチスラフ・ロストロポーヴィチとガリーナ・ヴィシネフスカヤ=

ムスチスラフ・ロストロポーヴィチとガリーナ・ヴィシネフスカヤ=

ウラジーミル・ヴャトキン/ロシア通信
 10月25日は偉大なオペラ歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤの生誕90年にあたっている。ヴィシネフスカヤはもう一人の優れた音楽家ムスチスラフ・ロストロポーヴィチの妻であり、ミューズであった。そんなヴィシネフスカヤの驚くべき人生に関する9つの事実を集めた。

1. 苗字は最初の夫のものだった

 ガリーナ・ヴィシネフスカヤという名前は、まるでプリマドンナとしての彼女の類なきキャリアを予見していたかのような美しい響きを持つ舞台向きの名前である。しかしこの苗字、実は、第二次世界大戦中に結婚したものの長くは続かなかった最初の夫の苗字である。ちなみにヴィシネフスカヤの旧姓はイワノワ。きわめて平凡なロシアの苗字だった。父親は戦前に粛清され、美しいジプシーの母親は愛人と逃亡し、残された幼いヴィシネフスカヤは祖母のもとで育てられた。

 

2. 幼いときから歌うのが好きだった

 ヴィシネフスカヤは、ナチスドイツによってレニングラードが包囲されていた1941年から1944年にかけて幼年時代を過ごした。住んでいたのはレニングラード近郊のクロンシュタット。晩年ヴィシネフスカヤは、当時、毎日150グラムのパンしか配給されなかったこと、そして冬の通りに何週間も処理されることなく多くの死体が横たわったままになっていたことを回想している。彼女は夜になると将校会館で、街を守る海軍兵士のために歌った。

 ヴィシネフスカヤは学校時代を振り返り、その頃から歌が大好きで、学校では「アーティストのガーリャ」と呼ばれていたと語る。「1年生のときに人生初の賞を受賞し、3メートルの更紗をもらったんです。白地に水玉模様が入っているその更紗で祖母がひだ飾りのついたドレスを縫ってくれました。とにかく、外でも、学校でも、仲間といても、家にいても、いつでもどこでも歌っていました」

ガリーナ・ヴィシネフスカヤ  =ショロモビチ/ロシア通信ガリーナ・ヴィシネフスカヤ =ショロモビチ/ロシア通信

3. キャリアのスタートはオペレッタ

 輝かしいキャリアはオペレッタでスタートした。ヴィシネフスカヤはコンセルヴァトーリー(音楽院)での教育は受けていない。1943年、クロンシュタットを出てレニングラードに移り住み、そこでヴェーラ・ガーリナという老年の女性教師と出会う。ヴィシネフスカヤは数年にわたりこの教師の個人レッスンを受けることとなった。またそれと並行してオペレッタ劇場の照明係の職に就いたが、そこで合唱団のメンバーに採用され、その後ソリストとなった。1944年になっても戦争は続いていたが、劇場はナチスドイツに解放されたばかりのレニングラード州の軍部隊やコルホーズを訪れ、慰問公演を行った。「みんなで雑魚寝しました。毎日凍りついたクラブで、雪の壁の中で演じたものです」

 

4. 偶然からボリショイ劇場へ

 ヴィシネフスカヤがボリショイ劇場で歌うようになったのは偶然だという。1951年、ヴィシネフスカヤはレニングラードの通りで若手声楽家を対象にしたボリショイ劇場の研修グループのオーディションのポスターを目にする。オーディションを受けた彼女は、モスクワで実施された第2予選を通過しただけでなく、審査委員会の間でセンセーションを巻き起こした。そして彼女はただひとりボリショイ歌劇団に入団することとなり、わずかその数カ月後にはロシア、そして世界の劇場にとってシンボリックなオペラ「エヴゲーニー・オネーギン」のタチヤナ役を演じた。

 ボリショイ劇場でのレパートリーは幅広く多彩であった。そのレパートリーには「フィデリオ」のレオノーレ、「じゃじゃ馬馴らし」のカタリーナ、「フィガロの結婚」のケルビーノ、「マダム・バタフライ」の蝶々夫人、ヴェルディ「アイーダ」の主役、「ファウスト」のマルガリータなどが含まれていた。とりわけ名演とされているのは「トラヴィアータ」のヴィオレッタ、「トスカ」の主役、そして「戦争と平和」のナターシャ・ロストワ役であった。

