演劇「尋問」の一場面
モスクワ市の行政はすでに数年、文化施設の調査を行い、見直しをはかっている。演劇界の模範例となったのが、元ゴーゴリ劇場。2011年に有名な急進的演出家兼映画監督のキリル・セレブレンニコフ氏が劇場の指揮をとり、そのモスクワ芸術座での教え子である若手俳優たちが加わった。劇場の名称も、新たなコンセプトにより「ゴーゴリ・センター」に改名。わずか3年で、文字通り文化生活のセンターとなった。ゴーゴリ劇場の建てなおしは、演劇をおしゃれにするという前例をつくった。
永遠の模索
演出家は新しい層の観客向けに、斬新な形式を提案している。その中には、観客が劇団とともに劇場内を移動する、スペクタクル・プロムナードといったものもある。このようにして、若手演出家ユーリ・クヴャトコフスキーは、モスクワの「フセヴォロド・メイエルホリド劇場文化センター」で「ノルマンスク」を上演した。この演劇の原作は、ソ連のSF作家ストルガツキー兄弟のディストピア小説「みにくい白鳥」。演劇は全体主義社会の危険性を警告している。
同じく繁栄を迎えているのは、ドキュメンタリー演劇。その中心的存在は「テアトル・ドク」劇場。創設者によると、「演じない劇場」なのだという。ここで上演された、ロシアに来た外国人労働者の苦しい生活の実話「アクィン・オペラ」は昨年、「黄金マスク」祭で特別賞を受賞した。
とはいえ、新演劇のもっとも輝かしい例としてあげられるのは、演出家ドミトリー・ヴォルコストレロフ氏とそのサンクトペテルブルクの「テアトル・ポスト」の活動であろう。活動は劇場と現代美術の接点に位置している。最近の演劇で原作として採用したのは、ジョン・ケージの「無についてのレクチャー」(1959)。
「何にでもなり得るところが演劇の素晴らしさ。演劇は常に実験であり、模索であり、また知らない土地の探求だ。これがない演劇なんて考えられない」とヴォルコストレロフ氏。
社会問題を演劇に
社会情勢も、演劇への関心の高まりと、その現代化に寄与している。
ゴーゴリ・センターでは、若者の過激な運動についての演劇「ならず者」と、宗教的狂信についての演劇「(殉)教者」が上演されている。「プラクティカ」劇場では政治的尋問についての演劇「尋問」が、またメイエルホリド・センターでは、国家とは何か、国民は法律と自分の権利を知っているか、という啓蒙的な演劇「アリサと国家」が上演されている。
劇場のフェスティバルや欧米の演出家とのコラボレーションも、関心の高まりにつながっている。ロバート・ウィルソンからヤン・ファーブルまでの現代舞台のスターは、ほとんどロシアを訪れているのではないだろうか。モスクワでは1月末に新劇場「エレクトロテアトル・スタニスラフスキー」が開業。世界中のさまざまな演出家との提携が予定されている。
未来観
「黄金マスク」祭には、海外でロシア演劇を紹介する「ロシアン・ケース」プログラムがある。それを監督している評論家パーヴェル・ルドネフは、劇団を“輸出”するための十分な資金がないと、ため息をつく。「ロシア演劇への関心は海外で高く、こちらには見せるものがある。問題は、それをもっていくのが非常に困難なところ。国際的な活動が阻まれている」
さまざまな問題が存在するし、映画、文学、マスメディア、コンサート、演劇での罵り言葉禁止法も施行されたが、演劇の盛り上がりは続きそうだ。「ベルルスプーチン」など、辛辣かつ大胆な風刺演劇を上演し続け、昨年秋に建物からの退去を余儀なくされたテアトル・ドク劇場は、ようやく移転先を見つけた。テアトル・ドクの芸術監督ミハイル・ウガロフ氏はこう話す。「演劇の今後とその発展は、関わっている人次第。演劇は続く。新たな可能性をただ探すだけ」
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