ロシア極東の先住民族の今昔

極東の沿海州がロシアの一部となったのは1世紀半以上前のこと。中国人やロシア人がこの土地に来る前、どのような人々が暮らし、現在どうしているのだろうか。
ウデゲ人=ユーリイ・ムラヴィン撮影/タス通信
ウデゲ人=ユーリイ・ムラヴィン撮影/タス通信

 現在の沿海地方の領域に中国人が登場し、続いてロシア人が登場した19世紀半ば、ここにはすでにウデゲ人、ナナイ人、オロチ人、その他先住民が暮らしていた。昔は「異民族」(非ロシア人)と呼ばれていたが、現在は極東の「先住少数民族」と呼ばれている。これらの少数民族はツングース・満州群に分類される(中国人とウデゲ人やナナイ人といった先住民族との混血のタズ人も含まれる)。かなり前から市街地暮らしをしている先住民もいれば、タイガで暮らし続ける先住民もおり、ロシア沿海地方の先住民についても同じである。

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今も日本の面影

 沿海地方の住人の主な活動は漁猟だった。狩猟者は巧みな追跡者であり、また名射手であった。漁師は見事に簎(やす)をさばき、自ら木でつくった舟で川を移動した(小舟は「オモロチカ」、多人数乗り舟は「バト」と呼ばれた)。

 服は動物の皮や魚の皮でもつくっていた。沿岸部に暮らしていた人は海洋動物を捕獲していた。先住民は19世紀、中国人やロシア人との交易関係を確立し、自分たちの毛皮用獣皮と銃、火薬を交換していた。しかしながら、タイガに文明が浸透するにつれ、アヘン、アルコール、天然痘も侵入してきた。

ユーリイ・ムラヴィン撮影/タス通信

 極東の先住民の生活を紹介したのは、探検家で作家のウラジーミル・アルセニエフ。友人でガイドだったナナイ人男性にちなんで「デルス・ウザーラ」と名づけた小説の著者である。ちなみに、この小説を原作とした、1975年公開の黒澤明監督の映画は、アカデミー外国語映画賞を受賞している。アルセニエフは極東の先住民を「原始共産主義者」と呼んだ。先住民の生活様式、人や世界に対する接し方は、ヨーロッパ人のそれよりも、正しく、自然だと考えていた。極東の先住民はすべてに生があると考え、デルスは獣も、太陽も、炎も、すべて「人」の象徴と呼んでいた。先住民には発達した環境意識があったのだ。

 

現代の沿海地方の先住民

 現在沿海地方に残っている先住民は、1500人から2000人と少ない。 主にテルネイスキー地区、クラスノアルメイスキー地区、ポジャルスキー地区などの北部に暮らしている。ここにはまだ、獣(ヘラジカ、アカジカ、クマ、トラ)などが多数生息する未開のタイガが残っており、文明とはほぼ無縁だ。

「森の人々」

 ウデゲ語話者は非常に少なく、多くのウデゲ人がこれまでと同様の伝統的な生活様式を維持している。最も有名な「先住」集落は、約600人が暮らすクラスヌイ・ヤル、約200人が暮らすアグズ。これらの集落に到達するのは困難だが、クラスヌイ・ヤルでは毎年ウデゲ文化フェスティバルが行われており、日本、韓国を含め、さまざまな場所からの訪問者がいる。

 現代のウデゲ人の生活の様子は、ヴァシリー・ソルキンとゲンナジー・シャリコフが数年前に制作した、ウラジオストク・テレビスタジオ「タイガの叫び」のドキュメンタリー「森の人々」で少し垣間見ることができる。また、クラスノアルメイスキー地区にある国立公園「ウデゲの伝説」でも、知ることができる。公園の活動領域には環境観光事業と民族観光事業もある。公園事務局はロシチノ村にあり、ウラジオストクやハバロフスクからバスや車で行くことが可能。

ユーリイ・ムラヴィン撮影/タス通信

 ポジャルスキー地区には現在、国立公園「ビキン」がつくられているが、先住民は不安をもってこの決定を受け入れていた。この国立公園の主な課題は、”ロシアのアマゾン”と呼ばれる森林を伐採から救うこと。だがクラスヌイ・ヤルのウデゲ人は、伝統的なタイガの活動が禁止されることになるのではないかと警戒している。漁猟は先住民にとって娯楽ではなく、生活であり、また生きる手段であるため、国内で漁猟に関連する一定の優遇措置を受けている。当局はこの地域の先住民の利益を考慮に入れ、これまでと同様に薪を切ったり、ナッツやベリーを集めたり、クロテンを捕獲したり、魚を釣ったりできるようにすると約束している。沿海地方政府の幹部は、「ビキン」が先住民社会によって管理されるロシア初の国立公園になると説明している。

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