「戦艦ポチョムキン」が変えた映画

「戦艦ポチョムキン」撮影現場のエイゼンシュテイン監督

「戦艦ポチョムキン」撮影現場のエイゼンシュテイン監督

Getty Images撮影
​ 90年前の1925年12月末、ロシア第1次革命20周年として、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の伝説的な映画「戦艦ポチョムキン」が国内で封切られた。この映画はなぜ画期的だったのだろうか、世界の映画界に何をもたらしたのだろうか。

革命の息遣いのような編集

 この映画は、現在でも使用されている編集の歴史上と理論上、最も意義深い現象である。エイゼンシュテイン監督には静的な美しい画像の寄せ集めが物足りなかった。20世紀初頭の固定カメラは革新者・監督にはまったく合わなかった一方で、コマのぶつかり合いは現実の生活の力強さを伝えた。

 ロシア革命の切迫した息づかいを伝える、全体像とアップの素早い交代、フレームレートなどの「短い編集」は、観客にショックを与えた。映画をすっかり娯楽だととらえていた観客は、この映画の中で、政府の残酷さと不公平さに直面し、憤慨する水兵に感情移入していた。最も強烈なシーンの一つはオデッサの階段である。コマ数200のこのシーンは、国民の苦しみの主な隠喩となった。

 

クローズアップ

 それぞれのコマが、監督の丹念な作業と革命の効果を観客に実感してほしいという願いの結果である。

 観客席への”心理攻撃”は監督とアップによって成し遂げられた。アップは悲劇的なできごとに巻き込まれた一人一人の苦痛と恐怖、革命の原因を示すという、映画史上初の具体的な目的に従ったものであった。

 「質の悪い食べ物」が発端となった、単純に見える船員の反乱の歴史的事実を、エイゼンシュテイン監督はウジと肉のアップで描いた。この場面は多くの映画関係者の思考に影響を与えた。関係者は画面から伝わる怖さの真のインパクトを認識した。

 

カラーの前兆

 「場面の感情が音楽で盛り上げられることに、我々はすでに慣れている。音楽はコマに広がり、登場人物たちと動きを包み込み、独自のラインを失うことなく、走る画像の列と絡み合い、一つの印象の流れになっていく。まったく同じように、コマへと流入し、色のシンフォニーを運びながら、色の要素の端部を通じて移調する」とエイゼンシュテイン監督は書いた。

 この映画を見ていない人でも知っている主な事実とは、白黒映画の時代に映画に出てくる赤旗である。白旗を撮影し、その後撮影班が手作業で赤に着色した。

 

3ヶ月の傑作

 現代からすると、この映画の制作期間は短い。ソ連政府は、8月に撮影を開始し、12月に引き渡す、という厳しい要求をつきつけた。

 エイゼンシュテイン監督はロシア第1次革命のストーリーとして、「ポチョムキン」の反乱に集中することにし、撮影班はオデッサに向かった。

 映画の仕上げは、文字通り、移動しながら行った。フィルムを接着したのは封切日当日で、ラストの部分はボリショイ劇場での党幹部向けの上映中につないだ。

 

プロパガンダとしての映画

 映画は芸術の最重要品という有名なフレーズはウラジーミル・レーニンのものであるが、映画は「ポチョムキン」まで、観客の娯楽、まわりで起こっている問題の気晴らしという観点からしかとらえられていなかった。

 「ポチョムキン」はプロパガンダの主要なツールとしての映画の力を完全に示した。この映画の後、エイゼンシュテイン監督は、ロシア革命とソ連政府の歌手という名声を手に入れた。映画には当時、幸福のための革命以外の、いかなる二重解釈もなかった。時が経つにつれて、観客にはこの映画の別の意味もはっきりとしてきた。国民と政府の相互関係を語り、同時に革命を流血の鎮圧と多数の犠牲者の時代として映し出していることを。

 

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