ロシアの通商関係の今昔

「大市場」、ボリス・クストーディエフ作、1908年=ロシア通信

「大市場」、ボリス・クストーディエフ作、1908年=ロシア通信

 ロシアの輸出品目とその規模は、最近百年で大きく変わった。そこには、技術の発展、戦争、原材料の値上がりなどが影響している。ロシアはどんな国と何を交易して来たのか、振り返ってみた。

 中世ロシアで交易が急速に発展し出したのは、14~15世紀に各地の市場が形成され始めたときのことだ。白海沿岸地方は毛皮、皮革、リャザンは穀物、モスクワは地元の手工業製品を商っていた。

 しかし、国内の商業が発展するにつれて、隣国との貿易も始まっていった。相手国は、具体的には、ジェノアとヴェネツィアのクリミア南岸の植民地、キプチャク・ハン国、ペルシャ、中央アジア。15世紀にはルーシ(ロシアの古名)は、毛皮、皮革、麻布、鞍、矢、刀剣、獣脂、蠟、亜麻布、バターなどを輸出していた。

 それから1世紀経つと、ルーシが最も活発に交易していたのは、ポーランド・リトアニア共和国とスウェーデンで、各国の市場で毛皮、皮革、布、武器などを商った。

 16世紀半ば近くになると、イギリスもロシアに興味を示し、対露貿易専門の会社まで創設した。オランダにも同様のことが起り、英欄両国はロシアとの中継貿易国になろうともくろんだ。その結果、ロシアは、英欄を中継して貿易することになり、両国はそれで利益をあげた。またロシアはペルシャとも交易したが、こうした状況は、ピョートル1世により18世紀に根本的に変化した。

 

ピョートル1世による影響

 18世紀初めにロシアは、スウェーデンとの大北方戦争に勝利し、バルト海への出口を獲得、貿易についても新たな可能性を得た。だが、ロシアの商人達は相変わらず受身の姿勢のままで、新規の契約は結ばなかった。そこで、政府が介入し、隣国で最も需要が高い、様々な分野の商品を自らの手に集中することにした。

写真提供:ロシア通信

 その結果、大麻、獣脂、タール、糖蜜(シロップ)、キャビアなどは、国家専売となった。ピョートル1世の治世の末期には、輸出が輸入を2倍超過する一方で、高い関税障壁を設けて国内産業を保護。ピョートルが死んで権力が交代したのちも、彼が始動させたプロセスは続いた。

 

 こうして、18世紀末にいたるまで、輸出品のうち1位を占めたのは亜麻および亜麻製品で、穀物の輸出量も多かった。もう一つ、当時重要だった輸出品は毛皮、皮革で、これはシベリアから運ばれて来た。

 

資本主義の発達

 資本主義の発達とともに、ロシア各地の経済上の特化が進み、19世紀の前半で輸出はほぼ倍増した。もっとも、主要品目は依然として、亜麻、大麻、毛皮、皮革、毛糸、毛織物、獣脂であったが、穀物輸出量は、1840年代に欧州で不作が相次いだため、急増した。一方、布と金属製品は、全体の数パーセントにとどまっており、主に中国、中央アジア、トルコに輸出されていた。

 また市場の独占が進み、貿易も様変わりした。そこでは、大企業と商業銀行の果たす役割がいよいよ大きくなっていった。19世紀最後の四半世紀には、生産量が急激に伸び、機械製造で、世界の先進国の一角を占めるにいたった。

 

革命とソ連時代

 ソ連政権は当初は、穀物、木材、皮革などの一次産品、燃料を輸入しており、この時期に石油の輸出が始まった。また、第二次世界大戦前の五カ年計画実施に際して、機械類の輸入も増えた。その結果、1938年までには、輸入品の7割が、機械、蒸気機関車、車両、自動車、化学製品などからなっていた。

 しかし、世界大戦はこういう状況をある程度変えた。米英と、戦争遂行に必要な兵器、製品の調達に関する協定が結ばれたためだ。戦後、ソ連は、社会主義陣営の国々と活発な貿易を始め、70年代にはもう、世界115ヶ国と通商関係を持っていた。主要品目は、各種工業製品、機械、工作機械、石油製品、天然ガスを中心とする燃料だった。

 こうして、発展途上国の機械、産業設備、プラントの3分の1近くが、ソ連からの輸入品になっていたが、このほかにも、新たな輸出品目が加わった。ダイヤモンドの原石、研磨済みの製品、ウラン濃縮の請負などだ。

 一方、先進国に対しては、ソ連は主に、石油、石油製品、金属、セルロース、木材、繊維などを輸出していたが、次第に石油の比重が増えていき、1987年には、燃料・エネルギーの割合が46,5%に達していた。15年で3倍に増えたことになる。

 

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