ミハルコフ監督の初期の話題作の一つは、無声映画のスターの物語。映画スタッフとともに、ボリシェヴィキに支配されたモスクワを逃れ、革命の混乱がすぐに終わればと期待しながら、黒海へと撮影に向かう。この映画からは厳しい現実の散文に打ち砕かれる、インテリ的な幻想の雰囲気がよく伝わってくる。
ミハルコフ監督は非常な皮肉とともに、焼け付くような上流階級のメロドラマの撮影シーンをアドリブでつくりつつ、「創作的プロセス」の不条理を再現している。失われてしまったロシアの知識人の価値観への郷愁、過去のものとなってしまった日常のディテールという、ミハルコフ監督の映画の特徴が初めてあらわれた作品が、この「愛の奴隷」である。
映画の主人公が恋に落ちた相手は、ボリシェヴィキ地下活動家だった映画のカメラマン。映画は1970年代半ばに撮影された。当時のコンセプトにしたがって、主人公は最後にボリシェヴィキのアイデアの純粋さおよび高潔さを確信し、目の前で愛する人を銃殺する白軍兵士に向かい、「あなたたちは獣よ!」と必死に叫ぶ。
映画はソ連の観客に熱狂的に受け入れられ、イランのテヘランで最優秀監督賞を受賞し、アメリカのニューヨークとロサンゼルスの評論家によって絶賛され、米国映画批評会議賞を受賞した。
チェーホフの作品の映画化としては最高作の一つ。戯曲「プラトーノフ」および複数の短編小説のモチーフがもとになっている。知識層の利他的な衝動の無益および不毛、「一般国民」と重い運命についての無駄話にふける人たちとの間の隔たりに関するチェーホフの考察を、温かいユーモアを交えながら、少しグロテスクで少しノスタルジックに描いている。
かつて、人々に奉仕し、合理的な、優しい、永遠のものをもたらしたいというアイデアに取りつかれていた、映画の主人公は、若くロマンチックな夢の崩壊、自分の無力さを痛感し、自殺へと近づく。
この映画ではミハルコフ監督特有のメロディー、過去へと消えたロシアの領地の詩的な情緒がしんみりと響く。
映画はサン・セバスティアン国際映画祭の「黄金の貝殻賞」、シカゴ国際映画祭グランプリ、イタリアのダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞など、数々の国際的な賞を受賞している。
海外で最も有名なミハルコフ監督の映画。ここでもチェーホフの作品に着目。海辺の町でのモスクワの豊かな銀行員と地方の人妻の偶然の出会い、突然の恋、情熱と家族に対する義務との間で揺れる切ない思いを描く有名な小説「犬を連れた奥さん」をもとにしている。
ミハルコフ監督は海外を意識して、イタリア人と共同で制作した。主人公にはレジェンドのマルチェロ・マストロヤンニを選び、舞台をイタリアに移し、イタリアの遊び人とロシア人女性の運命的な出会いを描いた。
ミハルコフ監督は映画のターゲットを正確に計算し、ロシア人の不可思議な性格にまつわる俗説を最大限に利用し、ロシアのエキゾチックさとジプシーのロマンスを織り込んだ。
この計算は的中し、映画は海外で成功を収め、マストロヤンニはカンヌで最優秀男優賞を受賞し、オスカーにノミネートされ、ロシアの女優エレーナ・サフォノワはイタリアのダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞を受賞し、映画はアメリカの「ゴールデングローブ」賞にノミネートされた。
後に三部作となった、最も成功した映画。献身的な共産主義者で、スターリンの好意を利用しつつ、戦前、他のスターリンのお気に入りと同様、逮捕されてしまうコトフ大佐を、ミハルコフ自身が演じている。
スターリン時代に誰もが抱えていた道徳的なジレンマ、暴君の狡猾さ、またすべての状況、すべての何気ない答えの裏にある危険な二重の意味を描いている。名声のある人でも一瞬にして収容所の埃を吸うことになる、つかの間のはずの家族との別れが永遠の別れになってしまう。
映画ではミハルコフ監督の才能がふんだんに発揮され、カンヌ国際映画祭(グランプリ)、アメリカのアカデミー賞(最優秀外国語映画賞)で高く評価された。イギリスの劇作家ピーター・フラナリーはこの映画にもとづく戯曲を書き、ロンドンで2009年に初上演された。
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