ロシアの村の歴史と現代

ロシア西部にあるオルロフ州のムゼヌスク市の伝統的な村の家の内部。このインテリアは古典的なものだが、現在も存在している。=ソフィア・タタリノワ撮影。

ロシア西部にあるオルロフ州のムゼヌスク市の伝統的な村の家の内部。このインテリアは古典的なものだが、現在も存在している。=ソフィア・タタリノワ撮影。

ロシアの村とは、独特な生活様式と建築のある不思議な世界。村の伝統は何世紀もの時を経て築かれたが、ソ連時代に生活は一変した。ロシアの村は現在、どのようにして存続を図っているのだろうか、村の魂をどのような場所で感じることができるのだろうか。

村の誕生 

 ロシアで農村としての村の形ができたのは比較的遅い。ロシア人は13世紀まで街に暮らしていた。だが13世紀に向けて封建的細分と呼ばれる事象が発生し、生活は大都市の外へと広がり始めた。土地を耕し、家畜を飼い、独自に成長し、街に依存しない生活。このようにして村があらわれるようになった。

 村には独自の季節的活動があった。春は土地を耕し、ライ麦やソバを植える。夏は作物を育て、秋はそれを集め、冬はそれで生活していた。収穫は重要な儀式であり、村をあげて行っていた。この時期、村の人は互いに知り合いになる。一家の主は息子や娘の結婚相手を探していたため、誰もが一番美しい服を着て収穫していた。

 

イズバ(ログハウス) 

 秋は結婚式のシーズンで、その直後に収穫を行う。新婚夫婦には、マツ、エゾマツ、カラマツからつくられる、1部屋、1階建てのイズバ(ログハウス)が与えられていた。イズバに釘は一切使われない。屋根はかやぶきで土で固めてられ、天井には粘土が塗られた。

 内装には明確な決まりがあり、また一定の方角に沿って建てられていた。赤い角とはイコン画のある聖なる角で、ペチカの対角、イズバの奥、東側である。家の中でもっとも明るい場所であり、その両脇の壁には窓が必ずあった。イコン画は部屋に入った者の目が真っ先に向く場所に置かなければならない。イズバの中心部には食卓がある。そのまわりにはベンチ型の椅子が置かれる。赤い角側の椅子は「大椅子」であり、家の主が座るのが決まり。そして主のわきに年長者が座り、残りの家族は年齢順に離れていく。

イコンの隅には天井の下に棚があり、イコンが置かれている。イコンのある隅は「赤い隅」と言われる。その下には、机があり、その上には牛かヤギ牛乳が入っているそうな瓶が見える。=アナスタシヤ・ツァイデル撮影。

 イズバで欠かせないのがペチカ。家の中を温め、食事をつくり、寒い時にはそこで寝た。ペチカには異教時代のロシア民族の擬人化という聖なる意味があった。ペチカのあるところでケンカをしてはならず、誰かが悪い言葉を使った場合には、「百姓小屋にペチカ!」と言ってさえぎっていた。ペチカの火を絶やすことはなく、夜中でも霊は燃焼炭として家の中になければならなかった。また他の家に渡さないようにつとめた。炎とともに家族が幸福を失ってしまわぬようにと。ペチカには炎の霊と、世話が必要な家の霊(ドモヴォイ)が住んでいると信じられていた。

 そのために赤い角はペチカの対角にある。この独特の赤い角は異教の伝統とバランスをとったものだ。

 家の外側は必ず装飾された。装飾窓枠は家の主の長所を証明するものであった。扉、窓、壁に木彫り装飾がほどこされ、イズバの屋根には木彫りの雄鶏や仔馬などがあった。これらの動物が家に幸せをもたらすと考えられていた。

 

現代の村の生活 

 20世紀初めから、ロシアでは工業化が進んだ。工場が労働者を必要とし、農業が機械化されたため、多くの村民が街への引っ越しを余儀なくされた。生き残った村には電気、水道管、ガスがあらわれ、ペチカは解体されていった。建物にはレンガ造りや金属構造が用いられるようになった。生活様式も様変わりし、村の団結は空洞化とともにくずれていった。

ロシア西部にあるオルロフ州のムゼヌスク市の伝統的な村の家=アナスタシヤ・ツァイデル撮影

 本物の村を見つけるには、モスクワから少なくとも150km走る必要がある。この距離をこえると、クラシックなイズバに似た個別の家が見えてくる。模様入りの鎧戸のついた1階建ての家には、主に年金生活者が暮らしている。その生活様式の多くが街の様式に似ているが、それでも伝統的な村の親切心が人々の中に残っていると感じる。

 イリーナ・ウラジミロヴナさんは、奇跡的に残っているロシア・イズバの典型的な住人。現在82歳で、ずっとリャザンツェヴォ村に暮らしてきた。

 「夫とイズバを建設したのは1951年。両親も手伝ってくれた。当時は電気もガスもなくてね。ペチカは捕虜のドイツ兵がつくってくれたのよ。ガスが使われるようになって、ペチカを持つ意味がなくなったから、1992年に解体したの。村は小さくて、6農家しかなかったけど、現在はすべてが変わっている。皆都会に去ってしまった。今は個別の家とその敷地があるだけ」

ウドムルト共和国の村人=ソフィア・タタリノワ撮影

 イリーナ・ウラジミロヴナさんの家のまわりには郊外型の新しい家が建ち並ぶ。「鎧戸、装飾窓枠、これらはすべて隣の村の職人さんがつくってくれた。皆のイズバを装飾してくれたの。今その姿が残っているのはうちだけ」

 イリーナ・ウラジミロヴナさんは現在一人暮らし。子ども、孫は街に暮らしており、ここにはひんぱんに来ない。一人で家事や農作業をしている。「夏は畑を耕して、ジャガイモやキュウリを植える。冬は退屈だけど、やることはあるわ。雪かきとか、イズバを温めたりとか」

 モスクワにある民族博物館「民族世界」では、コストロマ風のイズバが復元されている。博物館には20世紀初めのアイロン、食器、子どものおもちゃなど、伝統的な展示品がある。

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