サンクトペテルブルクのニコラエフスキー駅、1855-1862年 写真提供:wikipedia.org
ロシア初の鉄道は1837年に開通
ロシア初の鉄道は、1837年11月11日に、サンクトペテルブルクとツァールスコエ・セロー間の27キロで、開業している(世界では6番目の鉄道だった)。レール、機関車などの資材は、鉄道先進国イギリスから輸入された。機関車はイギリス製、車両は8両編成。最初の運行での最高時速は64キロで、平均時速は51キロだった。
ロシアでは、1830年代に機械が導入されるようになり、この頃から産業革命が始まったという見方もあるので、この鉄道開通は、時代を象徴する事件となった。
10年で645キロ完工
モスクワ・サンクトペテルブルク鉄道については、1841年3月に皇帝ニコライ1世が、鉄道建設計画作成のための委員会創設を命じ、翌1842年2月には、鉄道建設の勅令が出され、43年6月8日(グレゴリオ暦)には着工、という猛スピードで進んだ。
工事は、毎年、数万人の農奴と国有農民を雇って行われた。作業は夜明けから日没まで。ノルマは重く、給料は、春から秋口までの1シーズンで、17~35ルーブル。当時の物価からして、おおよそ1ルーブル=1万円と考えてよいので、現在のロシアの平均給与に近い。
19時間、平均時速34キロ
難工事のすえ、1851年8月に645キロ全線開通をみた。まず8月26日~28日に、近衛連隊が試し乗りをし、8月30日に皇帝自らが試乗。停車時間を含めて、19時間で、645キロを走破しているから、平均時速は34キロになる。
正式の開業は同年11月で、切符の値段は、1等が19ルーブル、2等が17ルーブル、3等が7ルーブルだった。現在の飛行機のようなものだ。
「過度の工業化は農奴制を揺るがす」
こうして、モスクワ・サンクトペテルブルク鉄道という大動脈が開通したが、これにつづいて続々と他の路線も建設・・・ということにはならなかった。
ニコライ1世の政府は、過度の工業化を警戒していた。工業化が進むと、労働者(=出稼ぎ農奴)の給料が下がり、地主貴族の懐に入る税金も減る。農奴制の根幹を揺るがしかねなかった。
ロシアでの本格的な鉄道建設は、クリミア戦争で、産業革命を経験した欧州列強に敗れた後のことになる。
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