現実の一部としての衣装

主役のクリス・ケルヴィン(ドナタス・バニオニス)=

主役のクリス・ケルヴィン(ドナタス・バニオニス)=

ウラジーミル・ムラシコ撮影/「モスフィルム」/cygnnet.com
 タルコフスキーに単なる背景などはない。風景や衣装は常に、鑑賞者と演技者がともに住む現実の一部なのだ。タルコフスキーには、湿った植物や乾燥した葉の煙のにおい、花の落ちた牧草地にかかる霧の湿り気を、身体的に実感させることができた。画面構成はほとんど透明とさえいえるほど単純で、思考や感覚を妨げない。そこには作り物らしさがないのである。

 アンドレイ・タルコフスキーは、あるインタビューで、こう語っている。「文学作品の場合、読者は自らの感情体験をイメージのよりどころとする。どれだけ微細に場面を構築しても、読者は結局、自身の経験、性格、嗜好をもとに読む。それが文学の特性だ。一方、映画は、フィルムに定着された、製作者自身の体験である。経験上、映画の中のイメージの、外形的、感情的な構成が、製作者自身の記憶にもとづいているとき、また、実人生の印象と絵柄の親近性に依拠しているとき、その映画は鑑賞者の心に働きかけることができる」

 タルコフスキーに映されたすべての対象物が抒情的な意味合いをもつ。彼は感性において、監督であると同時に鑑賞者であった。

 監督と対象世界との相互関係は、真実性、自然さ、気取らなさの上に打ち立てられる。「俳優のシャツは俳優の顔と同じ素材でできていなければならない」と監督は語った。タルコフスキーの映画において、衣装は俳優の延長、現実の一部であり、俳優の行う会話に劣らず雄弁に、その感情や、人物について物語るものなのだ。

 

「惑星ソラリス」


ネリー・フォミナ氏の図面/cygnnet.comネリー・フォミナの図面/cygnnet.com 「タルコフスキーはすぐに私に言った。この映画では、宇宙らしい衣装など一切不要だ、と。さもなければ、30年もすれば、我々は物笑いの種になるだろう、と」。衣装デザイナーのネリー・フォミナ氏は自著『アンドレイ・タルコフスキー映画の衣装』の中で、「惑星ソラリス」撮影現場の作業開始のころのことを、そう振り返っている。

 「モスフィルム」の靴工房から「未来の靴」が送られてきた。主役のクリス・ケルヴィン(ドナタス・バニオニス)向けに製作された、「ブルドッグのようなつま先のついた、考えられないようなソールの」靴だった。監督は、ほかの「未来の」品々ともども、これを倉庫に送り、一から始めることにした。今度は、当時プロになりたての、ネリー・フォミナ氏とともに。

 「惑星ソラリス」の登場人物は、普段着で画面に出てくる。宇宙船の内部でさえ、クリスの衣装は、まったくもって地上的だ。宇宙服らしいディテールのついた、タープ素材のズボンや、シャツとして潜水夫の下着をカーキ色に塗り替えたものを着ていることは、むしろ例外的である。

 

ふるさと地球

 タルコフスキーはスタニスワフ・ラムの小説をどのように解釈したのか、という点をめぐっては、今日も論争が行われている。たとえば、映画の3分の1が、地球を舞台としていることについて。

 レムの原作には地球のシーンはない。監督自身の弁によれば、地球のイメージは、鑑賞者が「地球の素晴らしさを感じる」ようにするために必要だった。「未知らぬソラリスの幻想的な空気に浸った後で、突如地球に帰ってきたとき、観客が自由と安心に一息をつき、その安心が重苦しいまでに軽快であるように」。ケルヴィンがソラリスに残る決心をしたとき、地球のイメージがきいてくる。それがあればこそ、鑑賞者はより一層、ふるさとの惑星への帰還を拒むという主人公の決断のドラマチズムを痛切に感覚するのである。

 監督は、地球の豊かさ、温かさを、ソラリスの海の非物質的な空間に対置する。そのコントラストは、衣装の色味と素材感によってひときわ鮮明になる。

 10年前に自殺して、いま亡霊としてステーションの上、クリスの前に現れた、クリスの妻ハリー(ナタリア・ボンダルチュク)の、アーシーな、スウェードのドレス。その、ゆったりとした、温かそうな羽織物。さらには、クリスの母のニットのドレスや、父の羊毛のベストの質感。こうしたアイテムが、快適さ、我が家のぬくもりといった感覚を与えてくれる。