 

5. 冷戦時代にも世界中の舞台に立った

 冷戦時代においても、ヴィシネフスカヤはソ連にとっての「鉄のカーテン」を開かせた数少ない存在の一人だった。ボリショイ劇場のメンバーとしてだけでなく、ソロとして、またゲストとして世界の最高レベルのステージに立った。1964年にヴィシネフスカヤは「トゥーランドット」のリュー役でミラノ・スカラ座でのデビューを果たし、大きなセンセーションを巻き起こした。その舞台で、ヴィシネフスカヤは優れたアーティスト、ビルギット・ニルソン、フランコ・コレルリと共演した。

 

6. 多くの人々のミューズだった

 1955年、ヴィシネフスカヤは優れたチェロ奏者のムスチスラフ・ロストロポーヴィチの妻となった。このことが彼女の私生活における大きな出来事となったのは言うまでもないが、その後プロの音楽家ペアは2人揃って、ロシアを、ひいては世界を魅了した。夫ロストロポーヴィチのおかげで、ヴィシネフスカヤはブリテン、ショスタコーヴィチといった当時の偉大な音楽家たちの輪の中に入り、幾人もの作曲家たちが彼女のために曲を書いた。またロストロポーヴィチは指揮者となったが、「エヴゲーニー・オネーギン」の解釈はロシア音楽史に刻まれた。

 女流詩人のアンナ・アフマートワは1961年、ラジオで、ヴィラ=ロボス作曲の「ブラジル風バッハ」を歌うヴィシネフスカヤの歌声を耳にし、彼女のために「声を聴きながら」を創作した。

 作曲家マルセル・ランドフスキによるオペラ「ガリーナ」もまた、ヴィシネフスカヤの回想録を基に作られたもので、彼女に捧げられている。世界初の初演はリヨン国立オペラで1966年に行われた。なお、この回想録は邦訳がある(和田 旦訳『ガリーナ自伝―ロシア物語』、みすず書房)。

 

7. ソ連を追放された

 ヴィシネフスカヤとロストロポーヴィチがソ連邦から追放されたのは、ソ連の強制収容所における大粛清について描き、反ソヴィエト的とされたノーベル文学賞受賞作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンとの友情の結果であった。夫妻は、国外追放となったソルジェニーツィンを自分たちのダーチャ(別荘)に匿い、ソルジェニーツィンは1974年にソ連を出国するまでそこで暮らした。

ガリーナ・ヴィシネフスカヤ、ムスチスラフ・ロストロポーヴィチと娘たち=ショロモビチ/ロシア通信ガリーナ・ヴィシネフスカヤ、ムスチスラフ・ロストロポーヴィチと娘たち=ショロモビチ/ロシア通信

8. 芝居や映画にも出演した

 ヴィシネフスカヤの当たり役のひとつとされているのが、ショスタコーヴィチ作曲のオペラ「カテリーナ・イズマイロワ」の主役である。ヴィシネフスカヤは同タイトルのオペラ映画でも主演した。2006年にはヴィシネフスカヤのために特別に脚本が執筆されたアレクサンドル・ソクーロフ監督の映画「アレクサンドラ」の主役を演じた。

 オペラの舞台を去った後、ヴィシネフスカヤは多くのドラマ劇場から出演の依頼を受けた。2002年にはチェーホフ記念モスクワ芸術劇場で上演された芝居「鏡の向こう」でエカテリーナ2世役を演じた。

 

9. オペラセンターを創設した

 ヴィシネフスカヤは1983年に舞台から引退した。最後の舞台となったパリオペラ座での「エヴゲーニー・オネーギン」のタチヤナ役で、ヴィシネフスカヤはレジオン・ドヌール勲章を受章した。ペレストロイカの時代になり、ヴィシネフスカヤとロストロポーヴィチの国籍は回復され、2人はモスクワに移り住んだが、スイス国籍をそのまま保持した。2002年、ヴィシネフスカヤはモスクワに自らのオペラセンターを創設したが、若手ソリスト育成のための同センターは現在もその活動を続けている。