近年発掘されたお宝TOP5

2011年8月10日、タマン半島。ウラジーミル・プーチン首相(左)が、古代ギリシャの都市ファナゴリアの発掘調査を行った考古学者のキャンプで、アンフォラをきれいにする。=

2011年8月10日、タマン半島。ウラジーミル・プーチン首相(左)が、古代ギリシャの都市ファナゴリアの発掘調査を行った考古学者のキャンプで、アンフォラをきれいにする。=

アレクセイ・ドルジーニン撮影/ロシア通信
 先月は考古学的に恵まれた月だった。わずか1週間で、ロシアの専門家は3つの大きな遺物を発見した。とはいえ、これに限らず、近年さまざまな宝物が発掘されている。ロシアNOWが2010年代の重要な発見を特集する。

古代ギリシャのアンフォラを黒海沿岸で発見(2015年)

 クラスノダル地方テムリュク地区ゴルビツカヤ村近くで18個のアンフォラ(両耳壷)を見つけたのは、「ロシア国立歴史博物館」ボスポロス考古学探検隊の考古学者。大きな穴の中に収められていたアンフォラは、くり返しの使用が意図されていたようだ。そのため、保存状態が比較的良好である。この場所では2006年から発掘調査が行われていたが、このような遺物の発見は初めて。紀元前5世紀頃のもので、古代ギリシャからタマン半島に運ばれてきた、と考えられている。当時、大きな陶器は、オリーブオイルとワインの長期保存や輸送に使われていた。アンフォラはすべて、ロシア国立歴史博物館に送られる。

 

16世紀の銀貨を発見(2015年)

アレクセイ・ダニチェフ撮影/ロシア通信

 イワン雷帝時代の銀貨の秘密の隠し場所が、ロシア北西部のラドガ湖岸近くに位置するスタラヤ・ラドガ要塞のタイニチナヤ塔の遺跡発掘中に発見された。1582年、スウェーデン軍によるオレシェク要塞およびラドガ要塞の包囲の際、銀貨を小さな袋に入れて、要塞の壁の中に隠したようだ。袋の中の銀貨は116枚あったが、恐らく、地元の長の誰かが所有していたのだろう。銀貨は調査および修復がなされた後、「スタラヤ・ラドガ要塞博物館」に渡される。

 

17世紀の硬貨を発見(2015年)

エフゲーニア・ノヴォゼーニナ撮影/ロシア通信

 モスクワの旧カダショフスカヤ集落(現在のボリシャヤ・オルドィンカ)を発掘調査していた際、深さ50メートルの地中で、アレクセイ・ミハイロヴィチ帝(ロマノフ朝の開祖ミハイル・ロマノフの息子でピョートル大帝の父)時代の硬貨1087枚を発見した。最も多かったのは1654年から1663年に手鋳造された銅貨で、ほとんど出回っていない珍品。1663年の銅反乱で銅貨の価値がなくなり、銀貨に替えられた。考古学者は硬貨の入った袋以外に、ペチカのタイル、陶器、イコン、真鍮鋳造のるつぼなど、17~18世紀の遺物も発見した。これらはすべて「モスクワ博物館」あるいはロシア国立歴史博物館に渡される予定だが、その前に、「経済達成博覧会(VDNH)」で10月14日から16日まで行われる「国際文化遺産保存・修復・活用・普及特別展示会『デンクマル』」で展示される。

 

バトゥ・ハンの宝を発見(2014年)

 「トヴェリ州統一博物館」の下の深さ2.5メートルの地中で、考古学者は大きな木箱に入った17世紀後半から18世紀初めまでの、金の刺繍の施された衣服や銀棒など、200点以上の遺物を発見した。最も重要な遺物は、モンゴル・タタールの侵攻時代の銀製品。裕福なトヴェリの女性向けの祝い事や日常の装飾品には、当時有名だった宝飾技術が駆使されている。これらの遺物はトヴェリ州統一博物館に所蔵された。

 

ナルイシキン家の宝を発見(2012年)

タス通信

 有名な貴族ナルイシキン家の宝物が、サンクトペテルブルクのチャイコフスキー通りにある一家の旧邸の修復工事中に発見された。作業員は1階と2階の間に隠し場所を見つけた。そこには昔の一流職人によってカスタムメイドされた、ナルイシキン家の高価な宝物が2000点以上あった。多くの品には家紋が描かれているため、完全な博物館のコレクションと見なすことができる。専門家によると、過去数十年の中で最も重要な発見だという。特に価値の高い品は、昔の食器セット(これまで見つかったセットの中で最も完全にそろっている)、銀食器、宝飾品、家族の勲章。ロシア革命の真っ只中に隠されたこの宝物の鑑定額は400万ユーロ(約5億4000万円)。すべての品が国に渡され、その半額が今日邸宅を所有している3社に分配された。

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