 

「下ろしたての衣装は俳優にとって破滅に等しい」

 ネリー・フォミナ氏は自著『アンドレイ・タルコフスキー映画の衣装』で、監督がうるさく要求した、衣装の「着古し」効果というものにまつわる、興味深いエピソードを紹介している。

 クリスの父の羊毛ベストなどは大変な目にあった。ネリー・フォミナ氏の図面にそってカザンの毛皮コンビナートで縫製されたそれは、「温かく、良質なものだった」。が、「アンドレイ・アルセーニエヴィチは、それが新しいものであることが気に入らず、汚してくれ、足で踏みつけてくれ、と言った」。父親役のニコライ・グリニコ氏はのちにこう述懐している。「思い出す、ソラリスで、私のベストがどれだけなぐさみものにされたか。アンドレイは私のベストの上で踊り、ほこりの中を引きずり回し、何か所か煙草を押し当てた。そうしてベストを着古させたんだ」

 宇宙ステーションに滞在中のスナウト(ユーリー・ヤルヴェト)は袖が肩の少し下あたりで破れている。スナウトが部屋の中にかくまっているらしい、例の「珍客」が、出て行こうとするスタウトを止めようとして引きちぎったのだ、という印象を出すために、タルコフスキー自身が破ったものだ。

 それより格段に難しかったのは、ハリーが液体酸素を飲んで凍り付いたシャツが、徐々にとけていく、という効果だ。スタジオ付属の化学ラボには、シャツを美しく凍らせることはできたが、劇の進行の中で溶かすことまでは出来なかった。

 「そのシーンはモンタージュでつなぎ合わせるのでなく、長回しで取る計画だった。撮影時刻が近づく。アンドレイは、シャツをどうするかと、そればかり聞いてくる。その時私は、ある庶民的な方法を思いだした。戦後、女性たちは、丸いレースのハンカチで花瓶をつくり、家の飾りにしていた。まずハンカチを高濃度の食塩水につけ、何らかの型に巻き付け、かわかす。乾ききったころにその型を取り払うと、美しい透かし細工の造花用花瓶ができている。しかしそのうち湿度のために型崩れを起こす。そしたらまた作り直し、というわけだ」。このアイデアはタルコフスキーの気に入り、女優の肌に炎症を起こさせないため、塩を砂糖に替えるようにとだけ命じて、ゴーサインを出した。撮影では、砂糖溶液につけて固めたハリーのシャツに、見えないところから非常に細かい粒子で水を噴射して徐々に「解凍」させた。1カットで撮影された。

 

未来の過去

 タルコフスキーはあるインタビューで、自分の観たあらゆるSF映画は「未来というものの物質的ディテールばかりを鑑賞者に押し付けていた」と不平をこぼしている。「鑑賞者がエキゾチズムを、つまり技術的なエキゾチズムを感じないように、ソラリスを撮りたいと思った」。「ソラリス」の衣装は30年前の鑑賞者にも、今日の鑑賞者にも、ショックを与えはしなかった。その衣装は未来の流行など追及しはしなかった。アヴァンギャルドでもなかった。それでいて、それら衣装は、それよりはるかに重大な課題を果たしたのである。

衣装デザイナーのネリー・フォミナ=アナスタシア・ニキチナ/cygnnet.com

衣装デザイナー、ネリー・フォミナ

 ネリー・フォミナは、モスフィルムで衣装デザイナーとして30年以上働いてきた。これまでに40作以上の映画、テレビ映画、ショー、バレエ等のための衣装を制作している。バレエ「アンナ・カレーニナ」(レフ・トルストイ原作、1974年)の映画化では、フォミナはプリセツカヤとゴルブノフの衣装を作った。彼女の職歴で特筆すべきがタルコフスキーとの仕事で、「ソラリス」、「鏡」、「ストーカー」を手がけた。フォミナの話によると、単にタルコフスキーの映画用に衣装を作っただけでなく、「必要な場合に」タルコフスキーの着付けをすることもあったという。