父親のユーリー・ヴィクトロヴィチさんは菩提樹の原木にをかけ、母親のアンナ・グリゴリエヴナと2人の娘(マーシャとレーナ)は絵付けをする。それぞれ自分たち独自の絵付けだ。マーシャとレーナの両親は、セルギエフ・ポサド玩具工場で知り合った。それ以来、2人は一緒にマトリョーシカ製作を続け、娘たちにも子供の頃から、それを教えた。
「私たちが小さかった頃、ママとパパは工場だけでなく、家でも夜毎に絵付けをしていました。だから私たちは幼い頃から絵付け仕事を始めました」とマーシャは話す。
小さかったマーシャとレーナは、マトリョーシカの絵付けをするだけでなく、マトリョーシカを相手に遊ぶこともあった。2人の話によれば、大人になって結婚した今でもマトリョーシカ遊びをするという。
マーシャとレーナ=アリーナ・ヤブルチキナ撮影
「マトリョーシカ作りは、あまり生真面目にやることはないという気がします。だから私たちは、まるで遊びをするように、マトリョーシカ作りに喜んで取り組んでいます」とマーシャは言葉を続ける。
マトリョーシカの絵付けのほか、マーシャとレーナはセルギエフ・ポサド博物館で働いている。マーシャは人形を担当して、ロシア各地の町で人形作りのマスター・クラスを受け持っている。またレーナは織物基金の職員だ。だからレーナのマトリョーシカは、昔からの織物のオリジナルを模した模様の衣裳を「着ている」ことが多い。
アンナ・グリゴリエワさんはセルギエフ・ポサド玩具工場の主任美術家。彼女は、いわゆる「流れ作業方式の」マトリョーシカ(すなわち工場で同じやり方で製作するマトリョーシカ)のための見本品を開発している。このマトリョーシカにはグワッシュで同じ模様の絵付けをする。
作家のオリジナル・マトリョーシカは、創作空間が制限されることがない。どの作家も自分で好きな主題と図柄を見つける。レーナはいつも、山羊、ひつじ、鶏など、動物の絵を描いたマトリョーシカを製作し、フクロウの絵を描くことさえある。
マーシャの好きな主題は家族。お祖母さんから小さな赤ん坊にいたるまで、家族全員の人形からなる大きな組人形だ。マーシャが絵付けをした中でもっとも大きなマトリョーシカは30個入りで、一番外の大きなマトリョーシカは高さ60センチの大きさ。
アリーナ・ヤブルチキナ撮影
「赤ん坊が中に入れるくらいのマトリョーシカもあるわ。私がまだ小さい頃、パパの仕事場に行くと、絵師たちが私を大きなマトリョーシカの中に入れて蓋をしたこともありました。本当にこわかった」と言って、マーシャは笑う。
ドミトリエフさんの一家で一番小さなマトリョーシカを作ったのはレーナ。わずか4ミリの美しい人形だ。
ドミトリエフさん一家にとって、マトリョーシカは美しさの規準であり、ロシア女性の姿そのものだ。マーシャとレーナは理想的なマトリョーシカをこう表現する。「最も古い初期のマトリョーシカは、まさしくお面の顔でした。そのマトリョーシカは物思いにひたり、つつましく寡黙でした。私たちは自分たちの仕事でもその原則を守り、柔和な正教女性の美しい姿を保つように努めています。とても努力しています。私たちのマトリョーシカを見て、ロシアのすべての女性が判断されるかもしれませんもの」
マトリョーシカはロシア女性のシンボルであるだけでなく、家族のシンボルでもある。
「一組のマトリョーシカの中で、一個一個の人形は互いに寄り添っています」とマーシャは言う。「もしその家族の中の一人を取りはずしてマトリョーシカを組んだとしたら、中に隙間ができて全体がぐらつき、目茶目茶になってしまいます」
ドミトリエフさん一家の家の棚には、ロシアのマトリョーシカの隣りに、日本の伝統的な木製人形であるこけしが置かれている。こけしとマトリョーシカには多くの共通点があり、二つの国の製作者は互いに関心を持ち続けている。
アリーナ・ヤブルチキナ撮影
「私が最初に日本に行ったとき、日本の新聞に私の記事が載り、その中で私は私がどれだけこけしを愛しているかを書きました。東京に住むある日本人女性がそれを読み、私に自分のこけしコレクションを贈りたいと言ってくれました。これらの素晴らしいこけしは、そのとき贈られたものです」とマーシャは語る。
マーシャは、こけしで一番好きなのは単純さだという。作者が人形に刷毛を触れる回数が少なければ少ないほど、人形はより完成度が高くなる。
「一方、ロシアの製作者たちは、絶えず何かを付け加えたり、色を重ねようと努めます。私たちの家族では、マトリョーシカがひと息で描かれるよう、軽い絵付けの伝統を守ろうと努めています」
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