建築の中の“宇宙”

ヤルタ近郊にある旧サナトリウム「ドルージバ(友情)」=

ヤルタ近郊にある旧サナトリウム「ドルージバ(友情)」=

sovietbuildings.tumblr.com
 宇宙開発は、科学技術、軍事、芸術、思想…など、さまざまな分野で人類の生活を一変させた訳だが、建築もまた例外ではなかった。

 ソ連建築において1950年代末は、過去を見直す時期となった。新古典主義は、フルシチョフが展開した「過剰な」要素との戦いのために流行遅れとなり、もはや誰も真面目に相手にしようとはしなかったが、モダニズムの方はといえば、とっくの昔に西欧の名匠たちが考案していたというのに、見直しがはっきり必要となった。その結果、大学の建築学部を卒業したての新米たちは、ユートピア的なプロジェクトを作るなかで“自分探し”を始めることとなった。とはいえ、これらのプロジェクトは、「生活から乖離しており」、従って実現の可能性もなかったが(後に80年代になると彼らはひとまとめに「机上の建築家」のレッテルを貼られた)。だが、60年代初めになると、すべてが一変。1957年の世界初の人工衛星打ち上げ、その4年後のユーリー・ガガーリンの宇宙飛行は、ソ連さらには世界の建築に新たな頁を開いた。

 

起源は1920年代

 「ソ連だけではなく西側でも、宇宙への関心の大いなる高まりに乗って、遥かに時代に先行する建築家たちが現れた。彼らを刺激したのは、宇宙ステーションやロケットの巨大構造物。なかでも有名なのは、エンジニアで建築家のリチャード・バックミンスター・フラー、前衛建築家集団『アーキグラム(Archigram)』、日本のメタボリズムの建築家たち(その主な人物は黒川紀章など)、イタリアの建築家集団『スーパースタジオ(Superstudio)』と『ラビリント』(Labirinto)など」。こう語るのは、建築史の専門家で「ドコモモ(DOCOMOMO)ロシア」代表を務めるニコライ・ワシーリエフ氏だ。「足のついた巨大な移動都市『ウォーキング・シティ』の構想が現れたのはこの時期のこと。その最も名高いプロジェクトを1964年に実現したのは、イギリスのロン・ヘロンで、そこでは、管理運営、工学のシステム、さらには人工知能とロボット化のシステムさえ考えられていた」

 ソ連でこうした未来主義的建築のパイオニアとなったのは、時代に先駆けた構成主義者イワン・レオニドフと、合理主義者のゲオルギー・クルチコフだ。後者のプロジェクト「飛行する都市」は、早くも1920年代末には考案されていた。ちなみに、当時はまだ、「宇宙建築」の夢は純然たるアイデアに過ぎなかったが、まさにこれらのプロジェクトこそが、1960~80年代のソ連モダニズム建築の基礎となった。

 

コンクリート製ロケット

 建築における宇宙のテーマは、基本的には、ユニークな構造物と結びついているので、その構成、技術の難しさからして、また高額である点からしても、規格建築には反映しなかった。カザン国立サーカスの建物は、白い空飛ぶ円盤の形をしており、建築家ゲンナジー・ピチュエフが設計し、1967年に建てられたが、これは数少ない例外の一つだ。というのは、まったくこれと同じ形のサーカスが、クラスノダールなど幾つかの都市で建設されたため。

 これとは別の“空飛ぶ円盤”が、1979年にドムバイのムッサ・アチタラ山の斜面(海抜2250m)に“着陸”した、つまり、ホテル「タレルカ(皿)」が建てられたのだが、これはカラチャイ・チェルケス共和国の主な建築のシンボルとなった。このホテルの建物は、わずか4室しかないが、積み木細工のようになっている。分解して、ヘリコプターで他の場所に運ぶことが可能だ。

 巨大なウォーキング・シティに建築家たちが熱中した跡は、モスクワの「ムカデの家」にも見出すことができる。最も有名なのがベガバヤ通りの「パイロットの家」だ。これは、アンドレイ・メエルソンとエレーナ・ポドリスカヤの設計により、1978年に建設。13階の建物の主要部分が20対の鉄筋コンクリートの支柱で支えられている。これは、宇宙空間を探査する宇宙船の脚を思わせる。

 なかでも一番有名な、ソ連“宇宙建築”の記念碑は、ヤルタ近郊のミスホルにある旧サナトリウム「ドルージバ(友情)」(現在の名は「クルパトゥイ」)だろう。イーゴリ・ワシレフスキーの設計で1985年に建てられた。歯車の形をした二層構造の丸い建物で、下から太い支柱が支えている(ここに運搬、移動の手段、つまり階段とエレベーターがある)。あたかも、巨大な宇宙船が海岸近くの丘陵に着陸し、地面にめり込んだかのようだ。技術、構造面で世界に比類のない、この風変わりな建物は、「世界で最も奇抜な建物」といった類の番付で常に上位を占めているが、専門家の多くは、そこに日本のメタボリズムの面影を看取している。メタボリズムは、建築を生ける人体になぞらえており、その最盛期がちょうどこの時期に当たっていた。

 1960~80年代は、単に建築の外観が変わっただけでなく、建材も変化した。例えば、モスクワのモニュメント「宇宙征服者のオベリスク」には、それまで伝統的にロケットの被覆用材に使われてきたチタンが使用されている(この記念碑は、建築家のアレクサンドル・コルチン、ミハイル・バルシ、彫刻家のアンドレイ・ファイドゥイシ・クランディエフスキーの設計で、1964年に建立された)。

 「当時、次のような新しい建材が現れていた。リチャード・バックミンスター・フラー考案のジオデシック・ドーム、コンクリート製シェル構造。その創始者は、ドルージバのほか、ソ連最良のスタジアムや屋根付きマーケットの設計者であるノダル・カンチェリだ。また、様々なプラスチック素材も。これらは、それまでは専ら、軍事目的とロケット製造に使われていた」。こうワシーリエフ氏は列挙する。「だが残念ながら、この領域では、我々はわずかな名を知っているにすぎない。宇宙船のモジュールと装置の設計者であるガリーナ・バラショワくらいだ」

 ちなみに、1960年代のこうした宇宙モチーフは、小規模建築物においては、1930年代の流線形スタイル(ストリームライン)を受け継いでいる。後者は、20世紀初頭に未来派が先取りしていたもので、汽船、豪華客船、蒸気機関車、自動車の流線型の車体などにより着想されている。 60年代の宇宙モチーフはというと、様式化された子供の遊び場やバスの停留所などに見られることが多い。それらのケースでは、普通は、構造体の全体が再現されるのではなく、宇宙船、宇宙船、人工衛星などの、はっきりそれと分かるシンボリックな一部を示している。

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